2015年9月12日土曜日

ハイリスク・ハイリターン。

ハイリスク・ハイリターン。
安倍政権が続く。
先日の、自民党総裁選で、安倍総理大臣が、無投票で再選された。
とってかわる他の人材がいなかった、ということが、大きな理由であると思われる。
自民党の独走態勢はどこまで続くのだろう?
安倍政権の政治は、どう考えればいいだろうか、ある政策はとても良いし、ある政策は、う~ん、と考え込んでしまう。
全体に、勢いがあって、流れが速い。
以前から、手を付けてほしかった政策も、たくさんある。
また、政策とは別に、公共事業の工事もめざましい。
完成は、3年後、5年後、10年後となっていくが、ともかく手をつけたのが、よかったと思われる。
全体に、政策が理想的なところが多く、これだけの理想を現実にするのは、本当に安倍総理ならでは、ということだろう。
新しい時代、という気がする。
しかし、何かよくわからないが、なんとなくすぐには賛成しかねるところがある。
それが何なのか、私はよく考えてみた。
そして、あることに思い当たった。
安倍政権の政治は、ハイリターンではあるが、ハイリスクである、ということである。
そして、そのハイリスクに対して、リスク処理をしていない、ということなのである。
リスク処理とは、まず第一に、国民の理解と納得をとりつけることだろう。
安倍政権の政治は、国民の理解や納得を後回しにしたり、「いらない」と決めているようなところがある。
しかし、安保法案のデモ行進でもわかるように、これがリスクとなって、政権と、支持率を苦しめている。
最終的には、選挙が、政権を苦しめる。
これまでの、安倍政権のハイリターンな政治には、なんらかのリスク処理班が付いていたのかもしれない。
それが、よく理解し納得した、メディアだったのかもしれない、と思う。
メディアが世論に訴える力を持っていて、政策を支持したことで、リスク処理が大幅に進んだのだろう、と考えられる。
しかし、次の政策、マイナンバーとキャッシュレス社会を考えてみると、確かに理想的で、「成功したら素晴らしい」でも、「もしもうまくいかなかったら、リスクが大きい」のである。
世の中の仕事には、リターンの代わりに、リスクがつきものである。
ハイリターンのものほど、リスクも大きい、という法則がある。
ハイリターンを望み、ハイリスクを引き受けるのは、個人の判断である。
性格によるものや、生き方の規範に従うものであるかもしれない。
だから、ローリスク・ローリターンの判断をするのもまた、個人の性質によるもので、どちらが正しいということは、ないのだと思う。
私自身は、女性であり、性格も女性的であるからか、リスクが大きいことを考えると、やはり、ハイリスク・ハイリターンは、望まない。
リターン、成果は小さくてもいいから、ゆっくりと地道に着実に、歩を進めたい、と思う。
安倍政権のハイリスクには、もうついていけない、という気持ちがある人も、多いのではないだろうか。
独走態勢の安倍総理大臣の、あとから、リスク処理をする人たちが、大変である。
改革路線はもういいから、ゆっくりと人生を楽しめばいいではないか、と思う。
一方で、キャッシュレス社会は、世界的な潮流であり、日本が一番最初を、トップをきれるかもしれない、ということなのだと思う。
でも、競争はもういやだ、というのが、日本国民と、リスク処理を引き受けてきた人々の率直な気持ちではないだろうか。
理想が高いのはよいが、その分、なくすものや労力のかかることを、ますます大きくなるリスクを、考慮に入れるべきではないかと思う。