2016年3月9日水曜日

ある作家のひとりごと。

私はね、いろいろ思うの。
女流作家同士は、仲良くしてほしい。
特にね、中条きよし、このあたりのことを、しっかりしてほしいの。
「うそ」っていう歌を、ご存知でしょう。
「折れたタバコの吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ」
これからの女流作家は、こうした「男の嘘」がわかるような、
男の心情を汲み取るような、
そういう女流作家であってほしい、と思うのよ。

でもね、最近の女流作家は、どうも、自己主張ばかり強すぎて、ね。
「花子とアン」でも、自分の言いたいことばかり、主張したでしょう。
でもね、朝倉聡子は、本当はこう思っていたの。
中園ミホさん、あなたね、子どもを産んで、育てて、それが女の幸せだと、そうテレビで言いたかったのかもしれないけれどね、でもね、本当の女の幸せっていうのは、男に愛されるってことでしょう。
それはね、妊娠だけさせられて、捨てられるっていうことじゃないの。

なぜ、中園さん、あなたが、セックスだけさせられて、妊娠させられて、それで捨てられたのか、考えてみてよ。
朝倉さんは、中園さん、あなたみたいな恋愛をする女性を、かわいそうに思ったの。
それで、中園さん、あなたがね、なんで好きな男に、結婚してもらえなかったのか、それを、気が付かせてあげよう、と思ったわけ。

わたしはね、こう思うわけ。
これまで、女流作家は、甘やかされてきたの。
でも、それはね、相手にされなかった、ということなの。
男性の読者たちはね、女流の文学なんて、読まなかった。
目もくれなかった。

これはね、女流記者さん、あなたにもね、言えることなの。
そうなのよ。
朝倉さんが、女性にも関わらず、毎日毎日、朝早く起きて、新聞を読んで、そしてその日のうちに、政治的見解を書く。
これは、正しいかどうかの問題じゃない。
自分なりの、政治的な意見を持っているかどうか、の問題なの。

こうして、朝倉さんが、女流の政治的な意見を書き始めたので、そうでしょ。
毎日毎日、決まった時間に、ブログをアップしたでしょ。
それだけの責任感が、あなたがたにある?

わたしはね、これまで、こんなに仕事をする女性には、お目にかかったことがない。
こうして朝倉さんが、「女だって、やればできる」これを証明したので、あなたがたに、日が当たってきたんでしょ。
女性の活躍する社会。
これをみんなで応援したくなったのは、朝倉さんが、こうして「女だってできる」ことを証明したからなの。
それなのに、なんなの?
仕事も半人前。
母親としても、半人前。
そんな女流記者さんたちが、男女平等を訴えても、どうにもならないの。

男はね、女、子ども、老人、それから、社会のいろいろな人たちに責任をもって、
守ってあげる仕事をしているの。

それなのにね、女として、守ってもらえるかどうかが、幸せの基準だなんてね、
それでいて、男女平等だけは主張する、それじゃあね。
やることをきちんとやって、それから権利の保障でしょ。

わたしはね、思うわけなの。
中園さん、あなたの子どもさんが、やがて大人になって、「僕のお父さんはどんな人だったの? 僕が産まれるときに、どうして去っていったの?」そう聞かれたら、なんて答えるの?
俵万智さん、あなたの息子さん、学校で嫌がらせに遭っているんでしょ。
それなんで、学校がきちんとしてほしいっていうけれど、それって、モンスターペアレンツ、いや、複数形じゃないわね、モンスターペアレントなんですよ。

自分の子どもの責任は、自分で負うべきです。
いっときは良かったかもしれない。
愛ってこういうものだ、と実感できたかもしれない。
でも今、地獄でしょ。

愛っていうのは、ひとりよがりではないものでしょ。
女流作家は、愛を描こうとしているけれど、愛の押し付けをしているだけであって、本当の愛をまだ知らない、と思うの。

NHK朝ドラ「まれ」でね、この人は、芸術について、あるいは表現について、こう語っていた。
「誰にどんなふうに思われようと、あなたはあなたの表現したいことを100パーセント表現した。それでいいの。」
こんなセリフがありました。
しかしね、朝倉さんは、そうは考えていないの。
相手に受け止められて初めて、表現であるわけでしょ。
朝倉さんのブログはいつも、わかりやすいでしょう。
相手の気持ちを考えているでしょう。
どう受け止められるか、できるだけ正確に、思ったことが伝えられるように、一生懸命努力しているから、受け止められる文章を書けるんです。
だから、読まれる。
読者も多いわけなんですよ。



私たちはね、女流作家をいじめたわけじゃない。
女流作家が、批判や批評を受けて、それを糧に、大きく成長していくことを望んでいるの。
仲良しごっこをして、本当の感想も言わないで、それが、本当の友情なのかしらね。

わたしはね、女流作家にはね、女性たちを教育する責任があると思う。
でもね、女流たちは、自分のエゴで書いているでしょう。
朝倉さんは、女性の読者がたくさんついていることを知っていて、これからわたしの責任次第で、女性の社会的立場が、上りもすれば下がりもする、それを知っていて、一生懸命、書いているの。
エゴなんかじゃないですよ。

中園さん。
「花子とアン」がヒットしてから、いろいろな場に呼ばれて、書く機会もたくさんあったでしょ。
その機会を生かしきれなかったのは、それは、それがあなたの実力だからなの。
本当に実力をつける、ということは、文章の技術だけではなく、書く、という意味の必要性、社会のなかで、書く人はどんな責任を負っているか、それをきちんと考えた人なわけなの。

それには、政治のこと、歴史のこと、心の問題、教育問題、生と死、そうした、文章の技術だけではない、人生の体験や、思想や哲学、そうしたバックボーンが必要になってくる。
朝倉さんは、10年がかりで、それらを勉強したの。
まさに、猛勉強ね。
その間、恋愛にうつつを抜かしたりしなかった。
真剣に、毎日毎日、勉強した。

そうした姿を知っているから、この人の夫は、彼女を尊敬しているの。
男はね、尊敬する女性と結婚したいの。
なぜなら、男は、ダメ男だからね。
ダメな自分を、向上させてくれる相手に、男は惚れこむものなの。

わたしたちは、こうして、朝倉さんからいろいろなものを与えてもらっているわけなの。
それは、一番大きいところでは、「女のひとだって、やればできる」という証拠なのですよ。

あなたがた、女流作家、女流記者さん、あなたがたは、自分ひとりの実力で、女性の地位を向上させることはできましたか?
わたしは、できなかったと思いますよ。
権利を主張して、べきだべきだ、と言ってみたけれど、誰も耳を貸さなかったでしょうう。

わたしはね、こう思ったの。
女性たちは、朝倉さんに、甘えているんだね。
あれもしてほしい、これもしてほしい。
朝倉さんみたいな、やさしい、あたたかい、これは心があたたかい、ということだけれど、そういうやさしいお母さん、が欲しかったでしょう。
でも、あなたがたの本当のお母さんは、戦後すぐに産まれて、そんなに教育も受けなかった。

朝倉さんが言っていたの。
戦後の今の女性たちには、親がいない。
お母さんは、大学を出ていないのに、娘さんは大学を立派に卒業しました。
そうすると、まだまだお母さん的な存在に、いろいろ世話になりたいときに、「お母さん」になってくれるような、先輩がいないわけなの。

でもね、朝倉さんは、自分ひとりで、女性の生き方がどうあるべきか、一生懸命考えて、学んできた、というわけなの。
朝倉さんも、挑戦、チャレンジだ、と言っていた。
男性社会のなかで、どんなふうに、女性として、伸びていけるか。

時には、受け身であること、時には、やさしい言葉遣いをすること、そうしたことを、いろいろ工夫して、行動してみたわけなの。
それが、今の結果に結びついているわけ。

中条きよしの「うそ」この、「嘘」は、なぜ男は、つくのでしょう?
もう一度、考えてみてほしい、と思う。

朝倉さんは、知っています。
男の嘘は、どんなときにつくものなのか。
そして、この人の夫が、嘘をつくときには、わかっていても、黙って許しています。

あなたがたのなかで、この「嘘」の意味がわからずに、ただただ、事実だけを明らかにして、それが本当のことだと、それで社会がよくなると、確信している女性がいるなら、それは、男の本当の気持ちが、わからないからなの。

朝倉さんは、男の嘘の、本当の意味を知っている。
そういうところを、男性たちは、すごく好きなわけ。

男性たちが、朝倉さんと一緒に仕事をしたい、と思うのは、朝倉さんを女性として恋愛対象としてだけ思っているわけではなくて、ただ、一緒にいて居心地がいい、ということなの。
仕事のしかたを知っている。
社会の仕組みを知っている。
だから、一緒にいて、居心地がいいわけなの。

でも、男の嘘の意味がわからない女性たちとは、もう少しも、一秒も、一緒にいたくないんですよ。

これからも、批評や批判を恐れずに、自分を向上させてくれるものだと思って、男性と同等に、批判を受けてください。
男性作家たちは、たくさんの批評や批判を受けています。
そのことに、気づいていますか。

本当に相手にされはじめたから、批評を受けることになったんですよ。
これまでは、つまり、女流文学は、相手にされていなかった、ということなの。
それくらい、日本の女流文学は、レベルが低かった、ということなんですよ。

ゲスの極み乙女。
ベッキーちゃん。
彼らに悪さをしたのは、あなたがたでしょう。

わたしたちは、思っています。
不倫はよくない。
でも、あんなふうに陥れて、人を苦しめるのは、もっとよくない。
これから、あなたがたには、将来があるでしょう。
それと同じように、ゲスさんにも、ベッキーさんにも、将来があるんです。
そうした、手加減を、これまで男性の雑誌記者さんたちは、知っていたわけなの。

でも、女流は、手加減がわからない。
だから、女性はダメなんだ、と言われるの。

日本の雑誌業界、芸能業界は、女流たちが、程度をわきまえない仕事をするので、混乱しています。
これは、政府からの言論弾圧よりも、悪いことなんですよ。
たくさんの芸能人たちが、震えあがっています。
そうして、芸能人たちを、精神的に追い詰めることが、芸能記者の仕事なんでしょうか。
これは、「イジメ」です。

わたしたちには、わかっています。
あなたがた女性記者たちは、子どものときに、母親から、厳しくしつけられてきました。
このしつけは、あなたがたにとっては、イジメだったんですね。

親にされたことを、そのまま、社会に投影しているだけなんですよ。

これからは、朝倉さんが、あなたがたの、お母さんがわりになってくれます。
そう思っていいんですよ。

じゃあね、これからも、朝倉さんの言うことをよく聞いて、イジメはやめるんですよ。

そして、実力をつけるために、努力また努力をしてくださいね。

ある作家のひとりごと、でした。