朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
モンゴメリ原作の「赤毛のアン」を翻訳した、村岡花子さんの生涯が、ドラマ化された物語である。
第5週目にはいって、いよいよ「連続小説」という雰囲気になってきた。
登場人物への愛着も湧いてくるのが、第5週目の視聴者の心情かもしれない。
5週目「波乱の大文学会」では、ヒロイン花子が学んでいる修和女学校で、文化祭が開催される、というストーリーになっている。
文化祭の大きな演目に、女学生たちが演じる、演劇がある。
演目を決めるところから、練習風景、そこでのさまざまな学生たちのやりとりや、本番の舞台まで、丁寧に描かれているのが第5週である。
女学生たちも、もう16歳、17歳と、「女の子」というよりは、ひとりの自立した大人の女性として、恋愛にめざめる年ごろである。
なので、演劇の演目には、あこがれの恋愛ロマン悲劇である「ロミオとジュリエット」を選ぶ。
「ロミオとジュリエット」は、イギリスの名作で、シェイクスピアの三大悲劇とも呼ばれる、有名な恋愛物語である。
何度も映画化されたり、舞台化されたり、海外でも日本でも評判の高い、不朽の名作ともいえるかもしれない。
つい2月の、ソチオリンピックでは、男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手が、フリーの演技でこの「ロミオとジュリエット」の曲を選んだ。
みなが、羽生選手のロミオに、酔いしいれたところである。
羽生選手の演目となった曲は、1968年にオリビア・ハッセーがジュリエットを演じたイギリス・イタリアの合作映画で、仮面舞踏会のシーンにも使われる主題曲である。
羽生選手のフリーの演技は、ジュリエットの従兄弟を、トラブルによって傷つけてしまう、激しい情熱的なシーンで始まっている。
「ロミオとジュリエット」は、互いに敵対しあう「家」に生まれた、少年と少女が、仮面舞踏会で、相手をその立場を知らずに会って、愛し合うようになる物語である。
家同士の確執がもとで、この恋愛は成就がとてもむずかしく、ラストでは、悲劇となる。
だが、この悲劇がもとで、家同士が、仲良くしようということになる。
現代ではとても考えられないような時代背景があるように思う。
現代の日本では、立場や家柄、といった事情で、恋愛関係にある恋人同士が、会うこともままならない、という状況は、まずないのではないだろうか。
また、親が決めた許嫁、という状況も、なかなかそうはない、と思う。
それで、私自身も、シェイクスピアの脚本を読んだときも、映画を観たときにも、なかなかピンとこないところがあった。
つまり、時代背景の深刻さが、今はないものなので、恋人のふたりの心情がなかなか共感できないのである。
しかし、「花子とアン」の時代、明治時代には、この「親の決めた結婚」「家同士や身分のちがいで成就できかねる恋愛」というのは、とても現実的であったようだ。
なので、特に蓮子にとっては、すでに家が決めた結婚を体験し、その後離婚した、という人生体験のなかから、身も心も打ちこむように、この「ロミオとジュリエット」に共感しのめりこんだことが、考えられる。
花子と蓮子の友情が、この大文学会、演劇を通して、深まっていく様子が描かれる。
それにしても、蓮子の「復讐」という言葉は、とても「強い」言葉である。
「復讐」の二文字に込められている感情があるとすれば、それは、恨みや憎しみ、とても深い心の傷、そして被害者意識ともいえる気持ちである。
なぜ、蓮子は、「復讐をしてやりたい」と思うのか、何を恨み、誰を憎んでいるのだろうか。
ここに、蓮子のたとえようもない悲しみとひねくれの素がある。
蓮子は家の決めた結婚で、「好きでもない人と」14歳のときに結婚したのである。
今、世界的な女性の人権啓蒙として、「I am a Girl」の活動がある。
これは、某有名通信販売で本を買ったときにも、パンフレットが入ってくるものである。
このパンフレットのタイトルが「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない」というフレーズである。
きれいな民族衣装をまとった少女の姿が写真で大きく写っている。
「結婚」というのは、互いに好きあったもの同士が行うもの、というのは、理想であるかもしれない。
しかし、それがなかなか果たされない歴史や社会状況があったようだ。
そして、特にこうした、まだまだ人生を選べる年齢ではない女の子にとって、自分が選んだ相手ではない男性と、自分以外の誰かに決められて結婚することは、とてもつらいことなのかもしれない。
「好きな人と結婚できない」というつらさよりも、「好きではない人と結婚しなければならない」ことが、つらいのではないかと思う。
そして、女性の人権の、とても大きなひとつで、とても見落とされがちなもののひとつが、「好きな人と結婚する権利」なのではないか、と思えてくる。
これは、権利なのだ、選ぶ権利、決定する権利なのだ、と思えてくる。
蓮子は、この、結婚相手を選ぶ権利をはく奪されて、好きではない男性とパートナー関係を結ぶことになった、また人生を選択できるほど大人になっていない年齢だったことを、とても恨んでいるのだと思う。
その恨みを、「復讐してやりたい」というのである。
これは、むしろ伸び伸びとした環境で庶民として育った花子にとっては、驚きであったろうと思う。
ふたりのその気持ちを、大文豪の作品である「ロミオとジュリエット」にぶつけた、感情表現をしたということなのだろうと思う。
そうして、蓮子は、兄の決めた結婚であったことを、恨んでいたので、兄への復讐を果たす。
つまり、「ロミオとジュリエット」」でジュリエットを演じて、たくさんの言葉を述べることで、兄に、自分の悲しい気持ちを伝えたのである。
蓮子は、ジュリエットを演じることで、恨みと気持ちが昇華されていったのだろう、と思う。
そして、そのあと、花子とは強い絆で結ばれていくのである。
ヒロイン花子の、この週の大切なポイントは、大文学会で演劇の脚本を、翻訳して脚色したこと、その脚本が、ほめられて、演劇が成功したこと、そして、なんだかやる気がなかった蓮子に、「あなたの脚本を読んで、ぜひ演じてみたいと思った」「あなた、翻訳の力だけは、すごいわね」と見つけられたところにある。
蓮子は、花子より年齢多く生きてきたことと、経験とで、たくさんの文学作品にすでに触れていて、それで花子の、翻訳文学に関する才能に気付いたのではないか、と思われる。
与謝野晶子を読んでいる年上の女性なのである。
花子はこの大文学会で、翻訳の才能に目覚める。
また、周囲からも翻訳の能力に評価をもらえたのである。
ここが、花子の人生の分岐点となった。大きな飛躍である。
「愛とはなにか」まだまだ幼い少女たちにとっては、「運命の恋」は、神様しか知らない。
本当に人を愛するというのは、どういうことなのか。
永遠の伴侶になるのは、どんな男性なのか。
若い乙女たちの夢見る物語が、続いていく。