2014年5月1日木曜日

小学生時代の思い出。

メモ1、小学校入学式。校長先生の話。
私が、小学校でよく勉強をしよう、と決心するキッカケとなったのは、小学校の入学式で、校長先生のお話を聞いたからである。
校長先生はこうおっしゃった。
「これから、みなさんは、小学校でお勉強をします。よく勉強をすると、おとなになってから、みなさんがなりたいもの、なんでもなれます」
まだまだ幼稚園の絵本が抜けなかった私は、将来はどうしてもお姫様になりたかったので、「勉強をすればお姫様になれる!」と、とてもいいことを教えてもらったので、入学式の翌日、最初の授業から、懸命に勉強に励んだ。
メモ2、4月中に予習。
幼稚園のときに「あいうえお」を覚えて、絵本が自分で読めるようになっていたこともあり、教科書をもらうと、4月中にすべて読み終えてしまった。
国語の読み物が面白かった。理科も社会も算数も全部、4月のうちには読み終えてしまった。
毎年、年度が替わると、新しい教科書を4月中に読んだ。
それから、前の日に、先へ先へ、と教科書を読んでいた。
そうすると「ここなんだかわからない」という箇所がある。
翌日の授業で先生がよく解説してくれるので、よくわかった。

メモ3、もともと身体が小さくて、学校はけっこう厳しいかんじはしたが、登校拒否になることはなかった。何が面白かったかというと、勉強が面白かった。
新しい知識がどんどんわかっていくのでとても楽しかった。
授業中にすべて理解する。
先生の話はよく耳で聞いていた。
集中して聞いていると手で落書きをするので、それを見た先生が、遊んでいると思ったのか、突然に手をたたかれることがあった。こわかった。
「そんなに絵が描きたかったら、ペンを全部出しなさい!」とか、教室の前のところに、ノートに描いた絵を出されることもあって、とてもいやだった。

中学校に上がってからは、授業が終わった後の休み時間や昼休み、放課後に、先生に質問攻めにした。
「今の授業で、ここがよくわからなかったのですが…」と、友達とふたりで職員室まで行ったり、廊下で尋ねたりすることもあった。
手で書いて覚えるタイプではなくて、目で覚えるタイプだったので、何度も紙に書いて覚えることはなかった。
色ペンは使わなかった。

メモ4、中学校に上がってからの英語の勉強は、教科書を予習した。
すべて、英単語を辞書でひいて、全文暗唱した。
単語帳は使わなかった。(当たらないから)

メモ5、忘れ物はほとんどしなかった。前の晩にランドセルに教科書や笛、絵の具やピアニカなどの準備をしていた。
ハンカチ・ちりかみ・給食袋などの忘れ物もまずなかった。
消しゴムをなくすことはなかった。
鉛筆は前の晩に削っておいた。
ノートはルーズリーフは使わなかった。ばらばらになって使いずらい。

メモ6、授業中に質問で手を挙げることはまずなかった。
それは、小学2年生のときに、国語の時間にこういうことがあったので、いやになった。
それは、先生が、「今の文章をどう思いますか?先生は誰にも言わないので、こっそりと意見を教えてください」と言ったので、自分の考えを、教室の前まで出て行って、先生の耳元で耳打ちした。
それは、「この文章は、だ、である、というふうに終わっているので、ていねいじゃないので、それがよくないと思う」という意見であった。
国語の先生は、ほかの生徒の意見も同じように耳打ちで聞いてから、「さてみなさん、今こういう意見がありました」と言って、私たち生徒の意見を公表した。
そして「どちらの考えもまちがっています」と言った。
正解は、「です、ます調にするならするで統一するのが正しい。だ、である調は、それはそれで統一するのが正しい。まぜこぜにするのがまちがいである」という教えであった。
私は、こっそり教えたつもりだったのに、先生に裏切られたと思ってとても悲しかった。
そして、みんなの前で「まちがいです」と言われたので、とても心が傷ついた。
それでそのあとは、授業中には絶対に手を挙げて意見を言わないようにした。
ときどき、当てられてどうしても意見を言わなければならないときは「~~だと私は思いますが、まちがっているかもしれません。ごめんなさい」と言うようにした。

大人になってから、学校の授業構成というのを、教師の皆さんがしている、ということを知った。
それは、50分の授業で、最初の10分で教師が、説明をして、その後、5分間で生徒からの質問タイムをとり、その質問を「たたき台」にして、討論をして、最後の15分間で「正解を教える」という構成だった。脚本のようなものである。
要するに、生徒の意見は、授業を成立させるための、討論の「たたき台」にされていたのだ、とわかった。
せっかくの意見も、「まちがいをただす」ために、あるいはほかの生徒の「悪い手本」にするために出させているのだとしたら、これは本当に子ども心に、つらい授業であった。

メモ7、家に帰ってからは宿題のほかはほとんど勉強しなかった。
本を読んでいた。
学校の図書館では、毎日本を貸し借りすることができた。
学校によっては、学年で貸し借りできる曜日が限られているようである。
また、転校先の学校では、貸し借りのシステムがとてもむずかしく、また教室からとても遠い、4階の端にあったので、あまり借りに行けなかった。
中学校では、図書館の部屋が足りなくて、廊下に本棚を並べていて、図書係はいつもさぼっていて、本を借りることができなかった。
小学校の1年~4年ごろまでの学校の図書館は、図書館司書の先生がとても優しくて、図書カードの書き方も教えてくれたので、毎日本を見に行っていた。
あと、自宅では、夜はテレビを見ていた。
蟻さんを見ていた。レコードを聴いて、オルガンを弾いていた。
妹とお人形さん遊びをした。

メモ8、そういうわけで、授業中にさかんに意見を述べることはなかったが、勉強はとても面白くて楽しかった。よくわかった。
テスト勉強は、教科書を何度もよく読んで、ノートをよく読んだ。
塾へはまったく行かなかった。
社会の公民、国語の文学史、歴史の年号、が苦手だった。
固有名詞が覚えられないタイプ。
算数大好き。