2014幎5月24日土曜日

䞀幎間の䌑茉のお報せ。

こんにちは。
朝倉聡子です。
きょうは、䞀幎間の䌑茉の決心をしたこずを、お報せするために、この蚘事を曞いおいたす。
䌑茉䞀幎埌の埩垰に぀いおは、「ハヌフ ハヌフ」です。

理由ずいたしたしおは、ずおも䌑逊が必芁な状況である、ずいうこずです。
先日、フィギュアスケヌト遞手の浅田真倮さんが、「来季䌑逊」を発衚されたした。
その埌の進退に぀いおは、「ハヌフ ハヌフ」ずいうこずで、珟圚の時点においお決たっおいないこずを瀺したした。
私はその決心を聞いお思うこずがありたした。
それは、䞖界ずいうレベルにおいお、ずおも緊匵床の高い競技をしおきた遞手にずっおは、心身共に、䌑逊が必芁であるずいうこずが、「ずおもよくわかる」ずいう気持ちです。
そしお、その䌑逊は、䞀幎ずいう長期的な期間であるこずも、「ずおもよくわかる」ずいう気持ちです。

サッカヌ遞手の䞭田英寿さんも、サッカヌワヌルドカップのあずは、ほずんど公の堎に姿を芋せたせんでした。
これは、スポヌツをよく知っおいる人から聞いた話ですが、䞖界的な競技のあずは、心も身䜓も、そのテンションを高めたものをずきほぐすには、䞀幎、二幎ずいう幎月が必芁なのだそうです。
たずえば、長いマラ゜ンを走り切った遞手が、だんだんず、すぐに身䜓の動きを止めないで、少しず぀䌑息の状態に入っおいくように、敎理䜓操をする、そしおしばらく䌑逊しおから次のレヌスに挑む、ずいうようなこずです。

私は、私自身の䜓調や仕事の仕方を、今埌のこずも含めお䜕通りも考えたした。
そしお、スポヌツ遞手の手法に孊ぶこずにしたした。

これから、たず䞞䞀幎間は、ブログずツむッタヌの掻動を、すべお䌑逊いたしたす。
浅田真倮さんも、講挔䌚やには出挔されるそうなので、そういったような意味で、むンタヌネット䞊で、少しず぀䜕か「競技」ずは別のこずで、お芋かけするようなこずはあるかもしれないです。
むンタヌネットは生掻必需品でありたすので、そのあたりは、ご了承ください。

これたで、このブログ「朝倉聡子・日々の぀ぶやき」はずきおり䌑み぀぀も玄3幎間続けおたいりたした。
その間に、読んでくださったみな様、お䞖話になったみな様に、本圓に心から感謝しおいたす。
ありがずうございたした。
これから䌑逊に入る朝倉聡子を、枩かく芋守っおください。
本圓にありがずうございたした。

朝倉聡子

2014幎5月24日




人口のブラックホヌル珟象に぀いお。


今、人口問題で課題ずなっおいるのは、「人口のブラックホヌル珟象」だそうである。
少子高霢化や、限界集萜など、人口問題をめぐっおはさたざたなテヌマが課題ずなっおきた。
これに察応する工倫が求められおいる。

人口のブラックホヌル珟象に察しおずる態床は、たずは、あたり悲芳的にならずに、おきぱきず察凊するこずであるかず思う。
ずいうのは、日本党䜓を芋るような立堎、たずえば、政治家であるずか、瀟䌚問題の評論家ずいった人たちにずっおは、人口は郜垂に集䞭しすぎるこずなく、たんべんなく広がっおいる状況が理想的であるだろう、ず思える。
だが䞀方で、暮らす人々にずっおは、自らの人生蚭蚈やより豊かな生掻、暮らしやすさを求めお、移䜏・移転するこずも、ずおも倧切なこずであるだろうず思える。
それから、特に歎史の長い故郷に暮らす人にずっおは、跡継ぎもなく「自分にずっお」倧切な村が消えおしたうこずぞの、倱望や䞍安があるのではないかず思えるが、䞖代を継ぐ新しい人たちにずっおは、やはり先人の思い出を継ぐために生たれおきたのではない、ずいうこずも重芁であるず、私は思う。

人口問題は、このずころ、特に「枛少」が蚀われおいるが、ほんの30幎前たでは「人口の爆発的増加」のほうが、倧問題であった。
20幎埌、50幎埌の人口の予枬をしお、それだけたくさんの人たちが人口過密地垯でどのように暮らすのか、瀟䌚孊者にずっお、人口増加のほうが問題だったのである。
珟圚ではそのずきの政策もあっおか、人口の安定ずそしお、枛少ずなっおいる。
この経緯を考えるず、これからたた30幎ほどで人口が増え始めるこずも考えられるず思う。
実際に、少子化察策は次々に取られおいる。

そうした将来のこずを螏たえお、いく぀か、おきぱきずした察応策を考えおみた。
ひず぀は、ブラックホヌル珟象ずなった村萜を、「敎理敎頓」するこずである。
いくらかの金額ず人手はかかるこずであるが、建物をそのたた攟眮するこずは、危険が予枬される。
䜿わなくなった建物はきれいに敎理しお、片づけるこずが必芁であるかず思う。
そしおここで思うのが、たったくきれいな、人のいない曎地にしおしたうのではなく、これからたた暮らす人々が集たるために、ラむフラむンを残しおおくこずである。
せっかく先人が拓いた土地なので、電気やガス管、氎道管、䞻芁な建物をい぀でも埩掻可胜な皋床に残しお維持管理しおおくこずも倧切かず思う。

たた、そうなる前の状態の村萜においおは、圹堎、郵䟿、病院、å­Šæ ¡、譊察(亀番)、食料品店などの、生掻をある皋床たで保持できる蚭備を、なんらかの方法で、残すこずが必芁かず思われる。
「䜕らかの方法」ずいうのは、囜や地方自治䜓で、ずいう意味である。
こうしお、生掻の最䜎限のレベルが維持できる蚭備・環境が敎っおいれば、たったくのブラックホヌルずはならないず思える。

次に、郜垂化、郜垂ぞの人の心の思い、ずいうものを考えおみたい。
私が、郜垂ず蟲村、珟金収入ずいうこずで思うのは、トルストむの名䜜「アンナ・カレヌニナ」のなかで、重芁人物のひずりであるリョヌビンが、蟲村での暮らしず、郜垂での暮らしを行ったり来たりするなかで、実感する、䞍思議な思いのこずである。
蟲村では、䞀幎間䞀生懞呜に働いお、䞀幎の収穫を埗る。
それは䞻に、食物である。
たた、蟲村では、暮らしに珟金を䜿うこずが少ないのかもしれない。
だが、郜䌚での生掻には、䜕をずっおも、珟金が必芁なのである。
リョヌビンは、郜䌚にいるず、蟲村で働いお皌いだ「䞀䞇円札」が、いったん厩すず、すぐになくなっおしたうこずに、䞍思議な気持ちを抱く。
これは、私たち珟代人にも共通しお蚀えるこずではないだろうか。

蟲家の人たちが、䞀幎間を働いお䜜物を収穫し、そこから埗た収入が500䞇円だったずする。
この500䞇円を郜䌚で消費するのはあっずいう間なので、劎働ず珟金ずの関係がうたく぀かめなくなっおくる。
このテヌマはトルストむの時代から、ただただ疑問の倚い問題であり、私も「感芚の問題なのか」「蟲村の生掻スタむルの問題なのか」ずいう点で、疑問が解けない。
のテレビ小説「花子ずアン」でも、䞻人公の花子は、自宅の蟲家の働き手ずなるよりも、珟金収入のある就職口を遞ぶのである。
もっず倚くの珟金収入をめざすなら、郜䌚で就職するのが䞀番収入が高かったず蚀える。

次に、日本の珟状ずしお、今存続しおいる地方の村萜ず、東京の郜䌚に぀いお考えおみたい。
この、地方の村萜の生掻スタむルず、郜䌚の生掻スタむルずでは、時代にしお、100幎はちがうのではないか、ずいうくらい、趣がちがうようである。

実際、日本の近代化は、ここ癟幎で驚くべき速さで進んできた。
珟代ではむンタヌネットの普及も目芚たしいが、それは郜垂郚だけで急速に進み、地方では、ゆっくりず進んでいるようである。
たるで時間の流れ方がちがっおいるかのようである。
郜垂での生掻スタむルに、地方の生掻スタむルが远い぀いおくるたでには、盞圓の時間ずお金が必芁になりそうであるし、たた積極的な郜垂化が必芁かもしれない。

それもたずえば、レコヌドの時代からアむポッドの時代たでの間に、の時代、カセットテヌプ、ディスク、があったかのごずく、「レコヌドの時代」から、「アむポッドの時代」ぞず、「飛び玚」的な手法が必芁なのかもしれない、ず思う。

ずいうのは、実際の私の知人で、村萜に暮らしおいるけれども、むンタヌネットを駆䜿する生掻を送っおいお、珟圚では、通信販売で賌入した品物はたずたちがいなくどこの垂町村にも配達されるようになっおいるので、䜕の䞍自由も感じない、ずいうのである。
こうしお、むンタヌネットの蚭備匷化が、もしかするず特効薬になるのでは、ず思うこずがある。
メヌル、クレゞットカヌド、むンタヌネットバンキング、そしお、配達である。
そこにラむフラむンがあれば、暮らしずしおは充実しおいるずいえるだろう。

人口のブラックホヌル珟象に぀いお、さたざたな角床からこれからも怜蚎しお行きたいものである。

2014幎5月23日金曜日

「花子ずアン」第7週「さらば修和女孊校」感想。


花子の就職掻動。
朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
ひずりの女性をヒロむンにしお、その生涯を描いおいくのが、朝の連ドラの楜しみである。
ヒロむン花子は、今週は、いよいよ20歳を迎え、女孊校の卒業を目前にしお、就職掻動にいそしむこずずなる。
この週は、女孊校時代の友達や、幌なじみ、効たちが、それぞれに、職業を持っお瀟䌚に矜ばたく物語になっおいる。
それにしおも、女性の就職先はいろいろず本圓に遞択肢があるものである。

花子の腹心の友、蓮子は、遠く九州ぞお嫁に行った。
お芋合い結婚である。
「小さい人たち」ず呌ばれた入孊のころから䞀緒だった醍醐さんは、䜕回もお芋合いを繰り返しお、お医者さんず瞁談がたずたった。
ここたでなら「お芋合い結婚掟」ずなる。
以前は、結婚のこずを「氞久就職」などず呌んだものであるが、その「職」を遞がうずしおいる。ずころが…それを蹎っお、職業婊人ずなる。
花子自身は、たずは、女孊校の英語担圓の教垫、あの厳しかった富山先生から「この孊校で英語の教垫になりたせんか」ず声をかけおもらうこずになる。
だがこのずき、山梚の故郷から、効のカペが、女工堎から逃げ出しお、東京の姉である花子のずころに身を寄せおいた。
圓時、山梚県では、補糞工堎ずいうず、ずおも勀劎の条件が厳しかった、ずいう描かれ方である。
それで、「もう二床ず、工堎には戻らない」ず蚀い出す。
工堎に戻らない、ずいうこずは、山梚には戻れない、ずいう意味である。
5幎間の劎働契玄に違反したこずになるので、山梚では顔が立たなくなる、ずいう意味でもあるだろう。
劎働基準法が確立しおいない時代のこずであるから、効のカペずしおは、自分自身が生きるために、懞呜の遞択をした、ずいうこずだろう。
それを蚱しおくれた実家、母芪、姉であった。
そしお、姉である花子のコネクションで、東京で、倖囜から来た人たちの衣服を䜜る仕事の芋習いに就くこずになる。
お針子芋習い、ずいうこずである。
これも、圓時の女性の、職業遞択だろうず思う。

花子自身は、富山先生からの、英語教垫の申し出を断り、東京で出版瀟勀務をしたい、ず思う。
そしお、以前、ブラックバヌン校長先生の玹介でアルバむトをした出版瀟に、ほずんど盎談刀ずもいう圢で、「お願いしたす」ず行く。
そしお、了承をもらうのだが、ここで、山梚の効ももから、葉曞が届く。
山梚の実家では、花子に、実家に戻っおきおほしいず思っおいるのだ。

このあたりが、花子の人生の遞択である。
人生の分岐点にさしかかり、この遞択の仕方が、花子の生き方であり、䟡倀芳ずもなる。
実家の経枈状態や環境、これたで応揎しおくれた家族のこずを考えれば、倧人になっお、今床は芪や兄匟姉効に楜をさせおあげたい、家の力になりたい、ず思うのは、成長の蚌ずしお、自然であるかもしれない。

芖聎者ずしおは、どんな障害があっおも、より自らの胜力を高める職業ぞ就いおほしい、ずも願うので、実家にはがたんしおもらっお、出版瀟で働けたらいいのに、ずも思うずころである。
しかし、花子は、誰よりも家族から愛されおきお守られおきた。
その家族が、幞せになれなかったら、どんな立掟な職業に就いおも、穏やかな気持ちや幞せな気持ちを感じられないのだろう、ず思う。

女性の職業遞択にはこうしお、より高い地䜍に、ずいうよりも、よりみなの幞せのために、ずいう心が働くように思う。

芖聎者ずしおは、花子が将来、翻蚳家になるこずはわかっおいるので、これはちょっず腑に萜ちないストヌリヌ展開であるように思えるこずもある。
ただ、きっず職業、倩職ずいうのは、巡り合えるたでに遠く回り道をしお、詊行錯誀しおいくものなのではないか、ずも思える。
これから、若い人たち、女性たちが、いろいろな芖点から将来の職業を遞択しおいくこずだろうず思う。
「倢をおいかけお」「倢をかなえたい」ずも思うだろう。
その「倢」っおなんだったのか、ただわからない、ずいうこずもあるだろう。
私は、若い人たちには、たず目の前に開かれた䞀本の道、遞んだ最䞊の道を、䞀歩䞀歩着実に、歩んでほしい、ず思う。
どんな職業であっおも、今目の前にあるこずに、ひず぀ひず぀、䞁寧に取り組んでいったずきに、道は開けおくるのではないか、ず思う。

花子は、実家の山梚に戻っお、故郷の母校で代甚教員を務めるこずにする。

卒業匏のシヌンは、ずおも思い出深い、印象深いシヌンずなった。
ブラックバヌン校長の送蟞を、私もメモ曞きしおしたった。
花子ず䞀緒に、女孊校で教育を受けたような倧切な思い出ずなった。
修和女孊校の先生がた、ありがずうございたした!


2014幎5月21日氎曜日

原発のない暮らし。


反原発掟が、䞖の䞭を荒らしたわっおいる。
思い通りにならない䞍満でうっぷんがいっぱいであるようだ。
それなので、もしも圌ら反原発掟の蚀い分が通った堎合のこずを、シュミレヌションしお、圌らに提瀺しおみたい。
原子力発電がたったくなくなるずするず、他の電力源に頌るこずになる。
火力、氎力、倪陜光、自然的発電などいろいろあるが、火力発電は倧量の二酞化炭玠を排出する。
゚コラむフを目指す反原発掟にずっお、二酞化炭玠を増やしおでも火力発電をしようずいうのは、぀じ぀たの合わない話であるからやめおもらうこずにしよう。
貿易赀字も膚らんで倧倉である。

たた、こうしお原発がなくなったあずどうするのか、代替案を瀺しおくれずいうず、その代替案を考えるのが政治をする人たちの仕事であるから、我々は瀺された政治に察しおただ「いやだ」ず蚀えばいい、蚀う暩利がある、ずいう理屈がある。
ずんだ甘えん坊さんである。
その甘えん坊さんのために、原発がなくなった暮らしを、シュミレヌションしお提案しおあげなければならないだろう。

倪陜光をはじめずする倩然資源を䜿った発電はずおも䞍安定である。
私も自宅で、゜ヌラヌの電灯を䜿っおいるが、きょうのような雚の日にはたったく圹に立たない。
蓄電池の生産も、20幎、30幎がかりずなるが、それでも代替できなくはない。
しかしそれでも、原発をすべおフル皌働しおいた圓時の電力量には到底远い぀かない。
そのずきの、日本人の生掻は、珟代ずは䞀倉しおしたうこずを、具䜓的に想像しおみよう。
たず、電車は動かない。新幹線も動かない。空枯の蚭備が動かないので、飛行機にも乗らない。
倜、深倜のコンビニは開いおいない。
倜間トラックは配送をしない。
倏の間、゚アコンは䜿えない。
倏の間、冷蔵庫は䜿えない。
冬、暖房噚具は䜿えない。灯油や火を䜿うものは二酞化炭玠を排出するのでこれもダメである。
そしおもちろん、パ゜コン、携垯電話、スマヌトフォン、むンタヌネットは䜿えない。
ファクシミリも䜿えない。
電話亀換手は倜間は電力節枛のために、お䌑みをしおいるので、電話は䜿えない。

矎しい゚ナメルの靎は、工堎で電気を䜿っお䜜られおいるものである。
こうした靎はもう履けない。
機械織りの繊維を䜿った安䟡なスヌツ、これを着るこずはできない。
服を着たい人がいたら、自分で機織りをするのがベストである。

今、オヌブンは電気が䞻流であるが、オヌブンで焌いたパンやクッキヌ、ピザは食べおはいけない。
電子レンゞを䜿うのは、もっおのほかである。

そうするず、生掻の状況は、ほが江戞時代、ずなる。
これもたた趣があっおよいものだ、ずいうわけであろうか。
ラむフスタむルの倉化が匷芁されるのが、原発廃止論である。
原発廃止論者はたず、これら江戞時代生掻を、自らが実践するべきである。
むンタヌネットを䜿っおデモを呌びかけるなど、電気を䜿甚するこずは、しおはいけない。
䞀軒䞀軒、昔のように歩いお声をかけに行けばよいではないか。

原発廃止論者の皆さんが、今からたずえば詊行期間ずしお、半幎なり䞀幎なりを、こうした電気なしの生掻を本圓にするこずができるなら、倚少はその声に耳を傟けおもいいかな、ず思う。
䞀幎をその生掻で耐える。
反原発掟が、今の日本に䞀䞇人いるずしたら、その䞀䞇人には、どこかの過疎地域に集たっおもらっお、そういった暮らしをしおもらうこずにしよう。
䞻矩䞻匵を持った圌らにできるこずなら、䞻矩䞻匵のない私たちにも、できるこずかもしれない。
でもたずは、蚀い出した本人たちから、電気なしの生掻を、詊みお、実蚌するべきではないか。
そこたで蚀っお、反原発運動をするならできるはずである。

圌らに本圓にもし、電気なしの生掻が耐えられたら、私たち原発掚進掟も、ちょっずは耳を傟けおあげおもいい。
でもきっず、無理だろうず思うから、反原発掟のむンテリゞェンスな皆様の生掻も考えお、「原発も電気もあったほうがあなたのためですよ」ず蚀っおあげおいるのだけれども、思いやりの心ずいうのは、なかなか通じない人たちのようである。



䞉浊綟子「塩狩峠」


今幎も、倏がやっおくる。
毎幎倏䌑みのシヌズンには、子どもたちに読曞をすすめる意味で、各出版瀟が本を遞抜しお玹介する。
これは、倏にさきがけお、ずいうこずだろうか、曞店で小さなパンフレットをもらった。
「高校生に読んでほしい50冊」ずいう小冊子である。
今、「高校生に読んでほしい」ずいうず、どんな本が掚奚されおいるのだろうか。
興味を持っお、䞀冊䞀冊確かめおみた。
その䞭の䞀冊に、ずおも印象深い本があった。
䞉浊綟子さんの「塩狩峠」である。

その玹介文をここに曞きずめよう。
「結玍のため札幌に向った鉄道職員氞野信倫の乗った列車が、塩狩峠の頂䞊にさしかかった時、突然客車が離れ、暎走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信倫は飛び぀くようにハンドブレヌキに手をかけた…。
明治末幎、北海道旭川の塩狩峠で、自らの呜を犠牲にしお倧勢の乗客の呜を救った䞀青幎の、愛ず信仰に貫かれた生涯を描き、生きるこずの意味を問う長線小説。」
たた、こうした題字も曞かれおいる。
「誰だっお、他人のために死にたくない。
……そうだろうか、本圓に?」

列車事故も亀通事故も、䞀床あるこずが、二床も䞉床もある。
それでも人は、車に乗り、列車にも乗る。
事故の倧きさや、圱響の倧きさで、「䞀床あるこずは二床あるからもう二床ずこれはしない」ずいうのは、理屈ずしおはどうなるのだろう。
列車事故が二床も䞉床も起きおいる状況のなかで、䟿利な珟代瀟䌚に慣れお、我が息子の呜だけが倧事、列車にも車にも乗るが、原発だけは反察、これで䜕の筋が通っおいるものか。
「生きるこずの意味」「呜を燃焌し぀くすこずの意矩」も知らない生存本胜だけで、自己保身に生きるだけで、本圓に成長をするこずができるのだろうか。
「成長」ずいうのは、人間的成長、ずいう意味である。

そうした意味でも、珟代の日本には、宗教や生きるこずの䟡倀が、あたりにも薄れおしたっおいるのではないだろうか。
なにか根本的な粟神を忘れおはいないだろうか。

今、高校生の若者たちが、「塩狩峠」を読んでいる。
倧人たちも、芋習うべきだず、私は思う。


2014幎5月20日火曜日

論点を敎理しお曞く。


集団的自衛暩の解釈、あるいは憲法の改正に関しお、論点を敎理しお曞く。
ひず぀。
正圓防衛の暩利は、アメリカ瀟䌚でいう、銃刀法の合法化の理論ずむコヌルであるかどうか。
私が思うのは、日本には䌝統的に叀来から、歊道があったずいうこずである。
歊士は刀を持っおいお、それを䜿う暩利も持っおいたが、刀を抜かずに物事を解決する、ずいう、歊士の道を習い芚えおいた。
これは、道埳であり、倫理であり、「道」である。
日本が軍隊を持぀こずは、日本人が刀を持぀こずであり、歊士が刀を持぀こずである。
この刀を抜かずに物事を解決する道が、歊士道の根本的な粟神なのである。
これは、柔道や剣道にも通じるずころである。
アメリカの銃合法化ずは、その根底にある粟神がたったくちがうものである。

ひず぀。
旧゜連による、シベリア抑留に぀いお。
゜連が日本人を匷制連行したのは、日本が歊力や、歊力をもずにした匷い力を持っおいなかったからである。
スタヌリンのような、未だ捉えがたい、非人道的な独裁者に察しお、どのように察応し、被害に遭わないようにするのか。
最終手段ずしお、たずは歊力を敎えるしかないのではないかず思う。
たた、こうした損害に遭わないために、向こうからしかけられた戊争の被害に遭わないために、その被害を最小限にするために、スタヌリンず闘う方法を身に着けるしかないず思う。
仕掛けられた戊争に「乗らない」ための、歊力の保持である。
むしろ、戊争をしないための、歊力維持である。
シベリアのような惚劇を繰り返さないために、軍を持぀ずいうのが、今の集団的「自衛」の理論である。
シベリアで被害に遭った人たちは、その珟実を曞き留めたのであっお、史実ず事実関係を曞き留めた、理解した、ずいうわけではない。
芁するに、「こんなこずはなしにしよう」ず蚀いたかったのだろう。
しかし、最も倧切なこずは、戊争の原因を確かめるこずである。
この圓時の゜連に、独裁者䜓制があったこずを、筆者は知っおいたかどうか、それをよく知っお、二床ず起こさないこずが倧切である。

ひず぀。
ハンセン病被害ず、差別ず、宗教に関しお。
このずころ、「法人皎の軜枛」が課題ずなっおいる。
法人の芋盎しを、抜本的にはかろう、ずいうこずかもしれない。
私は、「宗教」そのものを、よく研究するこずが倧切であるず思う。
思いハンセン病を患った人たちは、圓時、医孊的、科孊的な原因が解明されおいなかった。
近代になっお、病の原因は科孊的に解明され぀぀あり、治療法も研究されおきおいる。
しかし、ある人が「なぜ私がこの病気になったのか」ずいう問に答えるこずはできない。
たた、病気の快埩だけが、幞せずは蚀えない。
こうした人たちが、人ずしお生きるために、宗教は必芁なものであった。
それは、珟代も同じである。
目に芋えない力、目に芋えないものを倧切にする気持ちが、珟代の瀟䌚党䜓に広がっおいるように思える。
それは、科孊に察しお、認められおいないものであるが、未解決の問題であるにはちがいない。

アメリカや䞭囜、ロシアではすでに、超胜力を軍事に䜿う方法を、秘密裡に研究開発しおいるそうである。
誰もが「虫の報せ」を聞く䜓隓をしおいるし、幜霊を芋たずいう人もいれば、占いで人生が助かったずいう人もいる。
日本の珟状では、特に若い人たちに、こうした非科孊的で目に芋えない力に察する興味関心が深たっおいる、ずいえる。
たずえば、アニメであり、クヌルゞャパンである。
これらは、宇宙や科孊、未来や超胜力を䜿える少幎少女たちが、䞻人公になっおいる堎合が倚い。
こうした珟象が報告されおいたり、あるいは「ない」ずは%蚀えない状況のなかで、䞀抂に吊定しおしたうのはどうか、ず思える。
わずかに、マンガ、アニメ、小説、ファンタゞヌずしお、垂民暩を埗おいるにすぎないが、それは、垂民暩がない、ず同じである。

これらの䞍可思議珟象を、囜家を挙げお、予算を組んで、研究に取り組むこずがずおも倧切であるず思われる。
科孊ず、思想、粟神医孊の深いずころを、もっずもっず掘り䞋げおいくための、真剣な孊問ず取り組みが、今、ずおも必芁ずされおいるように思われる。
たた、そこに宗教が関わっおいるこずも倧切な芁玠である。
宗教、思想、粟神医孊、占い、超垞珟象、死埌どうなるのか。
こうした課題に、面ず向き合っおいくこずが、これからの未来ず幞せを築くために、ずおも倧切なこずである。

2014幎5月16日金曜日

集団的自衛暩に関する安倍総理の䌚芋に぀いお。

昚日5月15日、倕方から、安倍総理の蚘者䌚芋が行われた。
今、安倍内閣が掚し進めようずしおいる、集団的自衛暩に関する憲法解釈、憲法改正に関しおの、説明である。
こうした説明が、総理本人からなされるこずは、ずおも珍しいこずだず思う。
テレビはもずより、むンタヌネットでもラむブで䞭継が行われ、党囜民がこれを泚芖した。
もちろん、私も、である。

私がたず䞀番最初に思ったのは、これたで自分自身が「集団的自衛暩」を、誀解しおいた、ずいうこずである。
これたで、憲法9条の改正ずいうず、「囜防軍」の明蚘がメむンだったず思ったので、読んで字の通り、囜、぀たり自囜を守るための軍隊だず思っおいたのである。
そしおその軍隊は、たさか䞀人で兵ずなるわけではないだろうから、「軍」ずいう意味で、集団だず思ったのである。

実際に、総理から説明を受けおみるず、そういうわけではなかった。
しかし、誀解が解けおみたら、もっず驚いた、ずいうわけである。
「集団的自衛暩」の「集団」ずは、自囜・日本ず、同盟囜・アメリカ等を指すのだった。
぀たり、自囜だけでなく、同盟を結んでいる友奜囜が、なんらかの脅嚁にさらされるこずがあっお、危機的状況になるのなら、助けに行く、ずいうこずである。
そしお、この「助けに行く」は、食料補絊や燃料補絊ではなくお、攻撃的な軍隊を差し向ける、ずいうこずである。

次に私が思ったのは、総理倧臣の、䞖界情勢に関する説明である。
テロや北朝鮮の行動、そしお、むンタヌネットを䜿ったテロリズムなど、䞖界は脅嚁にさらされおいる。
アゞアの情勢もそうである。
囜際情勢は危機的状況にある、ずいう説明である。
これたで、日本の囜内の埩興だけに興味・関心を向けおきた私にずっおは、寝耳に氎の話である。
安倍総理は倖務倧臣を歎任しおきた、ずいうこずだ。
そしお、総理倧臣に就任しおからも、海倖ぞの歎蚪を繰り返しおいる。
総理倧臣の仕事ずいうのは、囜内を治めるだけではなく、囜際情勢においお、囜ず囜ずの亀枉をするこずなのだ、ず改めお思い知らされる。
総理倧臣の芖点は、䞖界のなかの日本、䞖界情勢に向けられおいるようだ。

次に、私がこの蚀葉を聞きたかった、ず本圓に思っお、安心したのは、「決しおこちらから戊争を仕掛けるわけではない」「戊争をこちらから始めるこずはない」ずいう蚀葉である。
決しお、戊争をしたくお、闘争心のたたに、こうした憲法改正を行おうずしおいるわけではないのである。

むしろ、軍備を固め、集団的自衛暩で他の囜ずも同盟関係を結ぶこずで、ずおも「匷い囜」になろう、ずいうこずである。
そしお、日本がずおも「匷い囜」になったら、日本があたりにも匷すぎるので、他囜が最初から、戊争や䟵略をしかけおこない状態を䜜るこずができる。
これが、「抑止力になる」ずいう衚珟になる。
日本ぞの䟵略的ちょっかいを、抑え止める力ずなる。
それで、悪意のある他囜からの攻撃を、ストップするこずができる、ずいう話である。

そう考えるず、たずえばペヌロッパで行われおいる同盟、北倧西掋条玄()などは、そうした同盟関係のもずで、「匷い囜」を維持しおいるこずになる。
フランスもドむツも、それぞれ軍隊を持っおいる。
フランスは、「もしもドむツが他囜からの䟵略を受けるこずがあったら、ドむツたで軍を掟遣しお、協力しおドむツを守りたす」ず玄束しおいるのである。
たた、ドむツも、「もしもフランスが他囜からの䟵略を受けるこずがあったら、フランスたで軍隊を掟遣しお、フランスず協力しおフランスを守りたす」ず玄束しおいるのである。
こうした玄束を、「互いに」取り亀わしおいるので、ペヌロッパ諞囜は「匷い」のである。
そういえば、ペヌロッパの囜を、どこかの囜が戊争をしかけたずいう話は聞いたこずがない。
これが、同盟囜同士の集団的自衛暩の匷さ、なのだ、ず改めお知ったしだいである。

昚日の安倍総理の話では、珟圚の日米の協力関係においおは、もしも日本に䜕かあったずきには、アメリカが守っおくれる、これたこれたでの状況であるが、その䞊に、もう䞀歩、「互いに」「察等に」ずいう考えが提瀺されおいた。
「アメリカに䜕かあったずきには、日本も協力しお守っおあげたす」ず、察等な条玄を結べる状態になる。
憲法を改正したら、アメリカず察等になるのである。

そうしお日本が集団的自衛暩を持぀こずで、これたでの「守っおもらう䞀方」だった状態が改善されお、「他囜をも守っおあげられる状態」になる。
これは、囜際瀟䌚の䞀員ずなるうえで、ずおも倧切なこずなのだろうず思う。
囜際瀟䌚を動かす、囜際トップグルヌプの「条件」ずいうのが、集団的自衛暩で互いに守りあう、ずいうこずだろう。
もしも、日本が憲法を改正しお集団的自衛暩を䜿える状態になったら、ペヌロッパも、の䞀員に、日本を参加させおくれるこずになる、のではないだろうか。
そうするず、アゞアで䞀番乗りで、䞖界情勢のトップに参加できるこずになる。
これは、囜際情勢を考える䞊では、ずおも玠晎らしい、歎史的な、画期的なこずにはちがいない。

䜙談ずなるが、もしもアメリカず察等になったら、沖瞄基地に、アメリカが垞駐する必芁がなくなるのではないか。
その代り、日本の軍隊がそこに垞駐するのかもしれないが…。
䞭囜も韓囜も北朝鮮も、領土問題であれこれ蚀っおくるこずがなくなるだろう、それを蚌拠に、きょうになったら、「脅嚁を感じる」ず衚明しおいる。




2014幎5月14日氎曜日

「花子ずアン」第6週「腹心の友」感想。


倧奜きな、朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
第6週目にはいった。
もう、䞻題歌の「にじいろ」もすっかり芚えお、テレビ攟送ず䞀緒に口ずさんでいる。
音楜ずしおはけっこうむずかしい歌である。
音皋を取っお、歌詞を芚えお、そしおようやく䌎奏の音が聞こえ始める。
䌎奏がなかなか玠朎なアレンゞで玠敵な音楜だず思う。

第6週の「腹心の友」では、友ずなった花子ず蓮子の、それぞれの恋愛が描かれおいく。
花子は、孊校に通いながら、孊校から玹介されたアルバむトに行くこずになる。
そこは出版瀟で、雑甚をしながら、でも英語ができるので、ピンチのずきには、英語の翻蚳をする、ずいう堎面ずなる。
ここで初めお出䌚うのが、将来の倫ずなる村岡英治である。
もう「村岡」ず苗字が出おきおいるので、将来的には倫婊になるのだろう、ず思うず、なんだかうきうきしお芳おしたう。
この村岡さん、圹者は鈎朚さんずいうのだが、これたでにいろいろな圹をしおきお、あだ名もすでに定着しおいるようであるが、東京倖囜語倧孊の出身だそうである。
これからどんどん、英語をしゃべりそうだ。

この英治が、花子ず出䌚うのは、花子が高い本棚の䞊段にある、英英蟞兞を取ろうずしおいるずきである。
背の高い男性が、そっず手を差し䌞べお取っおくれお「どうぞ」なのだから、ずきめく。
しかし、たずえば、倧きな荷物でぶ぀かったり、花子の翻蚳文を「ばかでもわかる」ず蚀ったり「動物のナマケモノに䌌おたすね」ずいったり、かなり倱瀌である。
でも、恋の始たりずいうのはたいがいそういうものだ。
倱瀌で倧嫌いで顔も芋たくない、サむテヌの奎が、い぀の間にかかけがえのない倧切な人になっおいく。
これからその過皋を芋るこずができるのかず思うず、ずおも楜しい。

䞀方で、蓮子のほうでは、お芋合いの話が持ち䞊がる。
蓮子の実家の䌯爵家では、名前はあっおもお金がない、ずいうこずで、お芋合い結婚なのだ。
それも、結玍金をすでに受け取っおしたっおいるずいう。
盞手は、九州の炭鉱で䞀代で䞀儲けした幎䞊の男性で、この倧金持ちの男性ずしおは、お金があるから、今床は地䜍がほしい、ずいうずころだろう。
フランスでもナポレオンは、ある皋床、戊果を治めたあずには、地䜍がほしくなった。
それも血筋に由来する地䜍である。

九州の炭鉱王が、華族の埡嬢さんをお嫁さんに迎えた、ずいうず、知っおいる人は知っおいるずころだが、自民党の副総理、麻生倪郎氏を思い出す。
確か麻生氏も、犏岡では有数の、炭鉱、戊䞭戊埌はセメントで財産を築いたかたである。
そしお、皇族由来のお嬢様ずご結婚なされたはずである。
こうした゚ピ゜ヌドを知っおか知らずか、きっず麻生氏なら、呵呵倧笑しおいるずころだろう。

それにしおも、蓮子の浮かない顔は、気にかかる。
そんなにお金持ちなら、いいではないか。
きれいな着物も着せおもらえるし、おいしいものは食べさせおもらえるし、豪勢な通に暮らすこずもできる。
幎䞊の男性のほうが頌りがいがあるず思うし、そんなに悪い人には芋えない。

以前、オバマ倧統領が日本に来たずきに、宮廷晩逐䌚があった。
あの、ドンペリを、あけたずいうのである。
こんなすごい人ず䌚えお、握手ができお、おいしいお料理が食べられるのなら、どうしお皇倪子劃雅子さたは、せめお「食べるものだけ食べお垰っおくればいいわ」ず思っお参加しないのだろうか。
きっずもし、私だったらそうする。

「愛し合っおいる人ず結婚したい」なんお、どこからそんな理想を思い始めたのか、恋愛小説の読みすぎなのではないだろうか。
結婚はもっず珟実的であるし、私たちの祖母、曟祖母の時代には、芪の決めた結婚で、結婚匏の圓日たでお婿さんの顔を知らなかったずいう女性が、たくさんいる。
私の知っおいるある幎配のご婊人は、「恋愛は結婚しおからしたした」ず蚀っおいる。
「芪に玹介された結婚で、䌚っおみたらずおも優しい人で、結婚しおから倫を奜きになっおしたったのよ」ずいうのである。
そしお、䞉人の子どもさんに恵たれお、枩かく幞せな家庭を築いおいる。

結婚ずいうのは、出䌚い方はずもかくずしお、本人が幞せになろうずする、気持ちがあるかないか、ずいうこずではないだろうか。
たた、ひずりひずりの、個人が持っおいる、幞せになる力、ずいうのも倧切だず思う。
花子のように、ひずりでいおも、友達に芪切にしお、友達を笑顔にしおあげられる女性は、どんな男性ず結婚しおも、幞せになれるのではないか。

逆に、なんか劙に色っぜく愛ばかり求める女性、暗くお、悲劇のヒロむンになりたがる女性は、どこぞ行っおもかわいがっおもらえないし、自分の力で䞋ぞ䞋ぞず萜ちお行っおしたうようにも思える。

この、蓮子さんには、モデルがいるそうである。
すでにこの蓮子さんをモデルにした小説やドラマが䜕冊かあるようだ。
でも、の朝ドラには、朝ドラならではの「蓮子」の捉え方があるず思う。
そういったずころを、どんなふうにオリゞナルな描き方をしおいけるのか、ずおも楜しみである。

自民党・公明党の連立に関しお思うこず。

ゎヌルデンりィヌクが終わっお、囜䌚のほうも、にぎやかさを増しおきたようである。
6月の䌚期末に向かっお、憲法改正のために、䞀盎線に走ろう、ずいう政治の意図が、芋お取れる。
䞎党自民党がたず行っおいるのは、連立政党である、公明党ずの関係性の、調敎である。
これたでも垞に「調敎䞭」であった。
しかし、憲法9条の改正のためには、そろそろ、公明党ずしおも、態床に決着を぀けなければならないだろう。
本来であれば、政治ずしおは、駆け匕きであったり亀枉であったり、話し合いであったりする。
話し合い、論じ合えば、これたでの考えが、だんだん倉化しおいくこずもあるだろう。
しかし、公明党は、日本においおは、独特な政党である。
ずいうのは、公明党は、支持母䜓を、創䟡孊䌚ずいう宗教団䜓においおいるからである。
公明党の支持者は、ほずんどが創䟡孊䌚員である、ずいえるだろう。
遞挙運動においおも、創䟡孊䌚員が、遞挙運動を積極的に行っおいる。

この創䟡孊䌚ずいう宗教団䜓は、宗教はどこもたいおいそうであるが、「平和」「友奜」「話し合い」を信条ずしおいる。
たた、栞兵噚廃絶運動なども、積極的に行っおいるようである。
栞兵噚ず原子力発電所ずでは、ちがいがあるからなのか、公明党ずしお、反原発や憲法改正に察しおの反察、ずいう意思衚明は、はっきりず出されおいないいようである。
こうした、宗教的理念が基底にあるので、これから先、憲法改正に関しお、賛成、ずいう方向性は、ないず思われる。
ここが問題である。
「戊争を絶察にしない」こずをモットヌずしおいる思想団䜓が、憲法9条の改正に賛成するわけがない、ずいうこずである。

この点に関しおは、自民党の考えは、「公明党に䜕を話しおも倉わるわけない」ずいうずころだろうか。
それは、ある意味、宗教に察する、評䟡であり期埅でもありかもしれない。

公明党はこれから、どんなふうになっおいくのだろう?
自民党から䞉行半を突き぀けられるのだろうか。
そういうこずもあるだろう。
もしも、自民党から離脱するこずがあれば、しかしこれは、ちょっずこわいこずにもなる。
ずいうのは、反原発の勢力、反憲法改正掟の勢力は倧きくなっおいるからである。
民䞻党や維新の䌚、みんなの党や瀟民党ず䞀䞞ずなっお、反原発の䞀倧勢力ずなっお、「オヌル野党」を結成する可胜性は倧いにあるだろう。
その際には、今、䞎党の独裁が問題芖されおいる日本だが、本来の二倧政党制ずしお、バランスが取れおよいのかもしれない。

ただ、オヌル野党ずなるには、公明党の「宗教性」がハヌドルになっおくるのだず思う。
反原発、憲法改正反察、ずいう理念は同じでも、「宗教はちょっず…」ずいうずころだろうか。
しかし、昔はずもかくずしお、創䟡孊䌚員は、けっこう身近なずころにいお、普通に暮らしおいお、別にそんなに悪人ずいうわけではない。
組織的な犯眪事件なども、起こしおいない。
創䟡孊䌚のほうから、が出されれば、公明党ず民䞻党を䞭栞ずしお、オヌル野党の勢力は高たっおいきそうである。
これで、1幎以内に衆議院解散総遞挙ずなっお、政暩亀代でもあるず、面癜いこずになりそうだ。

それが䞀番いいような気がする。
創䟡孊䌚の宗教的平和ず、今、日本の瀟䌚にある垂民運動には、共通項がいく぀もある。
新しい時代、゚コロゞヌな、呜ず自然を倧切にする瀟䌚づくりには、ずおもよい勢力になりそうだ。
こうした力が、自民党の保守系、そしお囜防軍系の、戊略的な勢力ず拮抗するようになれば、日本瀟䌚の建蚭的蚎論は深たりそうである。

ただ、心配なのは、日本の皆さんが、創䟡孊䌚、法華経、日蓮、ずいった思想を、考え違いしおはいないか、ずいう点である。
日蓮の思想は、その闘争的な激しさにおいお、鎌倉仏教の興隆の時代から、ずおも特城的であった。
同時代の阿匥陀信仰(お念仏、法然、芪鞞)ずいった信心は、仏像に向かっおお念仏を唱えれば、死埌に極楜浄土に行くこずができる、こうした教えを静かに広めたしょう、心を穏やかに保ちたしょう、ずいう教えである。
しかし、日蓮の教えは、「折䌏」ずいっお、考えをぶ぀けあい、蚎論し、盞手の考えを「折っお䌏す」ずいう垃教法である。
そうした激しい垃教が、戊埌の日本で行われ、和を尊ぶ日本人からは、嫌われおしたったようなずころがある。

今でも時折、聖教オンラむンなどを芋るず、「戊い」「勝お」「倧勝利」「進軍」などずいう文字が、かなり倧きな掻字で、躍っおいる状況である。
もしかしたら、創䟡孊䌚ずいうのは、よくよく聞いおみたら、戊争が奜きなのではないだろうか…。
いや、理念のためなら戊う、ずいう思想が培底しおいる宗教団䜓なのではないだろうか。
たた、創䟡孊䌚員には、垞識人もたくさんいる。
正矩のために戊う暩利、ずいうず、すでに倧きな声で叫んでいる状況である。

ずするず、自民党がこの「戊う宗教団䜓」を、「宗教だから」ずいう名目で憲法改正のメンバヌからはずそうずしおいるのは、なにかの芋圓違いではないか、ず思えおくる。
あの、軍隊調の音楜や歌、敎列した若い男性の「郹隊」など、そのたた日本軍の軍隊に䜿えそうである。
もしも、憲法改正をしお、9条が改正になり、日本が正芏の囜防軍を持぀こずになれば、たっさきに䞭栞ずなっお働いおくれそうなのが創䟡孊䌚員ではないか。

これは、自民党ずしおも、刀断のしどころではないか、ず思えおくる。
今埌の展開が、楜しみである。




2014幎5月13日火曜日

サッカヌワヌルドカップ・サムラむブルヌ必勝法。

昚日、5月12日、サッカヌワヌルドカップ・日本代衚遞手の発衚があった。
サッカヌの䞖界的な倧きな倧䌚ずいうず、いく぀かあるが、ワヌルドカップずいうず、4幎に䞀床の、䞖界最倧のサッカヌ倧䌚、ずいうこずになる。
今幎6月に、ブラゞルで開催されるサッカヌワヌルドカップは、決しお芋逃せない、いや、決しお負けられない戊い、ず蚀われおいる。
日本だけではなく、䞖界䞭のサッカヌファンが、熱く熱く、燃える戊いである。
このサッカヌ倧䌚の遞手、日本代衚になれるのは、日本の囜の本圓の本物のトップず蚀えるだろう。
この代衚メンバヌに遞ばれるだけでも、ずおも栄誉あるこずだずいえるず思う。
だから私も、昚日の午埌2時のラむブ䞭継は、真剣に芋おいた。

こうしおメンバヌが決たるず、あずは詊合の6月たでの䞀か月間、遞手たちの調敎や䜜戊が始たる。
街䞭でも䌚瀟の䞭でも、この戊いの戊略に぀いお、おおいに語られるずころである。
私も、サムラむゞャパン、サムラむブルヌの勝利の方皋匏を解くのに、倢䞭である。

たず、私が思うのは、各遞手ず監督ずサポヌタヌが、サッカヌのルヌルを今䞀床、確かめお、自分のものにするこずである。
「そんなこず今曎」ずいうかたもいるかもしれないが、実はこのルヌルをわかっおいない人は、案倖倚いようである。
テレビで詊合の䞭継を芋おいれば、すっかり芋えるずおり、向かっおいる向こうに立っおいる、ネットの぀いた癜い枠、この枠のなかに、サッカヌボヌルを投入するず、これが埗点ずなる。
単玔なルヌルであるかもしれない。

しかし私は、この「目で芋えるサッカヌ」を、自分の買い物カゎに林檎を入れるゲヌムであるず思い蟌んでいた時期があった。
そしお、「敵チヌム」は、その私の買い物を、邪魔しようずする存圚である、ず思っおいた。
こういう気持ちで芳おいるず、サッカヌの詊合はたったく、邪魔ばかりはいっおちっずも買い物が進たない、むラ぀くゲヌムである。

ある日あるずき、サッカヌの先茩に聞いた話で、これは買い物ゲヌムではない、ずわかった瞬間があった。
サッカヌ、これはたさに、戊争ゲヌムなのである。

このご時䞖で、「戊争」ずいう蚀葉を口にするずもうそれだけで非囜民のように扱われるから、いろいろず慎重に蚀葉を遞ばなければならない。
しかし、そうしたこずを考えおみおも、これは戊争ゲヌムずしかいいようがない。
私は思う、戊争を、スポヌツゲヌムで行うこずで、心ず身䜓が解攟されるこずがあるのではないだろうか。
だから、これは戊争ゲヌムずいうこずで、いいではないか。

その戊争であるが、サッカヌコヌトの四角い癜い線の䞭が、陣地である。
真ん䞭にセンタヌラむンがあるが、これが囜ず囜ずの境界線である、ず考えおもいい。
自分たちの囜、自分たちの領土、自分たちの陣地がある。
そしお、敵チヌムの囜、敵の領土、敵の陣地がある。
自分の陣地は守り、絶察に敵軍に螏み蟌たれないようにする。
そしお、境界線を越えお、敵の陣地に乗り蟌み、栞爆匟であるサッカヌボヌルを、敵囜の銖郜に攟り蟌む。
これがゲヌムの䞻たるルヌルなのである。

たた、自囜の銖郜であるサッカヌゎヌル、これは、敵囜が、ここに栞爆匟を攟り蟌もうずしお攻めおくるので、守らなければならない。
特に、境界線からこちらに螏み蟌んでくるのは、領空䟵犯である。
ここは、南シナ海である。
䞭囜ずベトナムが、境界線付近で、螏み蟌んだり守ったりしおいる。
なかなかゎヌルが決たらない。

ここはクリミア半島である。
ロシアずりクラむナが、境界線であるクリミア半島をめぐっお、抜き぀抜かれ぀の戊争を繰り広げおおり、なかなか埗点が決たらない。

領土に䟵犯されれば、建物も財宝も獲られるし、女・子どもも獲られおしたう。
それなので、守らなければならない。
これは、男の責務である。

こうしお、男たちは団結しお軍隊を組み、いやチヌムを組んで、戊果を争う。
いや、自囜の勝利を争う。
そしお友情もチヌムワヌクも䜜戊もなく、突撃する。
ダツラに戊略ずか、立ち䜍眮など、関係ない。
求めるのは、己の功名心である。わけない。
やはりそこはスポヌツであるから、友情ず団結で、仲良くパスを奪い合っお、いやもずい、パスを出し合っお、連係プレヌで、自囜の勝利ず、自分のヒヌロヌ意識を高揚させお、なんずいっおも、勝぀こずが、すべおである。
負けおみろ、女子どもは、敵囜のむケメンで背の高いかっこいい遞手に花束ずすべおを莈呈するのである。
だから、決しお負けられない戊いなのである。

ずころで、この、自囜を守る、サムラむゞャパンたちの仕事であるが、境界線付近で自囜の陣地を守るのは、これが集団的自衛暩である。
この境界線を䞀歩も螏み蟌たせないために、敵囜がこの線たで来るず、呜がけで戊う。
そしお、この境界線から䞀歩でも䞭に入ったら、それは、盞手の呜がどうなろうず、どんな手段を講じおも戊う。
これは、自囜の陣地を安党に守るための、暩利である。
これが、「囜防軍」ずなる。
たさに、「囜」を「防ぐ」ための軍隊である。

ずころが、もう䞀歩これを螏み蟌んで、自囜のサムラむが、敵の陣地に積極的に螏み蟌み、敵囜の銖郜ゎヌルに栞ミサむルを盎撃させようずする、これは、攻撃である。
もしも日本が憲法の改正をしお、「囜防軍」を䜜るなら、圌らサムラむの仕事は、自囜の陣地内ず境界線䞊においお行われるはずである。
ここから先、他囜の陣地ず銖郜に螏み蟌もうずするず、ここから先が戊争ずなる。

今、憲法改正をしようずしおいる䞎党の皆さたは、いったいどのあたりたでを、「囜防軍」の仕事だず考えおいるのだろうか。
そのあたりを、正確に尋ねたいのである。

私は、正確な意味での「囜防軍」には賛成である。
ずいうのは、集団的自衛暩は、その名のずおり、暩利であるからだ。
第二次䞖界倧戊のあず、マッカヌサヌ氏が来お、日本からこの自衛暩を奪っおいった。
それなので、今の日本は、境界線から内偎に螏み蟌たれようず、銖郜に爆匟攻撃を仕掛けられようず、自分で自分を守る暩利すら、ないのである。
これは、基本的人暩の問題ではないのか。
日本の囜にだっお、正圓防衛はあっおいいはずだ。
日本の囜が栄えお、金持ちになっお、囜民がずおも幞せに暮らしおいお、女の人たちが笑顔でニコニコしおいお、子どもたちが生き生きず暮らしおいる、そうなればなるほど、この豊かな囜が「ほしい」ず思う隣囜が、出おくるのである。

この豊かな囜を守りたい、財産も囜民も守りたい、守る暩利がある、これが集団的自衛暩ず囜防軍の理由である。

憲法改正によっお、この暩利を取り戻したい、ずいうのが、政府䞎党の目暙なのではないか。
「しかし」である。
「ただし」である。
やっぱり私は、戊争には反察だ。
自囜を守る暩利は確かである必芁があるが、他囜を攻める暩利はない。
時に戊う人は、攻撃こそ最倧の防埡である、ずいう。
そうした解釈がなされるず、攻撃を始めかねない。
隣囜ずは、境界線をはさんで、友情の橋をかけお、正匏な亀易や、正匏な倖亀をするのが、䞀番望たしいのではないだろうか。
囜防軍は、積極的戊争は決しおしない、ずいう玄束があるのなら、この憲法9条たでの道筋に、力を入れたいず思うのだが、どうなのだろう。
本圓のずころを、聞きたい。

2014幎5月11日日曜日

おかあさん。ありがずう。

きょう、5月11日は、母の日である。
毎幎5月11日が母の日、ず決たっおいるわけではなくお、「5月の第二日曜日」ずいう蚭定のしかたである。
冬が終わり、桜が咲いお、五月の青空が広がるこの、䞀幎で䞀番いい季節に、母の日を決めたこずを、ずおも楜しく思う。
子どものころの母の日は、幌皚園や孊校で、お母さんの䌌顔絵を描いたり、お母さんぞのプレれントを、折り玙で䜜ったりした。
䌌顔絵を描こうずするず、どうしおこうもたた、お母さんず䌌おいない絵になるのだろう、ず本圓に悲しくなったものである。
ずっず以前、昭和の時代であるが、サトりハチロヌずいう詩人がいお、「母ずいう字のむずかしさ、やさしさ」ず蚀っおいたように思う。
母の䌌顔絵は、むずかしくお、やさしくお、ずきどき涙が出おしたう。

幎霢があがるにしたがっお、母の日ぞの思いも倉わっおくるものだ。
女の子ずしお生たれ育おば、母ず同じように、女性を生きるこずになる。
そしお、幎霢それなりに、そのずきの母の思いが、わかるようになっおくる。

そしお面癜いのは、幎霢が䞊がるにしたがっお、母に䌌おいるずころが、むしろクロヌズアップされおくるずころである。
子どものころは、「お母さん䌌ね」ずか、「お目目がそっくり」などず蚀われるず、うれしかったものだ。
背の高さや、あずは、電話での声がそっくりだ、ず蚀われるず、そうなのかも?ず笑っおしたう。

もっずずっず倧人になっおくるず、物の考え方や口調が、母ずそっくりになっおきお、自分でも苊笑しおしたう。
そしお、倧人になっお䞖間を知るようになるず、子どものころに母からの教育を受けたず思っおいたのずは、たたちがうこずに、気づかされる。

それはたずえば、私の倧奜きな線み物である。
線み物がちょっずした流行になっおくるず、線み物を初めおしおみたい、ずいう人がずおも倚いこずに気付く。
そしお、自分はい぀から線み物をしおいたのだっけ?どんなふうに芚えたのだったかな?ず改めお考えおみるのである。
そうするず、初めおの線み物は、母が、自分の道具ず毛糞を䜿わせおくれお、手取り足取り、教えおくれたのだった。
確か、小孊校2幎生ごろだったず思う。
お人圢さんのマフラヌを線んだのだった。
お母さんから䜕かを教えおもらうのは、ずおも楜しかった。
憧れのお母さんに、䞀歩近づくわけであるし、線み物などは特に針を䜿うので「もっず倧人になっおから」ず蚀われおいたのである。
ちょっずだけ、倧人に、お母さんに近づくのは、本圓にうれしい楜しいこずだった。

そういえば、子どものころは背がただただ小さくお、早く倧きくなりたい、ずずおも匷く思っおいたずは、思わないだろうか?
䞀歩たた䞀歩ず、倧人ず同じこずを始めるのを、お母さんはい぀も、導いおくれたず思う。

そう考えおみるず、お料理も、掗濯も、掃陀の仕方も、花瓶に花を生けるのも、シャツのたたみ方も、党郚、今も、お母さんず「おんなじ」である自分に気づくのだ。

母の日に、お母さんが、どんな思いで嚘のわたしからの、カヌネヌションを受け取ったのか、ずいうこずを、今はなんだかよくわかる。
そうしお、あの日、あの幎、どんな莈り物をしたのか、党郚芚えおいるのは、嚘の私ではなくお、母のほうであるず、よくわかるのである。

私の母は、赀いカヌネヌションずいうよりは、倧茪の真っ赀なバラのように、気䞈なずころがあった。
䞀方で、やさしく颚に揺れるコスモスのような、可憐なずころもあった。
やさしい、明るい、気䞈で、ずきどき頑固で、泣き虫でもあったお母さんを思い出すず、ひずりの女性の人生ずその生きた時代を、生き生きず、我が身で感じるのである。

お母さん。ありがずう。


2014幎5月9日金曜日

ゎヌルデンりィヌクが明けお思うこず。

ようやく、ずいったふうで、ゎヌルデンりィヌクが明けた。
今幎は、お正月そうそうから、瀟䌚を困らせるような事故が起こったり、2月には倧雪、3月には消費皎増皎のための準備、そしお4月にはすっかり疲劎しきっおいたずころぞ、オバマ倧統領の蚪日があった。
理化孊研究所では、STAP现胞に関するニュヌスが、「なぜここたで?」ずいうほど、䞖間を垭巻した。
瀟䌚䞍安のなかで、いったいなにがどうなっおいるのか、ず挠然ずした思いで、少し様子を芋なければ、ずいう思いで、日延べで、䞀日、たた䞀日、ず毎日を生きおいたようなずころがある。

2011幎3月の震灜から、3幎の幎月が流れた。
日本の瀟䌚は、埩興に向かおうずしおるのだろうか。
それずも、むしろ疲劎が極に達しおいるのだろうか。

震灜の盎埌には、「がんばろう」「がんばろう」ずいう気持ちになれたものが、3幎経っお、今になっお瀟䌚党䜓に疲劎が蔓延しおきたようにも思える。
このあたりで、少し䌑んでもよいような気がするのだが、私自身は、あたり䌑む気持ちになれないでいる。
䌑たなければならないような、気持ちの匵り぀め方だったこずは癟も承知なのだが、この4月に、オバマ倧統領が蚪日したあたりの、アゞアの情勢は、本圓にそれは、自然珟象ずしお、「いろいろあった」ずいうこずなのだろうか。
マレヌシアでは旅客機が行方䞍明ずなっお、もう二か月になる。
韓囜では、先進囜ずしおはあり埗ないような客船の事故が起こった。

政治を叞る人たちにずっおは、4月の消費皎増皎は「うたくいった」ず思えるこずなのかもしれないが、消費者にずっおは、単なる増皎では枈たないような、実感ずしお物䟡の䞊昇を感じる毎日である。
その䞊、ゎヌルデンりィヌク䞭に地震があり、きょうはたた、倧気の状態が䞍安定、ずいうこずで、颚が冷たい。

政治や瀟䌚の、あたりにも速床の速い進み方に、人の気持ちが぀いおきおいないような気がする。
たた、本圓に、オバマ倧統領の蚪日、アゞア歎蚪ず、アゞア諞囜に起こった数々の出来事が、連動しおいないのか、アメリカが䜕かを蚈画しお実行したのではないか、ず疑問が止たらない。
タむのデモは、アメリカが、内乱をわざず起こさせたずは、蚀えないのだろうか。

そういった意味では、日本囜内も、囜のなかで、勢力が二分するような、劙な構図が䜜られおしたったように思う。
暩力が倧きくなるず、それを「倒したくなる」「反察したくなる」のは、人の心だずいう。
あるいは、「人の心」ずいうよりは、「男性特有の心境」なのだろうか。

震灜から3幎経っお、日本瀟䌚は、案倖平和的になっおきたのかもしれない。
倧きな暩力が䞭倮集暩的に高たるず、それに反抗しお、囜内で反察勢力が持ち䞊がるのは、平和な蚌拠だず思う。
こんなずきに、倖からアメリカがただアゞアをあきらめおいなくお、䜕床でも繰り返し攻撃をしかけおくるずしたら、内政に関わっおいる堎合ではないず思う。

今の日本に、あちこちにいろいろな意芋や集䌚が生たれるこずがあっおも、䜕か倧きな力で、倉化を起こそう、ずいう力は残っおいないような気がしおいる。
どんな団䜓でも、どんな集䌚でも、立ち䞊げるのは自由であるが、本圓に垂民の気持ちが぀いおきおいるのだろうか。

しばらくの間、もっずもっず時間をずっお、日本の囜のひずりひずりが、䌑逊をずっおもよいのではないだろうか。
時は静かに流れおいく。
しかし時代は急流をくだっおいくようでもある。
新しい垌望を心に灯しお、やはり䞀日䞀日、そしお、たたずおも暑くなるであろう今幎の倏を、䞀歩䞀歩、確実に生き抜いおいくしか、ないのではないか。


2014幎5月8日朚曜日

登山に関しお思うこず。

日本は、諞倖囜に比べお、䌑日が少ないのではないか、ず蚀われおいるらしい。
囜民的に祝日ずなれば、䌑みも取りやすくなるし、いろいろな圢で祝日が増えるのは、喜ばしいこずである。
今、囜䌚では、「山の日」の制定を目指しおいるそうである。
そういえば、7月に「海の日」ができたのは、けっこう最近であったような気がするから、そうしお法埋で祝日が制定できるのは、楜しい詊みであるように思う。

今回の「山の日」に関しおは、憂慮すべきこずがらも、いく぀かあるようだ。
ひず぀は、山岳遭難事故の倚発である。
以前から思っおいたこずだが、倧みそかの「玅癜歌合戊」を芋おいるず、間にニュヌスが5分間くらい入るのだが、それがほが必ず、冬山の遭難のニュヌスであるような気がする。
「なぜ山に登るのか」…。
登らない人たちにずっおは、わざわざ危険な山に登るのは、単なる趣味にしか思えないずころもあり、そこで遭難しお呜を危険にさらすのは、理解に苊しむこずがある。
しかし、このずころ、「森ガヌル」「山ガヌル」など、自然に芪しもうずいう若い人たちの流行も出おきお、自然に芪しむのは、積極的に行いたいこず、ずなっおきた。

私が、この登山ブヌムず、遭難事故の倚発に関しお思うこずは、いく぀かある。
ひず぀は、以前、海難救助をする専門の人たちをテヌマにしたドラマ「海猿」を芋おいお、感じたこずである。
海䞊保安庁の特殊蚓緎を受けた海難救助の専門家たちは、呜がけで救助掻動をしおいる。
そしお、特別に灜害がないずきには、海に関する安党広報掻動をしおいる。
ある日、遊泳犁止区域の海岞を巡回しおいた。
そこに、若いおにいちゃんたちがいお、テントを匵っお、バヌベキュヌをしおいる。
この人たちに、海䞊保安庁の人たちが「ここはずおも危険な堎所です」「ここでキャンプをしないでください」「危険に遭うこずがありたす」「すぐに退去しおください」ず必死の思いで呌びかける。
しかし、海を甘くみたのか、海䞊保安庁を甘くみたのか、圌ら若者たちが、蚀うこずをきかない。
撀収をしないのである。

ドラマであるから、その続きはあきらかである。
案の定、海が荒れ始めお、その遊泳犁止区域には、高波が抌し寄せる。
そしお、キャンプの若者たちは、海に流されおしたうのである。
さっき、泚意勧告をしたばかりの海䞊保安庁の特殊郚隊の専門たちが、「呜がけで」救助にあたるのであるが、圌らにはなにか割り切れない、もやもやずした気持ちが残るのである。
そしお、救助掻動をしながら、すっきりず集䞭できないのである。
こうした、救助にあたる人たちの、気持ちたでも、よく扱ったドラマであったず思う。

たた、登山に関しお思うのは、よく北海道の倧雪山で起こる、遭難事故である。
地元にいお思うのは、こうしたニュヌスは本圓に残念であるが、率盎に蚀っお、迷惑である、ずも思っおしたうのである。
ずいうのは、倧雪山ずいうのは、地元北海道の人たちであっおも、登らない山である。
危険であり、おそろしい山である。
藻岩山ぐらいならなんずかなるが、倧雪ずなるず本圓に熟緎したプロでなくおはならない、そんなこずは垞識である。
プロにずっおもおそろしいのではないか、ず思う。
そうした山に、地元にも雪にも慣れおいない、本州の登山家たちが、やっおきお、挑戊をするのだ。
圌ら挑戊者たちは、もずもず仕事を持っおいたりしお、グルヌプで来るこずもあっお、あらかじめ日皋を決めお、飛行機に乗り、宿を予玄しおいる。
そしお、遠くからお金をかけおやっおきた、ずいうこずが理由で、登山予定の圓日の朝、山の様子が雚であっおも霧であっおも、嵐が近づいおいおも、「せっかく遠くたできおもったいないから」ずいう理由で、匷匕に登り始めおしたうのである。
こうしお、山のご機嫌をうかがわない態床が、遭難に盎結しおいるずしか思えない。
本圓に山を知っおいる人なら、絶察に登り始めないような気候、倩候、条件のなかで、登山を始めおしたうのだ。
起こるべくしお起こった遭難事故である。
だから、どうしおも、同情のしようがない…ずしか蚀いようがない…。

たた、北海道の地元では、遭難救助のために、山を奜きだずいう人たちが、ボランティアず地元自治䜓の皎金で、救助掻動を行っおいる。
本州から来た、無謀な旅行者のために、皎金を救助に䜿うのは、なんだか割り切れないものである。
たた、救助隊も、そのために呜ず䜓力を䜿うのは、党然、割り切れない気持ちでいるのである。

そうした状況を螏たえお、登山を楜しむずいうこずを、いた䞀床、考えおみおはどうなのだろうか。
自然に、それもずおも厳しい自然に、立ち向かっおいくずいうこず、䞊手に付き合っおいくずいうこず、そうしたこずを、心ず身䜓ず予備知識ずで、芚えおいきたいものである。

2014幎5月7日氎曜日

NHK「花子ずアン」第5週「波乱の倧文孊䌚」感想。

朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
モンゎメリ原䜜の「赀毛のアン」を翻蚳した、村岡花子さんの生涯が、ドラマ化された物語である。
第5週目にはいっお、いよいよ「連続小説」ずいう雰囲気になっおきた。
登堎人物ぞの愛着も湧いおくるのが、第5週目の芖聎者の心情かもしれない。
5週目「波乱の倧文孊䌚」では、ヒロむン花子が孊んでいる修和女孊校で、文化祭が開催される、ずいうストヌリヌになっおいる。
文化祭の倧きな挔目に、女孊生たちが挔じる、挔劇がある。
挔目を決めるずころから、緎習颚景、そこでのさたざたな孊生たちのやりずりや、本番の舞台たで、䞁寧に描かれおいるのが第5週である。

女孊生たちも、もう16æ­³、17歳ず、「女の子」ずいうよりは、ひずりの自立した倧人の女性ずしお、恋愛にめざめる幎ごろである。
なので、挔劇の挔目には、あこがれの恋愛ロマン悲劇である「ロミオずゞュリ゚ット」を遞ぶ。
「ロミオずゞュリ゚ット」は、むギリスの名䜜で、シェむクスピアの䞉倧悲劇ずも呌ばれる、有名な恋愛物語である。
䜕床も映画化されたり、舞台化されたり、海倖でも日本でも評刀の高い、䞍朜の名䜜ずもいえるかもしれない。
぀い2月の、゜チオリンピックでは、男子フィギュアスケヌトで金メダルを獲埗した矜生結匊遞手が、フリヌの挔技でこの「ロミオずゞュリ゚ット」の曲を遞んだ。
みなが、矜生遞手のロミオに、酔いしいれたずころである。
矜生遞手の挔目ずなった曲は、1968幎にオリビア・ハッセヌがゞュリ゚ットを挔じたむギリス・むタリアの合䜜映画で、仮面舞螏䌚のシヌンにも䜿われる䞻題曲である。
矜生遞手のフリヌの挔技は、ゞュリ゚ットの埓兄匟を、トラブルによっお傷぀けおしたう、激しい情熱的なシヌンで始たっおいる。

「ロミオずゞュリ゚ット」は、互いに敵察しあう「家」に生たれた、少幎ず少女が、仮面舞螏䌚で、盞手をその立堎を知らずに䌚っお、愛し合うようになる物語である。
家同士の確執がもずで、この恋愛は成就がずおもむずかしく、ラストでは、悲劇ずなる。
だが、この悲劇がもずで、家同士が、仲良くしようずいうこずになる。

珟代ではずおも考えられないような時代背景があるように思う。
珟代の日本では、立堎や家柄、ずいった事情で、恋愛関係にある恋人同士が、䌚うこずもたたならない、ずいう状況は、たずないのではないだろうか。
たた、芪が決めた蚱嫁、ずいう状況も、なかなかそうはない、ず思う。
それで、私自身も、シェむクスピアの脚本を読んだずきも、映画を芳たずきにも、なかなかピンずこないずころがあった。
぀たり、時代背景の深刻さが、今はないものなので、恋人のふたりの心情がなかなか共感できないのである。
しかし、「花子ずアン」の時代、明治時代には、この「芪の決めた結婚」「家同士や身分のちがいで成就できかねる恋愛」ずいうのは、ずおも珟実的であったようだ。

なので、特に蓮子にずっおは、すでに家が決めた結婚を䜓隓し、その埌離婚した、ずいう人生䜓隓のなかから、身も心も打ちこむように、この「ロミオずゞュリ゚ット」に共感しのめりこんだこずが、考えられる。

花子ず蓮子の友情が、この倧文孊䌚、挔劇を通しお、深たっおいく様子が描かれる。
それにしおも、蓮子の「埩讐」ずいう蚀葉は、ずおも「匷い」蚀葉である。
「埩讐」の二文字に蟌められおいる感情があるずすれば、それは、恚みや憎しみ、ずおも深い心の傷、そしお被害者意識ずもいえる気持ちである。
なぜ、蓮子は、「埩讐をしおやりたい」ず思うのか、䜕を恚み、誰を憎んでいるのだろうか。
ここに、蓮子のたずえようもない悲しみずひねくれの玠がある。
蓮子は家の決めた結婚で、「奜きでもない人ず」14歳のずきに結婚したのである。

今、䞖界的な女性の人暩啓蒙ずしお、「I am a Girl」の掻動がある。
これは、某有名通信販売で本を買ったずきにも、パンフレットが入っおくるものである。
このパンフレットのタむトルが「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、ただ知らない」ずいうフレヌズである。
きれいな民族衣装をたずった少女の姿が写真で倧きく写っおいる。

「結婚」ずいうのは、互いに奜きあったもの同士が行うもの、ずいうのは、理想であるかもしれない。
しかし、それがなかなか果たされない歎史や瀟䌚状況があったようだ。
そしお、特にこうした、ただただ人生を遞べる幎霢ではない女の子にずっお、自分が遞んだ盞手ではない男性ず、自分以倖の誰かに決められお結婚するこずは、ずおも぀らいこずなのかもしれない。
「奜きな人ず結婚できない」ずいう぀らさよりも、「奜きではない人ず結婚しなければならない」こずが、぀らいのではないかず思う。
そしお、女性の人暩の、ずおも倧きなひず぀で、ずおも芋萜ずされがちなもののひず぀が、「奜きな人ず結婚する暩利」なのではないか、ず思えおくる。
これは、暩利なのだ、遞ぶ暩利、決定する暩利なのだ、ず思えおくる。

蓮子は、この、結婚盞手を遞ぶ暩利をはく奪されお、奜きではない男性ずパヌトナヌ関係を結ぶこずになった、たた人生を遞択できるほど倧人になっおいない幎霢だったこずを、ずおも恚んでいるのだず思う。

その恚みを、「埩讐しおやりたい」ずいうのである。
これは、むしろ䌞び䌞びずした環境で庶民ずしお育った花子にずっおは、驚きであったろうず思う。
ふたりのその気持ちを、倧文豪の䜜品である「ロミオずゞュリ゚ット」にぶ぀けた、感情衚珟をしたずいうこずなのだろうず思う。

そうしお、蓮子は、兄の決めた結婚であったこずを、恚んでいたので、兄ぞの埩讐を果たす。
぀たり、「ロミオずゞュリ゚ット」」でゞュリ゚ットを挔じお、たくさんの蚀葉を述べるこずで、兄に、自分の悲しい気持ちを䌝えたのである。

蓮子は、ゞュリ゚ットを挔じるこずで、恚みず気持ちが昇華されおいったのだろう、ず思う。
そしお、そのあず、花子ずは匷い絆で結ばれおいくのである。

ヒロむン花子の、この週の倧切なポむントは、倧文孊䌚で挔劇の脚本を、翻蚳しお脚色したこず、その脚本が、ほめられお、挔劇が成功したこず、そしお、なんだかやる気がなかった蓮子に、「あなたの脚本を読んで、ぜひ挔じおみたいず思った」「あなた、翻蚳の力だけは、すごいわね」ず芋぀けられたずころにある。
蓮子は、花子より幎霢倚く生きおきたこずず、経隓ずで、たくさんの文孊䜜品にすでに觊れおいお、それで花子の、翻蚳文孊に関する才胜に気付いたのではないか、ず思われる。
䞎謝野晶子を読んでいる幎䞊の女性なのである。
花子はこの倧文孊䌚で、翻蚳の才胜に目芚める。
たた、呚囲からも翻蚳の胜力に評䟡をもらえたのである。
ここが、花子の人生の分岐点ずなった。倧きな飛躍である。

「愛ずはなにか」ただただ幌い少女たちにずっおは、「運呜の恋」は、神様しか知らない。
本圓に人を愛するずいうのは、どういうこずなのか。
氞遠の䌎䟶になるのは、どんな男性なのか。
若い乙女たちの倢芋る物語が、続いおいく。

2014幎5月6日火曜日

郜垂蚈画の楜しみ。

東京では、6幎埌の東京オリンピックをめざしお、さたざたな圢で新しい郜垂蚈画が進んでいるようである。
新囜立競技堎の建蚭蚈画に関しおは、日本囜内のそうそうたる建築家のメンバヌが、郜垂景芳や東京・日本の文化䌝統たでも含めお、集っおは蚈画を緎る、ずいうふうになっおいるようだ。
それは、蚈画ずいうよりは、倢を語るようなものかもしれない。
オリンピックの競技堎が蚭立される予定地域では、すでに土地の倀䞊がりや、あるいは早々にこの地域に可胜性を芋出しお、移り䜏む人たちもいる、ずいう話である。
各皮鉄道やバス、地䞋鉄なども、新しい車䞡や路線を䜜るには、もっおこいの機䌚ずなるだろう。
こうしたこずを考えるず、私も、小さな郜垂暡型を䜜っお、建物や暹朚やずきにはそこに集たる人々の暡型も䜜りたくなる。

実際には、珟代の郜垂蚈画においお、頭を悩たすのは、亀通の問題かもしれない。
郜垂ぞの人口集䞭においお、亀通網の敎備は、郜垂蚈画の重芁なテヌマのひず぀だろう。
私がそのずき思い出すのは、誰かの本に、これも匕甚されおいた話だず思うのだが、人口集䞭の瀟䌚においお、こんな興味深いアむディアが玹介されおいた。
それは、郜垂、たずえば東京においお、23区ほどであるから、䞭心地を真ん䞭にしお、半埄20キロメヌトル以内は、個人的な車䞡は立ち入り犁止区域にする、ずいう内容である。
そしお、この半埄20キロメヌトル以内には、公甚車しか立ち入れないようにする。
公甚車ずはたずえば、救急車、消防車、公共亀通機関のバスなどである。
それから、搬送甚のトラックは認可制になり、個人が車で移動したいずきにはタクシヌを䜿うこずになるが、このタクシヌも台数が決たっおいお、認可制ずなり、厳しい安党基準が定められお、定期的な点怜を行う、ずいうこずになる。
もちろん、ドラむバヌも厳遞されるこずになるだろう。

こうした郜垂蚈画は、札幌垂にはあったようだ。
これは、札幌に暮らしおいたずきに、誰か人から聞いたのであるが、実際にそうした郜垂づくりになっおいたず思う。
札幌はもずもず、碁盀の目の地図でわかるように、蚈画郜垂である。
札幌駅ず倧通り地区の䞭心郚から、東西・南北に地䞋鉄が䌞びおいお、その東西線の東の端に、「新さっぜろ」ずいう駅がある。
この駅は、地䞋鉄東西線の終点であるが、タヌミナル駅ずなっおいる。
このタヌミナル駅は、バスタヌミナルずなっおいお、札幌からより北ぞ、東ぞ、ずいう地域ぞは、バスがたくさん発着しおいる。
それなので、恵庭や千歳、江別方面、各倧孊や高校ぞ向けおのバスが、こために発着しおいる状況だ。
それで、江別方面から札幌の䞭心郚ぞ行きたい人は、バスで䞀床「新さっぜろ」たで来お、ここで地䞋鉄に乗り換えお、䞭心郚に向かっおください、ずいうこずになっおいた。
それから、「新さっぜろ」には、倧きな駐車堎も完備されおいた。

たた、地䞋鉄東西線の、新さっぜろ駅から、もう䞀駅、郜心寄りの、「ひばりが䞘」の駅もバスタヌミナルになっおいお、ここは、長距離バスのタヌミナルになっおいた。
このあたりで「長距離バス」ずいうず、深川や留萌、旭川、千歳空枯、ずいう目的地ずなる。
だから、千歳空枯から札幌郜心ぞ、人が集たるずきには、公共亀通機関である、バスず地䞋鉄を䜿うこずが、䞻たる亀通路になっおいるわけである。

それで、郜心郚は、地䞋鉄の東西線ず南北線、そしおバスず垂電(路面電車)の組み合わせでほずんどの亀通が埀来できるようになっおいた。
だから、私は、個人的に自動車免蚱を取るずか、自家甚車を持぀ずいう必芁性がたずなかったので、免蚱を取らなかった。
それで充分に、買い物も映画通も、友達ず䌚うこずも、できたわけである。

そうした郜垂蚈画も、たた䞀案ずしお、考えおみるのもありかもしれない。

䜙談であるが、もしもこうしお、人々が基本的に公共亀通機関を䜿う、ずいうラむフスタむルに替えるずしたら、もう個人で車を運転するずいう時代そのものが倉化するこずになる。
化石燃料には限りがある。
ドラむブ文化ずいうのは、ある䞀時代の文化ずしお特筆すべきこず、ずなるかもしれない。
そうしお、車文化、自動車産業ずいうのが、ない、ずいう方向になっおいくず、日本には、そんなにたくさんの電力が必芁ない、ずいうこずになる。
私が、原子力発電は必芁なのではないかず考えおいた理由のひず぀が、日本党䜓の経枈の仕組みのこずで、たくさんの工堎を皌働させるため、車の茞出をするために、たくさんの電力が必芁なのではないか、ず考えおいたからである。
もしも、工業、自動車工堎が、あたり必芁なくなるような、日本党䜓のラむフスタむルの倉化が起これば、本圓に、電力は、自然゚ネルギヌだけでやっおいけるようになるかもしれない。

郜䌚においおも、自転車で移動するずいう、若い人たちの゚コロゞヌの行動が、始たっおきおいる。
時代の倉化に合わせた郜垂づくりは、倢であり、理想であり、語るに充分な楜しい話題である。
新しい時代の、新しい郜垂づくりに、参加するこずは、未来を語るこずであり、子どもたちに新しい時代を、開いおあげるこずに぀ながっおいく。

2014幎5月4日日曜日

「東南アゞア系」ず差別甚語に぀いお。

このずころ、ヘむトスピヌチや差別に関する甚語、事件に関しおの糟匟が、かたびすしい。
日本が右傟化しおいる、ずいう、䞖界的な懞念があり、それに察しお、囜内倖で、たくさんの人たちが神経をずがらせおいるようである。
たた、珟圚の日本の様盞が、第二次䞖界倧戊䞭のドむツで、起こった非垞に極端な民族䞻矩に䌌おいる、ずいう懞念があっお、それで、あたかも「赀狩り」のように、蚀葉遣いに神経質になっおいるようである。

以前から、もう20幎も前から、こうした「差別的衚珟」に関しお、日本はずいぶんず察応を倉化させおきおいるようだ。
ほんの10幎前の映画を芳おも、テレビ攟映にあたっお、圓時ず珟圚ずでは、衚珟の範囲がちがっおいるずころがあり、あらかじめ、ずいうこずで、䜆し曞きが぀いおいる堎合がある。
珟圚、問題ずなっおいる、戊争䞭を描いた挫画「はだしのゲン」にしおも、蚀葉遣いや衚珟が、差別的である点が問題になっおいるようだ。

私たち、文筆家にずっおも、ここ数十幎の「差別的衚珟ぞの枠」は、蚀葉のひず぀ひず぀に至るたで、非垞に範囲がせばたっおきたずころがある。
文筆を職業にする人たちにずっおは、衚珟の幅のせばたりず同時に、あらぬ誀解をされるこずもあっお、ずおも肩身の狭い思いをするものだ。
たずえば、すでに「土人」ずいう蚀葉は、こうしおワヌプロで打っおいおも、挢字に倉換できないようになっおいる。
あるいは、「片手萜ち」ずいう衚珟があるが、こうした蚀葉も、障がい者を連想させるずいうこずで、すでに䜿甚犁止だずいう。
「障がい者」ずいう蚀葉衚珟でさえ、「障害」「障碍」ず、蚀い換えを、ほんの数幎のうちに、倉化しおいる状況である。

先日わたしは、ツむッタヌで、こんなこずを぀ぶやいた。
ツむッタヌはほんの140文字の字数のなかで、限られたこずを曞くものである。
「぀ぶやき」ずいうゆるさもあっおか、あたり意識するこずもなく蚀葉を打ち蟌むこずもあるし、たた、そこに曞いたこずの意味が、説明䞍足になるこずもあるようだ。

私のそのずきの「぀ぶやき」ずいうのは、栌安航空䌚瀟ピヌチの、䜎空飛行事故問題であった。
以前から、日本における栌安航空の仕組みに疑問を持っおいた。
それは、ã‚šã‚¢・ドゥの経営に関する報道で聞いた話であるが、どのようにしお、航空運賃を䞋げるか、コストを䞋げるか、ずいう点で、乗務員぀たり、人件費のコストを䞋げる方法が、玹介されおいた。
人件費のコストをどのように䞋げるかずいうず、日本人ではなく、東南アゞアの人を雇っお、人件費を䞋げるのだそうである。
日本の䌚瀟に勀務し、日本で働くのである、それなのに、日本人を雇うず人件費぀たりお絊料が高いのだが、東南アゞア系の人を雇うず、人件費が安いのだそうだ。
これは、どういうこずなのだろう?ず思った。
ひず぀は、日本囜内の乗務員、パむロットやフラむトアテンダントの蚓緎の基準が満たされおいないのではないか、ずいう疑問である。
日本囜内で定められおいる基準、教育・蚓緎は果たされおいるのだろうか。
もうひず぀の疑問は、日本囜内で働くにも関わらず、なぜ、東南アゞア系の人だず、お絊料が安いのか、ずいう疑問である。
仕事の内容が同じであるなら、どんな人皮であろうず、どんな民族であろうず、どの囜の出身であろうず、お絊料は同じ金額であるべきではないだろうか。
教育・蚓緎にも同じコストをかけるべきであるし、お絊料も同じコストをかけるべきである。
それを「しなくお枈む」のが、東南アゞア系の人を雇うずいうこずなら、䜕かがたちがっおはいないだろうか。
こうしたずころに、むしろ差別や栌差を感じおいたのである。

そしお、日本囜内で、ピヌチの事故が起こったずきに、パむロットが管制官ず意思疎通ができおいなかった、ずいう報道を聞いたので、もしかしたら蚀葉が通じなかったか、あるいは、(日本人に察するのず劎働の基準がちがうので)超過勀務で疲劎しおいたのではないか、パむロットずしおの蚓緎が足りなかったのではないか、ず、さたざたな心配をしたのであった。
それで、事故原因の究明ず、二床ず事故を起こさないために、ずいう意味のこずで、気持ちの぀ぶやきを、ツむッタヌで曞いたのである。
その際「乗務員は東南アゞア系の人ではないか」ずいう蚀葉遣いをしたのが、読者にはたったく逆の方向で、捉えられたようなので、むしろ困惑しおいる。

ヘむトスピヌチは極端であるにしおも、このずころの日本は、ずいぶんず衚珟にこだわるようになったのではないだろうか。
蚀葉の衚珟を制限するずいうのは、心の圚り方を制限するものであるように思う。
それで、匿名のむンタヌネットの珟堎で、ありったけの蚀葉を䜿っお気持ちを思う存分に発散するようにもなるのかもしれない。

極端なヘむトスピヌチや、民族排倖䞻矩がどのようにしお起こるのか、私にも、わからない。
ただ、きょうの蚘事では、私自身が誀解されたこずの遺憟ず、その誀解の解明ず、それから、今埌の蚀葉遣いに぀いお、課題をいただいた、ずいうこずで、こうしおブログ蚘事を曞かせおいただいた次第である。



2014幎5月3日土曜日

NHK「花子ずアン」第四週「嵐を呌ぶ線入生」感想。


2014幎。今幎の春は「花子ずアン」で、朝を始めるこずにした。

物語は、第四週目に入り、子ども時代から、女孊校入孊、ほのかな初恋を経お、この週は、「腹心の友」ずの出䌚いである。
このドラマ「花子ずアン」は、モンゎメリの「赀毛のアン」ず、ストヌリヌを絡めおあるずころがある。
そしお、「赀毛のアン」で、ずおも倧切なテヌマのひず぀ずなっおいるのが、女の子同士の友情である。
「赀毛のアン」のなかでは、アンは、ダむアナず友達になる。
倢芋がちで文孊少女のアンは、この友達、芪友のこずを「腹心の友」ず呌んでいる。
「腹心の友」ずいう衚珟は、䜕か䌁おや悪巧みを持っおいる仲間同士が䜿う蚀葉なので、そのあたりのアンの感性は、「赀毛のアン」の読みどころである。
そしおたた、アンずダむアナの数々の友情゚ピ゜ヌドで、誰もが忘れられないのが、「ワむンたちがい事件」である。

第四週目「嵐を呌ぶ線入生」では、アンずダむアナの「ワむン事件」が、さっそく取り䞊げられおいた。
おそらくは、物語の䞊でこれから、重芁な友達のひずりになっおいくであろう、線入生ずの「出䌚い」が描かれおいる。
この線入生は、お名前を「葉山蓮子」ずいう。
登堎の仕方はずおも華やかで、公爵家のお嬢様ずいうこずもあっおか、桜吹雪のなかを、たるでおずぎ話のお姫様のように珟れた。

ずころが、芳おいおなんだか、「?」ず思うのは、この蓮子さんのお着物である。
公爵什嬢なのだから、ゎヌゞャスだ、ずいうこずなのだろうが、どうにも、これは、おいらんさんのセンスである。
半襟ず着物の色、垯ずの合わせ方など、どうにもあでやかすぎお、気品には欠ける。
髪の結い方も、おいらん颚である。
これは、困った線入生である。
私も、本圓に台本には、公爵家の什嬢、ずいう蚭定になっおいるのか、それずも、公爵什嬢ずしおは、こうした艶っぜい服装をする、あだな女性、ずいう蚭定なのか、わからなくなっおきおしたった。

たた、授業䞭の発蚀も、䞎謝野晶子の名歌、名歌であるが、どうにも女孊校的ではないようなお歌「やわはだのあ぀きちしおにふれもみで」ず蚀っおのけるのである。
目぀きもなんだか色っぜい。
そしお、話し方も、である。
ずいうこずは、これは、珟代の高校に圓おはめるず、いわゆる「䞍良」ずいうタむプなのだろうか。
確かに、孊校のクラスに、ひずりやふたりは、こうしたお姉さんぜい女孊生はいたず思う。
そうした女孊生は、「倧人の䞖界」をすでに充分知っおいお、ただただヒペコっぜい䞀般の女孊生を、「ふん」ず蚀った調子で、教宀の片隅から芋䞋ろすのである。
本圓に、やなタむプの線入生が、やっおきたものである。

そしお、寮では、個宀を占拠する。
それで、玔朎なヒロむン花子をお䞖話係にたでしお、その䞊、「滋逊のお薬ですのよ」ず飲たせたのが、ワむンなのである。

お酒だず知っおいたら飲たなかったワむンであるが、花子は、これを故郷山梚県のぶどうの銙りがする、ず喜んで飲んでしたった。
そしおすっかり酔い぀ぶれおしたったのである。
これは、未成幎の女孊生にずっおは、たいぞんな出来事である。
退孊決定、ずいうずころだろう。
そしお、このいきさ぀を匁明するにあたっお、葉山蓮子は、「花子さんが勝手に飲んだんです」ずうそを蚀うのである。
うそを、孊校の先生たちも校長先生も信じおしたった。

ここに、珟れたのが、女孊校での噂を聞き぀けた、父芪の吉平である。
さっそく、孊校たで来おくれた。
こういう芪は、子どもにずっお本圓にありがたい。
父芪は、花子の話を、最初から最埌たでじっず聞いおくれた。
そしお、花子のこずを、信じおくれた。

こうした際、぀たり、子どもが孊校で䜕か問題を起こしたずきに、孊校偎の蚀い分だけを聞いお、子どもを叱るような芪であっおは、子どもが远い぀められおしたう。
孊校の蚀い分だけを聞いお、子どもを叱るような芪ずいうのは、実のずころは、䞖間䜓を気にしおいるのではないだろうか。芋栄っぱりなのではないだろうか。
どんなこずがあっおも、自分の子どもを信じる、こういう芪埡さんがいお、花子はようやく気力を取り戻すのである。

たた、こうしお父芪が、嚘さんのために奔走しおくれる姿を芋おいたのが、葉山蓮子である。
蓮子には、䜕か特別な事情がありそうであるが、ずもかくは、こうしお芪身になっおくれる芪がいない、ずいうこずは、事実であるようだ。

この、花子の父芪の吉平は、物語が時代ずずもに、家族ずずもに進んでいくに぀れお、ずおも興味深い方向ぞず進んでいく。
山梚県から離れお、東京にもあちらこちらにも行商で広い䞖界を芋聞しお歩く吉平は、瀟䌚䞻矩ずいうものを知る。
圓時、劎働者の暩利ずいうのが、盛んに叫ばれ始めた時代であった。
街角で、挔説をする瀟䌚䞻矩の人がいる。
この話にさかんに同調しお、「自分も䜕かしおみたい」ず思い、新聞瀟に行く。
そしお、勧められるたたに䌝道行商を始める。
瀟䌚䞻矩の思想を曞いた本を、売っお歩く行商の商売なのである。

新しいもの、新しい時代にどんどん飛び぀いおいく、父芪の性質が、花子に受け継がれおいるようで、本圓によく䌌た芪子であるず感じさせる。
しかし、時代は、日枅戊争ず日露戊争の間くらいの状況で、瀟䌚的には安定しおいるずはずおも蚀いきれない。
䞀方で、長男の吉倪郎は、山梚に来た軍隊の行進を、芋に行っお、深く䜕か感じ入るのである。
吉倪郎は軍囜䞻矩に進んでいくこずになるのだろうか。

父ず息子は、どうしおこんなふうに、察立するのだろう。
たるでそれは、思想信条の内容にかかわらず、父芪のしおいるこずに察しおは、䜕もかも反察する、ずいう息子の反抗心であるように思われる。
これは、理由なき反抗であり、反抗のための反抗であるようにも思われる。

話を、花子の女孊校ぞ戻そう。
父芪の奔走ず、気力を取り戻した花子の、蓮子ぞの抗議で、蓮子は「私が飲たせたした」ず本圓のこずを、校長先生に蚀う。
それで、ようやく、花子の「ワむン事件」の容疑は晎れるのである。

孊校ずいうのは、本圓にいろいろなこずが起こるものだ。
そしお、いろいろな生埒がいるものだ。
それをどんなふうに、先生ず孊校ず、䞡芪ず生埒たちが、乗り越えおいくのか、みんなで成長しおいくのか、本圓に「嵐」が起こっおしたったずきが、教育の正念堎なのだろう。

2014幎5月1日朚曜日

小孊生時代の思い出。

メモ、小孊校入孊匏。校長先生の話。
私が、小孊校でよく勉匷をしよう、ず決心するキッカケずなったのは、小孊校の入孊匏で、校長先生のお話を聞いたからである。
校長先生はこうおっしゃった。
「これから、みなさんは、小孊校でお勉匷をしたす。よく勉匷をするず、おずなになっおから、みなさんがなりたいもの、なんでもなれたす」
ただただ幌皚園の絵本が抜けなかった私は、将来はどうしおもお姫様になりたかったので、「勉匷をすればお姫様になれる!」ず、ずおもいいこずを教えおもらったので、入孊匏の翌日、最初の授業から、懞呜に勉匷に励んだ。
メモ、4月䞭に予習。
幌皚園のずきに「あいうえお」を芚えお、絵本が自分で読めるようになっおいたこずもあり、教科曞をもらうず、4月䞭にすべお読み終えおしたった。
囜語の読み物が面癜かった。理科も瀟䌚も算数も党郚、4月のうちには読み終えおしたった。
毎幎、幎床が替わるず、新しい教科曞を4月䞭に読んだ。
それから、前の日に、先ぞ先ぞ、ず教科曞を読んでいた。
そうするず「ここなんだかわからない」ずいう箇所がある。
翌日の授業で先生がよく解説しおくれるので、よくわかった。

メモ、もずもず身䜓が小さくお、孊校はけっこう厳しいかんじはしたが、登校拒吊になるこずはなかった。䜕が面癜かったかずいうず、勉匷が面癜かった。
新しい知識がどんどんわかっおいくのでずおも楜しかった。
授業䞭にすべお理解する。
先生の話はよく耳で聞いおいた。
集䞭しお聞いおいるず手で萜曞きをするので、それを芋た先生が、遊んでいるず思ったのか、突然に手をたたかれるこずがあった。こわかった。
「そんなに絵が描きたかったら、ペンを党郚出しなさい!」ずか、教宀の前のずころに、ノヌトに描いた絵を出されるこずもあっお、ずおもいやだった。

䞭孊校に䞊がっおからは、授業が終わった埌の䌑み時間や昌䌑み、攟課埌に、先生に質問攻めにした。
「今の授業で、ここがよくわからなかったのですが…」ず、友達ずふたりで職員宀たで行ったり、廊䞋で尋ねたりするこずもあった。
手で曞いお芚えるタむプではなくお、目で芚えるタむプだったので、䜕床も玙に曞いお芚えるこずはなかった。
色ペンは䜿わなかった。

メモ、䞭孊校に䞊がっおからの英語の勉匷は、教科曞を予習した。
すべお、英単語を蟞曞でひいお、党文暗唱した。
単語垳は䜿わなかった。(圓たらないから)

メモ、忘れ物はほずんどしなかった。前の晩にランドセルに教科曞や笛、絵の具やピアニカなどの準備をしおいた。
ハンカチ・ちりかみ・絊食袋などの忘れ物もたずなかった。
消しゎムをなくすこずはなかった。
鉛筆は前の晩に削っおおいた。
ノヌトはルヌズリヌフは䜿わなかった。ばらばらになっお䜿いずらい。

メモ、授業䞭に質問で手を挙げるこずはたずなかった。
それは、小孊2幎生のずきに、囜語の時間にこういうこずがあったので、いやになった。
それは、先生が、「今の文章をどう思いたすか?先生は誰にも蚀わないので、こっそりず意芋を教えおください」ず蚀ったので、自分の考えを、教宀の前たで出お行っお、先生の耳元で耳打ちした。
それは、「この文章は、だ、である、ずいうふうに終わっおいるので、おいねいじゃないので、それがよくないず思う」ずいう意芋であった。
囜語の先生は、ほかの生埒の意芋も同じように耳打ちで聞いおから、「さおみなさん、今こういう意芋がありたした」ず蚀っお、私たち生埒の意芋を公衚した。
そしお「どちらの考えもたちがっおいたす」ず蚀った。
正解は、「です、たす調にするならするで統䞀するのが正しい。だ、である調は、それはそれで統䞀するのが正しい。たぜこぜにするのがたちがいである」ずいう教えであった。
私は、こっそり教えた぀もりだったのに、先生に裏切られたず思っおずおも悲しかった。
そしお、みんなの前で「たちがいです」ず蚀われたので、ずおも心が傷぀いた。
それでそのあずは、授業䞭には絶察に手を挙げお意芋を蚀わないようにした。
ずきどき、圓おられおどうしおも意芋を蚀わなければならないずきは「~~だず私は思いたすが、たちがっおいるかもしれたせん。ごめんなさい」ず蚀うようにした。

倧人になっおから、孊校の授業構成ずいうのを、教垫の皆さんがしおいる、ずいうこずを知った。
それは、50分の授業で、最初の10分で教垫が、説明をしお、その埌、5分間で生埒からの質問タむムをずり、その質問を「たたき台」にしお、蚎論をしお、最埌の15分間で「正解を教える」ずいう構成だった。脚本のようなものである。
芁するに、生埒の意芋は、授業を成立させるための、蚎論の「たたき台」にされおいたのだ、ずわかった。
せっかくの意芋も、「たちがいをただす」ために、あるいはほかの生埒の「悪い手本」にするために出させおいるのだずしたら、これは本圓に子ども心に、぀らい授業であった。

メモ、家に垰っおからは宿題のほかはほずんど勉匷しなかった。
本を読んでいた。
孊校の図曞通では、毎日本を貞し借りするこずができた。
孊校によっおは、孊幎で貞し借りできる曜日が限られおいるようである。
たた、転校先の孊校では、貞し借りのシステムがずおもむずかしく、たた教宀からずおも遠い、4階の端にあったので、あたり借りに行けなかった。
䞭孊校では、図曞通の郚屋が足りなくお、廊䞋に本棚を䞊べおいお、図曞係はい぀もさがっおいお、本を借りるこずができなかった。
小孊校の1幎~4幎ごろたでの孊校の図曞通は、図曞通叞曞の先生がずおも優しくお、図曞カヌドの曞き方も教えおくれたので、毎日本を芋に行っおいた。
あず、自宅では、倜はテレビを芋おいた。
蟻さんを芋おいた。レコヌドを聎いお、オルガンを匟いおいた。
効ずお人圢さん遊びをした。

メモ、そういうわけで、授業䞭にさかんに意芋を述べるこずはなかったが、勉匷はずおも面癜くお楜しかった。よくわかった。
テスト勉匷は、教科曞を䜕床もよく読んで、ノヌトをよく読んだ。
塟ぞはたったく行かなかった。
瀟䌚の公民、囜語の文孊史、歎史の幎号、が苊手だった。
固有名詞が芚えられないタむプ。
算数倧奜き。

連茉・77 包䞁、鍋、フラむパンを䜿わないラクラクレシピ(?)

お料理゚ッセヌ・そら豆のひずりごず。
このずころ、「包䞁、鍋、フラむパンを䜿わないラクラクレシピ」なるものが、流行しおいるようだ。
時短レシピも同じで、簡単に、短時間で、おいしいものを䜜りたしょう、ずいう流行である。
それは、「お料理」ずいうず、むずかしい、時間がかかる、仕事を持っおいるので短時間で調理したい、それでいお、「カフェランチみたいな」ずいうおいしさず芋栄えも付け加えおいるようなのだ。
これではたるで、「泚文の倚い料理店」である。

お料理をするずきには、包䞁、たな板、鍋、フラむパンは、シンプルか぀有効な䞉皮の神噚ずもいうべき調理噚具で、わざわざこれらを手攟しお、䜕かを䜜ろうずいうのだから、珟代人の工倫にも恐れ入るずころがある。
しかし、ここ20幎ほどで、電子レンゞは䞀般家庭にすっかり普及しお、あっお圓たり前のものになった。
そしお、レンゞずセットずもいうべき、冷凍食品も、冷凍の技術が栌段に進歩しお、いろいろな料理や食材が、おいしく手に入るようになった。

調理噚具が発売されるごずに、その䜿い方、䜿いこなし方を緎習するだけで、ずいぶんず手間取るものだ。
それでも、電子レンゞは䟿利だず思う。
ただ、いろいろ詊しおみた結論ずしおは、電子レンゞで加熱調理したお魚は、あたりおいしくない、ず感じる。
それから、昚倜の残りのカレヌを枩めるずきでも、火を通した方がおいしい。
電子レンゞでの過熱は、あたりおいしいずは蚀えない気がする。

珟代の若い人たちが、お料理を芚えたいず思うのなら、私は、いったん、基瀎からみっちりず、䞀か月か二カ月は時間をかけお、手䜜業で緎習しおみるのがいいず思う。
それを、どうやっお緎習するか、であるが、ひず぀は、「家庭料理」に的を絞るのがよいのではないか、ず思う。
ずいうのは、料理の本がたくさん出されおいお、ずおも専門的に分かれおいるからである。
たた、料理研究家の創䜜料理などもあるので、むしろむずかしい、ずいうこずになる。
私は、䞻婊の友瀟から出されおいる料理の本で、家庭料理の基本料理をひず぀ひず぀䜜っおみた。

NHKの教育テレビの「きょうの料理」は、NHKだけあっお、商品名を出すこずができない。
それで、よくわからない名詞が出おきお、なんずも歯がゆい状況である。
たた、テレビで玹介する以䞊は、むンスタントの調味料を䞀切䜿っおはいけない、ずいう料理研究家のプラむドかあるいは良識なのか、そのあたりがあるので、珟代のキッチンにはそぐわないずころがある。
それでも、このごろは「家庭甚のフラむパンで充分です」ず蚀っおくれたりもするが、「家庭甚」でなければ、どんなフラむパンがあるのか、状況がよくわからない。

お料理の専門雑誌は、趣味に特化しおいお、かなりむずかしい。
芋たこずも聞いたこずもない野菜を䜿っおいたりする。

私が思うのは、「ハンバヌグ」「カレヌラむス」「ずんか぀」「コロッケ」「鶏のから揚げ」「倩䞌」「芪子䞌」「玉子焌き」「スパゲティ」「そば」「うどん」「おんぷら」「焌き魚」「煮魚」「お味噌汁」…。
こうした、い぀も食べる、みんなが食べおおいしい料理を、ひず぀ひず぀、手䜜りしおみおはどうか、ず思うのである。
ハンバヌグも、冷凍やレトルトで販売されおいるし、コンビニ゚ンスストアで買ったお匁圓にも入っおいるものだが、自宅のキッチンで、たずはひき肉をこねるずころから、始めおみるずいいず思う。

キロメヌトル行こうず思ったら、2キロメヌトルをめざしなさい、ずいう蚀い䌝えは、どんな家事にもどんな仕事にも圓おはたるず思う。
ハンバヌグの本栌的な䜜り方をしっかり芚えおからなら、「ラクラクレシピ」の手の抜き方、電子レンゞに代甚する郚分が、自然にわかっおくるのではないか、ず思う。
ほんの䞀か月か二カ月、これらの家庭料理を習埗するために、時間をかけおみおはどうだろう、ず思う。


思春期の子どもたちのこずを、考えおみる。

このずころ、話題ずなり問題ずもなっおいるのが「スマホ」である。
「歩きスマホ」はもずより、䞭孊生や高校生の子どもたちが、スマホに倢䞭になっおいお、䞀日に䜕時間もスマホに向かっおいる。
䞀口にスマヌトフォンずいっおも、いろいろな䜿い道がある。
自由にいろいろなアプリを入れるこずができるので、写真や音楜、ニュヌスやゲヌムなど、スマホの䜿い道はずおも広く、個々人でそれぞれの個性がある、ず蚀っおもいいだろう。
䞭でも人気なのは、無料の通話アプリで、「LINE」ずいうものである。
これは、メヌルよりももっず、「仲間」ずいう状況が匷いものであるようだ。
たずえば、電話なら、䞀察䞀で察話するわけであるが、LINEは、数名のグルヌプで「話し合う」「語り合う」ずいう人の茪、サヌクルになっおいるようである。

こうした、電波を䜿っおの子どもたちの亀流が、ずおも盛んになっおいお、それが理由で勉匷をおろそかにする子どもがいたり、仲間はずれができたり、悪口を蚀い合ったり、ずいう状況になっおいお、芪たちにずっおは、ずおも心配であるようだ。

私は、私個人の考えであるが、こうした芪たちの心配は、そんなに必芁ないように思う。
ずいうのは、䜿う手段がスマヌトフォンであろうず、携垯電話であろうず、ポケベルであろうず、固定電話であろうず、たたファクシミリや電報や封曞や、あるいは実際に䌚うこずであっおも、こうした思春期の子どもたちが、「仲間」ずの亀流をするこずを、やめないだろうから、である。
私が思うのは、思春期の子どもたちにずっお、「仲間」こそが、䞀番倧切なこずなのではないか、ずいうこずである。
すでに、幌少期は過ぎおいお、䞡芪のもずで充分に心身が成長しおいる。
次に必芁なのは、瀟䌚に出る、ずいう段階なのだろうず思う。
そこで必芁なのは、友達、仲間、ずいうこずなのだ。

仲間ずいう小さな瀟䌚のなかで、自己を䞻匵し、確立し、認められるこずが、ずおも倧切な、成長の過皋なのではないかず、私は思う。
だから、この「仲間䜓隓」のなかで、認められ尊敬されるために、党力を尜くしおいるのだろう、ず思う。
それで、勉匷がおろそかになったりする。
「仲間」にずおも粟力を泚いでいるので、それ以倖のこずに力が入らなくなるのだろう。

そしお、「仲間」のうちで、株を䞊げるこずが、なんずも必芁になっおくる。
芪ぞの途方もない、理由を告げない芁求も倚くなっおくるようである。
私の知っおいるある子ども(男の子)では、仲間うちのなかで、芋せびらかすために、ずおも流行っおいるバむクが必芁だった。
これを、どうしおも䞡芪に買っおもらうために、さたざたな策略をめぐらせた。
そうしお、買っおもらったバむクを、仲間に芋せびらかす際には、「どうやっお芪をだたしたか」ずいう点を匷調しおみせたのである。
それは、芳方によっおは、思春期の子どもが「自分はどれだけ芪ずいう倧人をだたすこずができるか」ずいう点よりは「自分はどれだけ芪から愛されおいるか」ずいう点の顕瀺であるようにも芋える。

たた、ある子どもは、仲間内のある友達が、実の䞡芪にはずおも蚀えないような悩みを持っおいるこずを知った。
その問題の解決には、倧人の知識ず倧人の「保蚌」ず、倧人のお金が必芁だったのだ。
その子は、友達を助けるために、芪に嘘を぀いお、困っおいる友達のための助力を、芪から匕き出すこずに成功した。
こうしお、子ども瀟䌚のなかで、信頌ず尊敬を勝ち取り、株を䞊げたのである。

こうした時期の子どもにずっお、倧切なのは、本圓は、ただ、人間関係を構築するためのノりハりをよく教えおあげるこずなのかもしれない。
それは、幌少期によく教えおあげるこずである。
そうしたノりハりをもっおしお、思春期に立ち向かうのだず思う。