2023年10月5日木曜日

短編小説 種を蒔く人

短編小説・種を蒔く人 ゆうべは本当にまいった。 「現代的仕事できます女性」として、こういう場が欠かせないことはわかっている。 お酒の席だ。 昨夜は、恋人も一緒だった。 彼と、彼の仕事仲間と、先輩のえらい作家先生と。 …どんな小説を書いているのかは知らない…その場で初めて対面したのだ…。 「現代的仕事できます女性」としては、 まず、仕事の話。 それから、政治の話。 世論と、新聞とニュースと、国際情勢と、経済の先読みと。 その方面の話は得意である。 しかしどういったものか、男性陣が多人数を占めた酒席では、 例の込み入った話になる。 彼らはこういう話が好きだ。 生き生きと、ときに息をひそめて、 ときに意気揚々と、 ときに語気を荒くして、語る、語りつくす。 それをただ、耳を澄ませて聴いているだけならいい。 レモンスカッシュを頼んで、柑橘の爽やかな風味に、 それらの話を呑み込んでしまえばいい。 けれど、彼ら男性陣の、たっての願いは、 この話に女性が加わることである。 それはたぶん、女性の意見が聴きたい、いや、女性の好みが聴きたい、 いや、今後のためにぜひとも「この件」について、女性の本音を聴いておきたい、 ということなのだろう。 いやもしかすると、彼らはただとても不安で、 この地球の人口の半数を占める髪の長い人間たちの行動と、心が、 見えなくてもがいているのかもしれない。 レモンスカッシュを一口ふくんで、にこやかに笑って聞き流す。 それだけでは許されない夜があった。 新鮮な、五月の風に身をゆだねる。 私が身をゆだねて安心できるのは、 ただ、五月の風だけかもしれない。 連休は、庭に取り組む、こういうガーデナーは日本中にたくさんいる。 というより、ガーデナーにとって、五月の連休は、八十八夜、畑作の重要日である。 この日に、どこか外にでかける用事を作るはずがない。 この日々をはずしてしまったら、夏の庭を作ることができなくなるのだから。 ホームセンターで780円の、ただしかし私に言わせればとてもおしゃれな、ゴム長靴を履く。 女性ガーデナーにとって、「おしゃれ」は重要である。 一歩まちがえば、農家のおばあちゃんになる。 なにも農家のおばあちゃんをどうこう言うつもりはない。 むしろ、私の憧れは、農家のおばあちゃんだ。 若いころから化粧っ気ひとつない。 陽に当たりっぱなしの肌は丈夫でしみひとつなく、 太陽の下で照り輝いている。 「丈夫な肌」こそが、「健康な肌」で、「美人女性の肌」なのだとつくづく思う。 陽に当たらないで、化学合成の液体を顔に塗りつけているひとたちの、 病弱に思える薄い弱い肌を思ったりする。 「老後はぜひ、農家のおばあちゃんみたいに」とひそかにあこがれている割には、 「おしゃれ」には気を使っている…つもりだ。 アームカバーには、今話題の赤い小花模様を使っている。 ジーンズは欠かせない。 ちょっと色落ちした、ビンテージものである。 帽子は、日光から頭を守るのに必要なもの。 つばのある麦わらだと、風の強い日には飛んで行ってしまう。 私は、しっかりと手で編んだ、麻糸の帽子をかぶる。 これなら風が吹いても頭にしっかりついているし、 何よりも、砂ぼこりから、髪を守ることができる。 彼からのメールには、ゆうべのことを立腹している旨が書かれていた。 このところ、この件で対立が続いている。 今後も長く社会人として仕事を続けて行きたいならば、 もっと世の中に「適応」しなければならないと言う。 「きみはきれいすぎる」と言う。 「世の中きれいごとばかりじゃないんだからね」 そう言ってのける彼は、社会のなかで、並大抵ではない仕事をたくさんこなしてきた。 それは知っている。 彼と、彼の仲間たちの仕事ぶりを見て、 むしろ女性同士の、幼稚園のママ友とかいうような、べったりした人間関係よりも、 スポーツマンシップのような男性同士の力強い連帯感のようなものに、 尊敬を覚えたものだった。 女性が社会のなかで仕事をしていくこと、 痛感している。 痛みとして感じている。 それでも仕事を続けたいとしたら、そのエネルギーはどこから湧き出でるものなのだろう。 そしてその上にこの試練である。 私は、「試練」ととらえている。 どうもこうもない、歴史始まって以来この社会とこの仕事の仕組みは、男性本位で作られた、と思う。 その社会のなかで、実力を示して、成果を上げるだけではいけないのだろうか。 大きなエプロンは、剪定鋏を入れられる特別丈夫な帆布でできている。 これはガーデンセンターでとても高かった。 …これだけ工夫をこらしても、庭に出てみれば、立派な田舎風の苦労人である。 本当に、その宴席での彼ら男性の「話題」というものに、 女性は、乗っていけるようになることが、 それが新しいことなのだろうか。 「別れることになるかもしれない」 電話を片手に、ふとそう思う。 小さな白いスコップ。 持ち手は淡いピンクグレーである。 ひとりの庭仕事は穏やかで、静かで、なごやかである。 黙々と小さな雑草を、片付けている。 右手のスコップで根の下の土を少し持ち上げ、 それから、左手で抜く。 自分の庭だから、計画性はなくても大丈夫。 誰からも文句は言われない。 庭のこちらの片隅で、雑草を抜いていたかと思えば、 突然、バケツを片手にあちらの隅へ移動して、 腐葉土を運び始める。 その一連の行動を…腐葉土を手にバケツを持ちあげたこの仕草を、 どこかで見かけた。 そうだった、外国の、有名な庭園の、女性だった。 バラの花をたくさん咲かせていたと思う。 「彼女もそうだった」と思う。 たいていの女性ガーデナーは、恋人や伴侶とうまくいかず、 年も相当に高くなってから、庭園を恋人にしてしまう。 あるいは、植物を孫子どもにしてしまうのだろうか。 恋愛と社会は似ている。 仕事と男性は似ている。 恋愛と仕事から手を引くことは、社会と男性から手を引くことなのかもしれない。 あのガーデナーも、このガーデナーも、 立派な庭園を作り、日々を、太陽と雨と土のもとで暮らして一生を終えたけれど、 そこにはどこか、人生をあきらめたような、虚無がただよっているような気がする。 …負けたくない。 種から芽が出る。 その過程で、土の中でなにが起こっているのかは知らない。 毎日、土を乾かさないように、一日に何度でも水やりをする。 彼が突然あらわれた。 私の庭の最中にである。 私の作業を遠くから見つめていたらしい。 「才能のある女性が、野良仕事か」 仕立てのいいスーツに、イタリア製のネクタイがそよいでいる。 「いいかげんに機嫌なおせよ」 今私が耕したばかりの土を、ひとつかみして、しゃがみこむ。 そんなことをしたら、ほこりだらけだ。 「種を蒔く人、か」 彼の細い目が、鋭くもなり、そして、ふとやわらかく輝きだす。 「これ、芽、出たの?」 「あっ」 私も、気付かなかった。 ただ毎日の水やりで精いっぱいだった。 あまり苗床を見ていなかった。 水やりの仕事に追われていて、彼ら種たちを全然見ていなかった。 「芽、出た」 水を含んで濡れた黒い土に、小さい緑が双葉を広げている。 彼のおだやかな瞳が、いたずらっぽく笑いかける。 「がんばったな」 私は、赤い小花のアームカバーをはずしながら、背の高い彼を見上げた。 彼の手の中の土。 「芽を出したい」心から思った。 「負けたくない」心から思った。 Posted 9th June by SatokoAsakura Labels: 小説と詩