2023年10月5日木曜日

短編小説 コラージュの記憶

コラージュの記憶 彼女から手紙が届いたとき、その最新流行の手作りカードに軽い嫉妬を覚えながら、 やはり優しく温かな印象の彼女の言葉に、ほっとしたものだった。 彼女の手紙は本当に短かった。 「お誕生日おめでとう。 私も仕事を始めたのよ。 今度一緒に、お茶でもしましょう」 たったこれだけの言葉を伝えるのに、彼女がしたことは、「コラージュ」なのだった。 クリーム色のざらざらした厚紙に、赤い水玉模様の紙が貼ってある。 その下には、緑色で縁取りした花束が、連続模様になって続いている。 レースの切り抜きになった白い紙も隅に貼ってあった。 そして、動物シールである。 私は、この動物シールについて、明らかな見識を持っていたわけではないけれど、 最近の事情として、一昔前に幼い、ほんの幼稚園か小学生の少女たちが、 シール集めに熱中したことは覚えている。 そのシール集めが、今、年相応の大人の女性たちに人気なのだという。 かわいらしくデフォルメされた、キャラクター風のものではなく、 線画で描かれたリアルな動物。 しかも、彼女が使っているのは、アメリカ大陸にいたであろう、角のある大きなバイソンである。 それが、「かわいい」のだという。 それが、「はやり」なのだという。 女性同士で、こんなリアルな「モモンガ」や「サイ」の動物シールをやりとりする。 それが、はやりなのだという。 私の感覚にはなじまないものだった。 けれど、彼女は、流行だというとさっそく使ってみる。 そして、受け取った私には「変なもの」という違和感がなく、 むしろ、彼女のコラージュのセンスに舌をまき、嫉妬しているのだった。 夜の九時になってから、ひとりのアパートに辿りつき、 とりあえずのシャワーを浴びてから、 テレビの前に座り込む。 掃除機をかけるのは日曜日と決めていたから、 全体に、仕事のあとの家事はしない。 階段もほこりっぽいし、グラスはいつも同じもの。 これはたぶん、国内産のグレープフルーツジュースについてきたガラスカップだと思う。 このところ、街に出てもいない。 でも通信販売の会社はずいぶんチェックしている。 たぶん、世の中の女性たちの楽しみといえば、こんなものだ。 仕事でくたくたになって帰ってきて、テレビを見ながらカタログを開く。 給料だけはたくさんたまっている。 仕事に忙しくて「消費」など楽しむ暇はないのだ。 だからカタログを開く。 シャワーのあとの、めがねのないぼんやりした視界に、 「コラージュセット」だけが、ふせんをつけられているのが見える。 「こんなもの」 注文しておくと、一ヶ月もしてから「お届け」だという。 「自分で自分にプレゼントが届くみたい」なのだという。 金額とデザインは選べるが、色は選べない。 それが「お楽しみ」なのだという。 変った商売もあったものだ。 コラージュをするための、材料が、アソートされて詰め合わせになって800円。 カタログを凝視しても、なにがどう入っているのか、写真が小さすぎてよく見えない。 なにしろ、「なにが届くかわかりません」が売り物の通信販売なのだから、仕方ない。 「さて」 心に秘密ができてから、一ヶ月はたつ。 秘密の注文をみすかすように、忘れたころに届いた箱。 情けなかった。 コラージュセットを購入してしまった自分である。 彼女はきっと、手近にあった包装紙の包み紙や、きれいなチラシの模様を、 常に切り取ってためておいたにちがいない。 毎日の通勤列車に疲れ、 一日の終わりに髪を洗うときにもぞんざいになる、自分を見つめ返す。 「前はそうじゃなかったのに」 私は思う。 コラージュまではしていなかったかもしれない。 けれど、雑誌の付録についてきた、きれいなポストカードを、 お菓子の箱に入れてとっておいたことがあった。 海に行ったときに拾った貝殻を、お菓子の缶にためていた。 いや、ガラスの小瓶だったろうか。 少女のころ、それから、しばらくしてからも、 きれいな髪飾りや、小さな、身につけて歩くにはかわいらしすぎる小さな石のついた指輪も、 ガラス瓶や小箱のなかに、とっておいたと思う。 透明なビニールにはいっている「コラージュセット」を取りだす。 慎重すぎるほどに慎重に取りだす。 薄い紙だ。 爪をひっかけてはいけない。 私はいきなり立ち上がった。 先に爪を切ろう。 たぶん、おしゃれな女性用通信販売会社は、 いろいろな女性たちの「秘密」をご存じで、 世の中に流通しているさまざまな女の子たちの「事情」を熟知しているのだろう。 そして、コラージュがはやっているのに、コラージュの作り方がわからない、 「深刻な悩み」を抱えた女性たちに、 内緒のアドバイスをくれるのだろう。 「内緒に、内密で、注文しなさい」 「内緒に、内密で、作ってみなさい」 そう、そして、 「ある日、突然、女友達にそれらを見せなさい」 何のために見せるのかは、わかっている。 遅れないため、進んでいると見せるため、センスあると言われるため、 情けない、ますます情けない女心である。 「コラージュの作り方」の厚紙を見ながら、 そっくり同じものを作っていく。 そっくり同じものが作れるように、 模様の紙も、シールもセットされているのである。 こんなことは、こんな姿は誰にも内緒だ、決まっている。 最初から創造力があるかのように見せかけなければならないのだ。 創造力や才能が、きらめくように輝きわたるために、 ひとりの部屋で苦闘があったなどと、知られてはいけない。 絶対に知られてはいけない。 「プライドが高い」と言われることがある。 自分でもそうだと思う。 それでもゆずれない。 どうしてもゆずれない。 それは、突然に押し寄せた感覚だった。 まずメッセージを書き入れるための、白地の紙、枠の模様がついているのを切り取る。 それから、台紙となる、薄い青色の包装紙を、さきほどの枠より少し大きめに切り取る。 このときに、青色の台紙に細かく描きこんである花模様がよく見える位置にするのだそうだ。 私はしばらく考えてから、白い枠の紙を、青い台紙に貼りつけた。 小花模様がほんの五ミリの間にきれいに見えるように位置を少しずつずらしていく。 決まったところで、指でしっかり押さえながら、裏に糊をつけた。 表にかえして、しっかり押さえる。 それから、周囲を切り取った。 目見当ではさみを入れる。 青い台紙に白い枠が貼られている。 今度はその上に、枠に少しかぶるように、レースペーパーを切って貼る。 レースペーパーは、丸い、本当にケーキの皿に敷くような紙である。 これを、青い台紙の左上の角に沿う形に切り取る。 レースペーパーには、規則的に穴があいていて、 もくもくと雲のようなかたちがあるわけだから、 台紙の左上に貼るためには、この「もくもく」の具合はぜひとも必要だった。 迷っては、「作り方」の紙を見て、ハサミを入れ、糊づけする。 少しずれた加減がよい、とわかっていた、コラージュだった。 糊も、たくさんはつけない。 ちょんちょん、とつけて、重ねていく。 ここまでくると、「作り方」の写真にずいぶん近づいてくる。 最後にシールを貼ってできあがりになる。 透明なビニールシールで、貼れば下の模様が浮き出すことになる。 左上には、右向きの赤いウサギのシールを、 右下には、香水の瓶のシールを貼った。 時間を忘れていた。 机の上には、10枚の小さなグリーティングカードが並べられていた。 彼女への手紙は、そっけないものだった。 「このまえありがとう。 わたしも元気でやってる。 お茶しようよ。メール待ってるね」 私の、初めての、コラージュカードを使う。 私は気が付いていた。 最新流行センスを持った彼女への嫉妬と対抗心ではなかった。 「私も対抗しました。勝ったでしょ」というメッセージではなかった。 取り戻せたことへの、彼女へのありがとうの気持ちだった。 そして、コラージュを日課としている彼女への、敬愛と思慕の気持ちだった。 遠い昔、少女の日、 夏休みの毎日を、折り紙と工作と、海水浴で拾った貝殻を並べてすごした、 あの日々への回帰。 長い長い回り道をして、私は少女に帰っていく。 大人のハイヒールを始めて身に付けた日に、 捨ててしまった何かを、 彼女は持っていた。 捨ててしまったなにかを、今も持ち続けている彼女に、羨望を抱いた。 もし私のなかに、なにか熱いものがあったとしたら、 それは、ただ、ショッピングをするという、ちょっとした行動力だったのかもしれない。 私はきょうも、ビジネススーツに身を包み、 髪を結いあげて、会社にでかける。 ITの時代に、油断は許されない。 ダッシュで走りながら、私は取り戻した何かをぎゅっと抱きしめていた。