安倍元総理大臣の国葬にあたって。追悼の意を表します。
きょう、2022年9月27日。
安倍晋三元総理大臣の国葬が、行われます。
場所 日本武道館
時間 午後2時 開式
献花台 午前10時から午後4時
日本で総理大臣をおさめた、安倍晋三元総理大臣が、
今年2022年7月8日、参議院選挙の選挙遊説中に、
凶弾に倒れました。
この、元総理大臣の暗殺事件のニュースは、
日本だけではなく、世界中の人々に、大きな驚きと恐怖をもって、
受け止められました。
わたしたちは、日本の民主主義を脅かし、破壊しようとする、
この暗殺事件を、決して、忘れません。
そして、決して許しません。
これからも、日本の国内において、
このような、殺人事件が起こることは、
ぜったいに、許してはいけません。
2011年3月11日の東日本大震災は、
日本の人々に、大きな悲しみと心の傷と、復興への強い意志と、
それから、人生観の変化を与えました。
東日本大震災のあと、日本人は、力を合わせて、復興に取り組みました。
当時の民主党政権では、三党合意のもとに、
消費税の税率をあげました。
それは、震災からの復興と、高齢者に対する、福祉政策の財源のためです。
日本人は、税率の値上げに対して、快く、賛成しました。
そのあとの衆議院選挙で、自民党に政権交代をしました。
自民党で、総裁になったのが、安倍晋三さんです。
そして、総理大臣になりました。
安倍総理大臣のもとでは、一番大きな政策が、
経済政策であり、アベノミクス経済です。
その後、震災からの復興。
「地球儀を俯瞰する」というモットーのもとでの、
日本の国際化。
当時のアメリカ大統領、オバマ大統領との親交のもとでの、
TPP環太平洋の貿易条約。
TPP発効にともなって、ヨーロッパとの、日欧EPAの締結、発効。
特に、TPPの締結への努力は、遠く南米やヨーロッパまで、足を延ばしての、
イチゴや日本の農作物を持って、その場で食べて、アピールを行うという、
現場主義でした。
北朝鮮の拉致問題に関しても、外務大臣のときから、
お父様の、安倍晋太郎さんとともに、取り組んでこられました。
東京オリンピック、TOKYO2020を、日本に呼ぶことも成功しました。
TOKYO2020は、新型コロナ、COVID-19の流行のために、
一年延期になりましたが、
あとを継いだ、菅総理大臣のもとで、見事に成功させることができました。
北陸新幹線の早期実現も、北陸地方にたくさんの恩恵をもたらしました。
一億総活躍の方針では、多くの人が、
「働いて幸せになる」という、安倍総理大臣の政治的信念のもとに、
たくさんの雇用が生み出され、
多くのひとが、職に就くことができました。
働き方改革では、雇用する側、経営者がわの言い分と、
雇用される側、労働者側の言い分を、すべて聞き、
どのような訴えにも、どのような反論にも、耳を傾け、
そして、残業時間の軽減も、実現されました。
そののちに、女性活躍法案、女性の輝く時代、を大きな法律として、
うちだされました。
女性が、よく学んだ結果として、社会のなかで、もっと自分自身の能力を開花させて、
経済的にも豊かになり、よりよい生活ができるように、よりよい人生を送れるように、との、
政治的信念でした。
わたしは、その政治的信念に共鳴し、同感し、
安倍総理大臣の時代に、政治に取り組んでまいりました。
安倍総理大臣の時代に、政治というものを、たくさん学ばせていただきました。
大阪でのG20の開催は、わたしにとって、本当にうれしいものでした。
安倍総理大臣も、プーチン大統領も、習近平主席も、
同じく小さなテーブルに並んで、会見を行いました。
もちろん、アメリカのトランプ大統領も、日本にいらしてくださいました。
そのあと、どのように世界が転回していったのか、わたしにはわからないことがたくさんあります。
ただ、日本の国としても、国民としても、いっしょうけんめい生きてきたことは、
確かだと思います。
どんなにつらくて大変であっても、民主的な政治、民主的な選挙を行おう、それが、
わたしたちが続けてきたことでした。
今年2022年7月。
7月10日の日曜日が投票日となるところ、
その二日前、7月8日の金曜日。
遊説先の奈良において、安倍総理大臣を、背後から、銃撃した人がいました。
その日のうちに、安倍総理大臣の死亡が確認されました。
この銃撃事件の真相は、まだ、明らかにされていません。
わたしは、民主主義の破壊であり、民主主義への攻撃であり、脅しである、
この銃撃事件を、一生忘れません。
いっしょうけんめい、国民のために、仕事をした、政治をした、
その人の最期が、このようなことであって、よいのでしょうか。
きょうは、その安倍晋三元総理大臣の、日本の国をあげての、
国葬です。
深く、哀悼の意をささげます。
安倍晋三総理大臣。
ありがとうございました。
朝倉聡子
2022年9月27日