2015年2月6日金曜日

NHK「マッサン」主題歌「麦の唄」2番・感想。

NHKの朝ドラが、大好きである。
毎朝15分間の、小さなドラマが好きである。
それと同じように、この15分間のドラマに流れる、1分少々の短い主題歌が、大好きである。
短時間のドラマでありながら、主題歌がきちんと流れるのは、とても気分のいいことだ。
耳になじみができた歌声と曲と背景が、「ああ、きょうも朝が来た」と教えてくれる。
そして、特別に練習する気持ちがなくても、一日のあちこちで、たとえばお茶碗を洗いながら、たとえば新聞を取りに階段をおりるときに、ついふと、口づさんでいるものである。
半年間の放送終了までには、伴奏やイントロの音色まで覚えてしまう。

今回の「マッサン」では、前半の三か月では、主題歌「麦の唄」の一番を演奏して放送していた。
そして、年が明けて「あらら」と思ったら、1月からは二番を放送している。

一番の歌詞をいろいろ考えてこうしてブログに書いたので、二番の歌詞もいろいろまた考えてみたいと思う。


麦の唄 二番 / 作詞 中島みゆき

♪ 大好きな人々
大好きな明け暮れ
新しい「大好き」を
あなたと探したい

私たちは出会い
私たちは惑い
いつか信じる日を経て
1本の麦になる

空よ風よ聞かせてよ
私は誰に似てるだろう
生まれた国 育つ国
愛する人の国

麦は泣き麦は咲き
明日へ育ってゆく♪


ドラマのなかで、エリーは国際結婚である。
その国際結婚を、一番と同じく、心持ちを歌った歌であると思う。

一番では「懐かしい人々」と故国スコットランドを表現していたのに対比して、二番では、「大好きな人々」と故国を言い換えている。
このあたりは、歌詞の作り方として、韻を踏んでいるところが、なんとも心地よい。

また、「新しい『大好き』をあなたと探したい」も、なかなかいい得て妙、というところである。
「大好きなもの」「好き」ということは、自分自身の発見につながる、大切な感覚であるという。
私の知っているある女性詩人は、新聞や雑誌で、気に入った記事や写真を見つけると、切り取って、きれいなお菓子の空き缶にしまうのだそうである。
そして、夜眠る前や、仕事を始めるときなど、あるいは、とても悲しくて自分で自分を見失いそうになるときなどに、その缶を出してきて、ふたを開けて、自分の「大好き」をひとつひとつ、眺めるのだそうである。

故国をあとにして、「新しい『大好き』を探す」という意味は、新天地で、新しい自分自身を見つめ、見つけ、探し出していく、ということだろう。
それも、「あなたと一緒に」だから、恋人との素敵な人生の扉を開ける、という意味にもつながると思う。
とっても素敵である。

「私たちは出会い 私たちは惑い」
国際結婚のふたりが、出会って恋をした、という意味だろう。
しかしそこで「惑い」というところが、なんともチャーミングな言い回しである。
好きな人に出会ったら、とっても迷い惑い、戸惑うものかもしれない。
それもやはり、自己発見であるだろうと思う。
自分の心が惑う、そのことでまた惑いが大きくなる。

そして、その人を信じていいのかどうかまた迷い惑い、やがて信じる日がくる。

ふたりが「1本の麦になる」は、ちょっと意味深なかんじもする。
麦の穂、麦の実、というのは、花が咲いて実になるものであるから、女性と男性をとても感じさせる。
しかしそこに、恋の結実がある、ということだろうか。
また、ふたりで1本、ふたりでひとつ、とても素敵なことである。
夫婦になる、ということは、なにもかも、ふたりでひとつ、ということなのだろうか。

「空よ風よ聞かせてよ」
私は、このフレーズが大好きである。
私自身も北海道にいたときには、迷いや悩みがあると、大きな青い空を見上げて、「空よ風よ」と問いかけた。
作者の中島みゆきさんも、北海道の出身なので、ご自身の体験からこうした行動を歌にしたのかな、と思えたしまた、北海道の人はみんなこうしているものなのか、とも思った。
そして、これは北海道の歌だな、となんだかむしょうに懐かしく、涙が出た。

この世に、神も仏もあるものか、と思うことがある。
どんな宗教を信じているわけでもない。
でも、「空よ風よ聞かせてよ」と問いかけるときには、その大きな青空に問いかけることこそ、神様への問いかけに近い「何か」を思うのである。

エリーがこの歌のなかで、大空に教えてほしい、と思うのは、「私は誰に似ていますか?」ということだから、やはり自己発見、という意味がとても大きいようである。
「国」というのは、最近は、国家主義とか国粋主義とかあるいは、右がどうのこうの、と言われているこのごろであるが、ここの場合は、エリーが国際結婚である、そして、生まれ故郷のスコットランドから出て、人生の後半を日本で生きることになった、という意味で大丈夫だろう。

その結果、「愛する人の国」というのは、「あなたの色に染まります」という白無垢の意味にも、通じてくるように思う。

エリーの人生、生きる国、「わたしは誰に似ていますか」「大好きを探したい」どれも、アイデンティティの追求である、というふうに感じられる。
そして、「私は誰なんだろう?」と問いかけながら、一生懸命生きていく麦に、生きることを託しているように思える。

毎朝、二番の「麦の唄」を聞きながら、「私は誰に似てるだろう?」と、自分探しの旅に出る。
そして、いつか1本の麦になる日を、夢見るのである。