いろいろな意味で、悲観的な題名である。
実際には、第19週は、政春がようやく、北海道余市の自分の工場で、理想のウイスキーを造って出荷できたお話である。
ところが、この理想のウイスキーが、やっぱりまた売れなかった、という方向へ持って行かれるわけである。
私が、この朝ドラ「マッサン」が始まってから、ずっと追いかけてきたのは、「男のサクセスストーリー」である。
ここいらへんで、「ようやく成功しました!」と決着がついてほしい気持ちである。
しかし、やはり気分のよいものである。
5年、6年ごしで醸造したウイスキーの原酒がブレンドされ、「よし。この味で行こう」と決まる。
商品名やラベルのデザインも決める。
特に、商品名を決める場面が印象的でうれし涙が出た。
社員が昼食を摂る食堂にもなり、大会議室にもなり、大広間にもなる「ニシン御殿」で、政春とエリーの夫婦、娘のエマ、俊夫とハナの夫婦、クマさんと息子の一馬が集まって、品名を話し合う。
若いエマ、一馬の意見が取り入れられるのもいいし、政春が少し黙って話を聞いていたけれども、やはり自分の意見を言って、それが決まるのもいい。
「ドウカウイスキー」である。
実際の話では、大日本果汁として、リンゴジュースの販売から始まった会社が社名を略して「ニッカ」となったわけである。
こうしたところで、面白いフィクション仕立てがあるな、と思う。
サントリーの鳥井氏は、「鴨居」になっていた。
サントリーの「角瓶」は、「丸瓶」になっている。
そうそう、この当時から、サントリーは、「おまけ」に、グラスをつけていたようだ。
今でも、このグラス目当てに品物を買ってしまうこともあるから、これは楽しい発想であるように思われた。
ともかく、政春の理想のウイスキーが、完成した。
赤い屋根の余市工場が印象的で美しい。
このとき、政春は46歳である。
三十にして立つとか、四十にして惑わず、とか、そういった人生の節目というのは、あるものなのかもしれない。
ひとりの人間の完成時期というのは、やはり四十代も、それも後半なのかもしれない。
スコットランドにウイスキー製造の留学に行って帰ってきてから20年経っている。
もはや、ウイスキー製造という仕事から、ある意味、逃げ出すことはできない。
二十代で職を失ったときには、夢まで失っていたが、選択肢は大いにたくさんあった。
パン屋になろうとしたり、小説家になろうとしたときもあった。
そういう意味で、二十代はまだまだ可能性と選択肢が残っている時期だともいえると思う。
四十代を過ぎて、社長になると、今現在もこれから先も、どんどん選択肢は狭くなり、道は細くなる。
これから先は、ウイスキー工場の社長として、仕事をしていかなければならない。
そして、責任はますます大きくなる。
考えてみれば、政春も、口ひげをはやして、ずいぶんと貫禄が出てきた。
二十代のころの、少年のようにズボンをはいていて、坊っちゃん刈りにしていた政春とは、別人のようである。
大人になる、ということは、いいことだと思う。
ところで、やっぱり、というか、この理想のウイスキーが売れず、ここで初めて政春は、経営者としての能力を、鴨居氏に指摘された、その言葉を思い出す。
何事も、経験してみて言葉の重みがわかるものである。
経営者になって、成功したからこそ、悩みの内容がちがってくるのである。
若いときは若いなりに、成功したら成功したなりに、悩みはある。
このウイスキー、売れなくて、出資者から、人員削減を要求される。
経営とは本当に厳しいものである。
泣く泣く人員削減を決めたその日、海軍から人がやってくる。
海軍さまさまで、全在庫をお買い上げ、となる。
私もビジネスのシーンで仕事をしていたから、「万事休す」の状況はよくわかる。
といっても、お茶汲みである。
大切なお客様に、最高においしいお茶を淹れて差し上げる、これも女子社員の最高の仕事である、と心得て、急須を持った。
そして!落とした。
係長が言った。「万事急須…」
仕事、というのは、案外面白いものである。