2014年10月25日土曜日

マタニティー・ハラスメント裁判の判決について。

一昨日23日に、いわゆる「マタニティー・ハラスメント裁判」の最高裁判決が出された。
妊娠や出産を理由にした職場での降格は「違法」とした。
つまり、世間にはマタニティー・ハラスメントというものが存在し、妊婦の権利が認められるということである。
妊婦が勝った、ということである。
この最高裁判決は、これからの、女性が社会にもっともっと進出することにあたって、とても大きな意義を持つものとなりそうだ。
私も、女性として、妊娠・出産は病気ではない、ということを子どものころからよく教えられてきた。
そして、男女平等であるかぎり、男女はどんな仕事も同じ条件で働ける、という権利があることを教えられてきた。
それは、男性も女性も、同じ条件のなかで、しっかり責任を持って仕事をするべき、という力強い意味合いにもなる。
同時に、女性には女性の特有のライフイベントがあることを男女ともに、互いに理解しあって、主に仕事にあたって、ライフイベントや身体の仕組みのちがいが、ハンディとならないようにするべきなのだろう。
少なくとも、単一な平等ではなく、「ちがいを認め合う」文化が生まれつつある、ということだろうか。
これは、大事なことである。

私も、女性には、妊娠・出産があっても、仕事でそれがハンディとならないような配慮が、社会にあったほうがよい、とかねてから思ってきた。

しかし、マタニティー・ハラスメントに対する、周囲の考え、感想の本音というものを、妊婦さんにも知っていてほしい、と思うので、あえてその本音を書いてみたい。

職場の上司からしたら、同僚から見ても、ある一女性社員から「妊娠しました」と告げられるのは、「この忙しいのに、君は男とイチャイチャしていたのかよ!」という、気持ちである。
そして、「妊娠を理由に、仕事を軽い部署に替えてほしい」と言われたら「みんな大変なのに、君だけ楽をする気かよ!」と思う。
「みんな寝ないで仕事していて、生活だって楽じゃないんだ!」と叫びだしたくなる。
そして、同僚みんなでシフトを組みなおして、彼女のフォローをし、これまで通りの業務に支障が出ないように調整しなおす。
彼女に関しては、軽い部署に着けてもらった以上は、一人前の仕事はこなせない、ということなのだから、これまで主任の責任を引き受けてもらっていたけれども、一社員に降格してもらって、他の人材を主任に引き上げとする。
「そうだよね、そうしてくれないと、一人前にお給料もらえるのは、一人前に仕事した社員だけだよね」と誰もが思うだろう。

しかし、今回の裁判では、仕事の内容は軽くなって、責任だって妊婦さんにそんなに背負ってもらっても、いつ病院に運ばれるかわからない人に任せておくのは不安だし、それで降格ということになったのに、「妊娠理由で降格させられてお給料を引き下げられたのは不当だ」というのが言い分なのである。
妊婦さんに、責任職を預かってもらうのは、上司としても不安である。
職場で具合が悪くなったり、それでおなかの赤ちゃんに悪影響が出たりしないための配慮であるはずが、「ハラスメントだ」と言われれば、「本当に大丈夫なんですか?」「大事を取って休んでいたほうがいいんじゃないですか?」「妊婦さんに無理させるのは、こちらとしても心苦しい」「結局のところ、あなたには休んでいてほしいんです、そのほうが、周りとしても気が楽ですから」等々、これが周囲の心情というものである。


妊娠した女性社員が仕事を続けるにあたって、任務を軽くしてほしい、というなら、それはどうなのか。
「男とイチャイチャしていた」というのが、妊婦を目の前にした現実ではないだろうか。
誰とどんなふうに生活をしていようと、結婚や妊娠はプライベートであり、踏み込まれたくないというなら、その結果にも踏み込むまい。
ましてイチャイチャの結果を引き取ってフォローして、職場の態勢まで組み直し、アルバイトや派遣を雇ってまで、一女性社員を雇い続けなければならないとしたなら、バースコントロールまでして職場に迷惑をかけないように自己管理して働いていた人たちとしては、納得できない。
これを、「納得できない」「降格して、別の人を当てたい」とする、これをハラスメントと言われるなら、しかたない。

だけど、今後は雇用主としても、「初めから女性は雇わない」という態度に出るしかない。
新卒の女子大学生にとっては、不利な判決が出されたものである。
雇用主側としては、人材を、お金を出して雇っていて、これは多大なコストなのである。
一労働力として、しっかりと全力を出して、社に貢献してほしい。
コストパフォーマンスの低い社員を高い賃金と高待遇で雇い続けていく理由がない。
そうしてまで雇い続けていたいと思わせるほど、能力や才能があった、というなら、理解もできるのだが。

こうした意味で、一女性社員のマタ問題に、会社が全力をあげて、取り組まなければならないのは、本当に気苦労の多い社会となる。
せっかく、産休明けまで待っていたとしても、そのごに及んで復帰してこない女性社員も多い。

それでも、やはり子宝というものは、ありがたいものである。
できるだけバースコントロールをするべきであるが、実際には赤ちゃんはコウノトリが運んでくるものであって、人間の力で妊娠時期を決めることはできないのかもしれない。
社会全体で、命を育もう、という意識変革が必要である、と妊婦さんたちがそう言うのだから、そのとおりにしよう。
でも、「もう女性社員を雇うのは懲り懲り」とならないように、できるだけ最高裁の顔色をうかがって、黙っていることにする。
あとは、インターネット上で、匿名であれこれ言って、うっぷん晴らしをすることにしよう。
産まれてくる命よ、おめでとう、と言われるまでの、長い長い、日本社会の、フロア全体の苦労を、知っていてほしい。

そうそう、妊婦さんたちも、「親切にされて当たり前」の顔はやめてほしい。
それでも、幸せな人というのは傲慢だ、とことわざにあるとおり、妊婦さんたちは幸せに輝きながら「あとよろしくね」と言って、産休に入るのである。