2014年10月23日木曜日

日本のメディアの未来について。

アメリカのメディア人で、世界でも名だたる名編集主幹、ベン・ブラッドリー氏が亡くなった。
アメリカのメディアの一時代を築き、ワシントン・ポストの基盤を築いた人である。
一地方紙であったワシントン・ポストを、全国有数の新聞へと拓いた人であるが、その新聞が、世界のメディアの中心となっているのだから、やはり本当に素晴らしいことだ。
ひるがえって、今の日本のメディアはどうだろう?
日本で一、二、を争う新聞メディアはあるが、そのメディアが、世界で一、二、を争うとは、一度も聞いたことがない。
世界情勢を聞くなら、海外であってもアジアであっても、あの新聞社に聞け、あの新聞を読め、というような新聞は、アメリカのものであったとしても、日本のものではない。
今、政府は、経済を初めとして、起業や大学教育、鉄道や航空機、女性の進化度合いに至るまで、世界レベルに押し上げようと、さまざまな苦肉の策を弄している。
苦肉の策ではあるとしても、世論が盛り上がり、女性たちが声を上げはじめていることにはまちがいないのだから、政策というのはたいしたものだ。
しかし、日本のメディアを、グローバルにする、という政策は聞いたことがない。
日本のメディア人がピュリッツアー賞を取れるほど、すごい業績を残したということも聞いたことがない。
日本政府としては、せめて黒い政策でも作って、メディア人が世界を揺るがすような、すごいスクープを取れるようにしてあげる、ということぐらいだろうか。

時代は、女性記者と若手記者のせめぎ合いのようである。
さまざまな力ある文章が出てきて素晴らしい。
特に、女性記者が「女性ならではの観点」を持とうとすると、このところようやくわかってきたが、ママさん記者さんたちの要望は、「食の安全」ということらしい。
女性たちが、その内心の不安感を取り巻く社会に投影して、得体のしれない不安感に押し包まれているのが、環境問題への不安として表れているようだ。
しかし、女性たちの環境問題への不安、食の安全への要望が、現実的でないこと、話題にはならないことは、男性陣は誰もが知っている。
要するに、現実的ではないのである。

優先順位一位なのは、人間である。
いまだ、戦火のなかにいる「人間」、未だ食べるものも住む場所もない「人間」が目の前にいるのに、どこかの海が汚れているとか食品添加物の化学組成がわからないとかいうことを、新聞に載せてくる女性たちは、大きな課題に取り組んでいるつもりかもしれないが、我が子だけが可愛くて、現実が見えていないのである。
一番優先させるべきは「人間がいかに生きていくか」である。
環境を大切にして、餓えた人を放っておくのは、愚かである。

また、懐古趣味もよくない。
男性トップ記者はすでにわかっていて、嘆息しているであろうが、過去に答を求めて「昔はよかった」では、進歩がないのである。
私たちがメディアに求めているのは、未来であり解決策である。
また、希望ある社会の目標が、過去への退行であってはいけない。
どこまで過去に退行するつもりなのか。
いつか洞穴で暮らす、と言い始めるのではないか。
「昔はよかった」「自然を取り戻したい」そんなことを考えているのは、電子レンジと電車とインターネットがなければ一秒も暮らしていけないような都会育ちの人だと、相場が決まっている。
私たちは未来に向かって進まなければならない。
メディア人は常に、新しい情報、新しい解決策を提案していなければならない。

アメリカのメディアは今、どうしているか。
日本の新聞社のデジタル版を、英訳してでも、このメディアのリテラシーを「ほしい」「読みたい」と思うだろうか。
まだまだである。