2014年4月29日火曜日

NHK「花子とアン」第三週「初恋パルピテーション!」感想。

毎朝楽しみにしている、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
第三週目にはいった。
このころには、4月から始まった新しい生活や、新しい家や、新しい友達、新しいパソコンにも、なじんできているころである。
そして、朝の連続テレビ小説にも、なじんできている。
登場人物の役名も、役柄も性格も、ずいぶんわかってきた。
なにしろ、朝の連ドラは、女性をヒロインにして、一生を描くものなので、子役の時代から、両親やきょうだいとのやりとりまで、丁寧に描かれている。
こうしたところが、一般の小説にはない、「朝ドラ」ならではの楽しみかもしれない。
第三週目は、いよいよ、ヒロインの初恋である。

三週目にして「初恋」とは、ちょっと早いような気もするが、今回の朝ドラは、どうにも恋愛と友情をテーマとして扱っているところが、たぶんにあるようだ。
私たち女性陣は、小説やドラマを恋愛の教科書にして、恋愛や結婚、人生を進めてきている。
誰にも相談できないような心の悩みに答えてくれるのは、学校の先生や親きょうだいではなく、コミックやドラマの主人公たち、ということが、とても多いのではないかと思う。
何しろ、学校では、恋愛学や結婚学は教科になっていない。
聖書を読んでも経典を読んでも、どこにも恋愛の正解がないのである。
だから、ドラマのヒロインに自分の気持ちを重ね合わせて、感情移入をして、これからの人生を考え直すのである。

そうして、朝ドラのヒロイン、初恋から、いろいろな気持ちを学んだり、触発されたりもするものだ。


今回「花子とアン」では、ヒロイン花子の初恋の相手は、帝大生の「北澤さん」のようである。
「ようである」と書いたのは、第三週目を観ていて、果たしてここで描かれる花子の初恋が「北澤さん」なのか、「朝市くん」なのか、判然としない描かれ方であるからだ。
朝市くんは、山梨の故郷で、幼馴染みとか学友とかいう存在である。
またもうひとり、山梨・甲府の故郷には、武くん、という男の子もいる。
彼らから見ると、花子が初恋の相手のようなのである。
どの子もこの子も、ぶどうの花が咲くように、甘酸っぱい初恋の味を発見する年ごろであるようだ。
第三週目で、花子は16歳である。
女優さんの実年齢と、役の年齢と、少し離れているようなところは、ドラマだからしかたないが、これが16歳と考えると、帝大生との初恋も、そんなにませているようには思えない。
16歳というと、今でいうと、高校生の年齢であり、話題のアイドルグループ・AKB48も、そのあたりの年齢である。

だから、修和女学校の女学生たちも、恋愛の話題でいっぱいである。
こちらの女学校の事情というと、こちらは甘酸っぱいというよりは、もっと真剣に人生に立ち向かわなければならない状況である。
というのは、この女学校では、「寿退社」ならぬ「寿退学」が、この時代にあったというわけなのだ。
よい縁談が降るように来るのは、16歳から17歳までなのだ、という。

女学校の学友たちも、次々に縁談が決まっていく。
そうしたなかでの、帝大生との初恋は、一気に結婚の話にまで飛んでいく。

この当時の大学生、男子たちも、とてもまじめだったのかもしれない。
「まずはお付き合いから」とは言わず、いきなり「結婚してください」だから、本当に驚いてしまう。
これがこの時代の日本の、恋愛風情だったのだろう。

花子も、パルピテーション、つまり胸の鼓動を抑えきれない状況であるから、もちろんうれしかったし、北澤くんとの結婚を夢見たりもしただろう。
しかしここで、夢を壊す現実に、直面することになる。
この「山梨の実家に里帰りする」を提案したのは、女学校の校長先生、例のブラックバーン女史であるから、何か思うところがあったことは、容易に想像がつく。
「実家に里帰りして、あなたの置かれた状況を見てごらんなさい。恋愛にうつつを抜かしている場合なのですか」という、厳しい問いかけと、教示である。

実際に、山梨の実家に帰ってみると、両親も祖父も兄も妹たちも、とても質素な生活である。
そして、その質素な生活のなかから、花子のための、学費を工面しているのである。
一家の希望の星が、東京の女学校へ通う、花子なのである。
花子は一家の期待を背負っているのだ。
こうした状況を目の当たりにしたら、花子も、夢のような初恋は、断念せざるを得なくなるだろう。

それでもやっぱり、花子にとって、勉学を続ける決心をしたことは、本当によかった、と思う。
妹のカヨは、花子のすすめには従わない。
花子はカヨにも、「東京の女学校に行こうよ」と誘うのだが、一家の家計では、女の子をふたりも東京に出すことはできないのだろう。
カヨは、製糸工場の女工さんになることに、すでに決めてあるのである。

当時の製糸工場の女工さんというと、「ああ野麦峠」という小説があって、この小説が、本当に当時の時代背景を、事実だけを書いていたかどうかは、さだかではない。
しかし、日本人にとっては、製糸工場の女工さんというと、「哀史」という印象があるようだ。
だが、この「花子とアン」の放送の時期と重なって、群馬県の富岡製糸工場が、世界遺産への道を確実にした、という報道があった。
この富岡製糸工場では、女性たちが適切な訓練を受け、きびきびと活発に働いていたようである。
また、近代の様式を取り入れて、前向きに教育に取り組んでいたようなのである。
これは、現代の、働く女性たちの先駆けであり、本当に模範となるよいことだと思った。

妹のカヨは、製糸工場で働くことになる。
それは、あえて言えば、高校を卒業してから、大学進学はしないで、就職した、ということになるだろうか。
私が思うのは、私自身の、きょうだいの体験である。
本当に、妹のカヨは、「お姉さんが女学校に行って学問をしているから、それが私の希望なのよ」と心底思っていたと、私は思う。
というのは、姉妹というのは不思議なもので、どこかで「もうひとりの私」という気持ちの通じ方があるからだ。
本当に、姉妹の気持ちをよく汲み取った描き方である、と思った。

妹たちや両親の気持ちを汲んで、花子は再び東京に戻り、学業を続ける決心をする。
16歳の女の子が、恋愛にぼっとうして何も手につかなくなるよりは、ずっとおすすめしたい、選択肢である。
こうした、花子の学問への情熱が、山梨の故郷にいる、男子生徒にまで、影響を及ぼす。
農家の後継ぎをしようと働いていた朝市くんも、教会の図書室での勉強を始めるし、字が読めなかったお母さんも、石版を手に、仮名の練習である。
ひとりの女の子が、教育を受ける、ということが、どんなに周囲に影響を与えるものなのか、みごとに見せてくれた、第三週であったと思う。
花子のこれからの成長が、楽しみである。