私自身が、女性として自分の人生を考えるにあたって、よく周囲の教育者や先輩から言われたのは「働く女性であること」だ。
私自身は、料理や手芸が好き、という性格があり、学校の勉強は好きだったけれども、社会に出てバリバリ働く、という意思は、あまり固いとは言えなかった。
専業主婦になるよりも、もっともっと外に出て働いて、社会的に、視野を外に向けるように、あるいは社会に関わるように、生産的な女性であるように、と言われ続けて、さまざまに女性と仕事、というテーマを考えたときに、とても手助けになったのは、私自身の祖母の話である。
祖母は、女学校を出てから、小学校の教師をしていた。
その後、嫁いでからは、養蚕農家の仕事を一生、続けていた。
私の父方の実家は、養蚕農家である。
養蚕農家において、働き手というのは、男女問わず、老若男女問わず、皆が働き手であったわけであるが、なかでも重要な役割を果たしたのが、女性である。
それも、女性、つまり私の祖母の役割は、養蚕という仕事の、リーダーシップの役を果たしたのである。
養蚕と言うのは、お蚕様という、生糸を生産する生き物を相手にしている。
生き物相手にこれを育てる、ということが主眼となっていたからか、生き物の様子をよく観察して、その育成をするのは、女性の観点がとても重要であったようだ。
祖母は、朝早く起きると、お蚕様の様子をまんべんなく観察する。
昨夜のエサの残り具合や、表情や食欲などをよく見る。
育ち具合をよく見てから、「きょう与えるエサ」を決める。
お蚕様のエサは、桑の葉であるが、この桑の葉にも、三種類以上の木があって、お蚕様の育成過程において、どの葉が適しているか、決まっていたようである。
養蚕農家はエサを育てる畑として、かなりの広い畑を維持していた。
そして、桑畑の面倒を見るのは、「男衆」の仕事であった。
そして、「きょうはこの畑から、この桑の葉を持ってきて与えておくれ」と判断して指示するのは、祖母、つまり女性のリーダーの役割であった。
そして、祖母の指示に従って、桑畑に行って力仕事である桑の枝切り、桑の運搬そして、お蚕様に与える仕事、これをするのが、「男衆」の役であったわけである。
この、「きょうは、この葉を与えておくれ」という判断が、養蚕農家のトップである、養蚕女性トップの手腕の見せ所であった。
というのは、毎年、大きくて白いきれいな繭をたくさん作れるかどうか、というのが、養蚕農家が集まる農村では、「腕利き」として名をはせる、大切な評価であったからである。
(逆を言えば、小さくて黄色い繭しか作れない女性もいたわけである。)
とてもうれしいことに、私の祖母は、毎年いつでも、大きくて白い繭を作ることができた。
それで、繭も生糸も高く売れることができて、家はとても繁盛したのである。
このとき、男衆の役割というと、さきほど述べたように、力仕事であり、もうひとつは、やはり一家の大黒柱として、一家一族を治めることであった。
そして、経理も行っていたようである。
つまりこの男衆の大黒柱が、祖父、ということになる。
養蚕農家の状況というと、また昔の時代のことであるから、現代に当てはまるかどうかはわからないが、とても参考になることはたくさんある。
たとえば、子育てである。
祖母は、養蚕の仕事をしながら、子どもを産み、育てた。
その際、小さな子どもたちは、子守りにまかせていたようである。
仕事場と、子どもたちの養育の場が、同じ場所であったことは、とても重要なことだったように思われる。
当時であるから、子守りさんは、雇われた小学生くらいの女の子であったり、姉たちであったりしたようだ。
そうして、小さな赤ちゃんを背中におぶって、家の仕事をしたり、小学校へ通って勉強していた女の子たちがいたようである。
そして、祖母つまり母親は、仕事の合間を縫って、おっぱいをあげたりする時間だけ、赤ちゃんと関わるような状況であったらしい。
それでも、同じ家にいるわけであるから、子どもの顔を見ながら、育児も仕事もすることができた、これは、母親にとって女性にとって、とても大切なことであるように思われる。
また、子どもにとっても、「おかあちゃん」のそばにいることは大事であったし、同時に、大家族と地域社会のなかで、たくさんの人たちに育まれ見守られていることは、子どもの心身の成長や、安全のために、とても有効であったように思われる。
群馬県では、養蚕が盛んで、その際に、女性が、その仕事のリーダーを務める、という形であったので、「かかあ天下」と呼ばれる状況になったようだ。
しかしそこには、一家の生計を「おかあちゃん」がカギを握っていることが含まれている。
また、祖母の言葉遣いを思い出してみると、男衆に向かって、決して命令調であることはなかったと思う。
「きょうはこうしておくれ」と優しい口調であったことや、とても働き者で、連絡や報告などの配慮があったことを、女性としてとても大切な仕事のしかたであったように思う。
「大きくて白い繭」を作れる祖母のもとで、「このおかあちゃんの言うことを聞いていれば、仕事がうまくいく」という実績は、力仕事の男性陣や経理の大黒柱を安心させるには、充分な実力であったようだ。
私は、働く女性、働き者の女性の姿の姿を、養蚕農家の担い手であった祖母の生き方に、見習うことができる。