大好きな、竹蔵お父さんが亡くなってしまってから、5年がたっている。
2週目は、子役ではなくて、ヒロインの常子は、高畑充希さんになっている。
元気いっぱいの登場である。
亡きお父さんと約束したこと、三姉妹の「とと」代わりになること、お母さんと妹たちを守ること、このテーマで、常子は、悩み、考えながら、15歳を生きていく。
お母さんも、常子も鞠子も、それなりに自分の力で、父の死を乗り越えたと思われる。
特に長女の常子は、父から重大な使命を託されたので、責任感と、それからきっと、「誇り」があるだろう、と思われる。
末っ子の美子だけは、まだまだ父親のいない自分の人生を、受け入れることができていないようである。
小学校では、お友達がみんな、お父さんのお話をするので、すっかりまいってしまう。
暗い顔をして下を向いて、お友達とも話さないので、ちょっとした仲間はずれになっている。
これは、小さい子どもとしては、いわゆる「問題行動」の状態である。
現代の世の中だったら、学校の先生や、学校カウンセラー、親御さんがいっしょになって、こうした問題行動に取り組むことになるだろう。
ヒロイン常子は、幼い妹の、問題行動に取り組むことになる。
「私にはお父さんがいない」その悲しみをなんとか解決しようとして、「美子には、お母さんも、常子お姉さんも、鞠子お姉さんもいるでしょう」と言ってはみるけれど、「お姉ちゃんなんか大嫌い」「とと姉ちゃんなんか信じない」と、ふてくされて、ひとりで部屋に閉じこもっている。
常子は、美子の「とと」代わりになりたいと、町内の運動会に出て、かつてのお父さんの姿のように、一等賞をとろうとする。
私は思う。
心が傷ついて、友達と比べて自分が劣っているような気がするとき、友達と比べて自分の状況が何か足りないような気がするとき、何よりも落ち込んでいるときに、「やつあたり」をする相手がいることは、ありがたいことだ、と思うのである。
常子も鞠子もお母さんも、美子のために、翻弄される。
頭を悩ませる。
本当に困っている。
誰かひとりでも、「わたし」のために、こんなに困ってくれる人がいたら。
誰かを、本当に心から困らせて、悩ませて、時には泣かせることができたら。
そうしないと、とても癒えない心の傷、というのが、あるのだと思う。
誰かを、困らせて困らせて困らせて、そうしないと、とても心のバランスがとれない、ということなのだ。
逆に言えば、どんなに心が傷ついたときにでも、へそを曲げて、八つ当たりする相手がいる、ということは、とても大事なことで、どんなことも乗り越えられる、大事な人間関係になる。
世の中のお母さん、お父さんたちは、子どもの八つ当たりに対して、厳しい態度をとることもあるかもしれないけれども、学校や友達付き合いで傷ついた心を、家庭で癒すことができるのは、家庭の大切や役割だと思う。
常子と鞠子、そしてお母さんは、幼い美子にとって、大切な家族環境になっている。
家族を営み、家族を健全に維持している。
暖かい家族のなかで、幼い心、父を失った柔らかい心は、確実に、力強く、癒されていくのである。
とてもよい、第二週目であった。