2016年7月2日土曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第10週「常子、プロポーズされる」感想。

第11週「常子、失業する」
第12週「常子、花山伊佐次と出会う」
第13週「常子、防空演習にいそしむ」



朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」も、とうとう7月に入った。
半年間の連載ドラマである。
持久走のようなものだ、と思う。
4月の放送開始から三か月たった、ということになる。

民放のテレビドラマでは、三か月で「ワンクール」というテンポで放送されていることが多いから、ここまで毎朝三か月観る、ということは、本当に気の長い話である。
それが、もう三か月続く。

女性たち、特にご家庭で暮らすご婦人の皆さま、それから高齢のかたがたが、毎日どのような生活リズムで暮らしているのか、朝のあわただしい時間帯に、時計代わりになるテレビドラマがどんなものか、だんだんとわかってきた、と思う。

NHKの朝の連続テレビ小説は、もうずっと前から続いてきて、もう何年もこのタイムスケジュールで一日を送っている、という視聴者もたくさんいる。
私もそのひとりである。

そのテレビドラマが半分まできた、ということは、それなりに、達成感とか充実感のあることではないだろうか。


大好きな「ととちゃん」は、戦前編と戦中編を終えて、いよいよこれから、戦後編に入る。

私も、毎週毎週、一週間ずつ感想を書きたかったけれども、政治的な状況や社会状況のなかで、少しずついろいろなことを進めてきていて、そのなかで書けない日もあったけれども、毎日、一視聴者として楽しませていただいて、とても楽しかった。

それで、4週間分の感想を、ここにまとめてみようと思う。

第10週は、女学校時代から、フレンドリーなお付き合いをしてきた、星野武蔵からのプロポーズと、そして別れであった。
初恋と、その恋への別れは、少女時代への別れでもある。

でもその恋も、戦争という社会状況と、常子の家庭環境と、責任と、生き方と、それから、星野のほうの研究や仕事、といういろいろな理由で、別れるしかなくなる。

本当に、ふたりは結婚できる状況ではなかったのだろうか。
いろいろな意味で、切ない話である。

やっぱり、好きな人と結婚できるのが、一番素敵なことだ、と思う。
常子にもいろいろな理由があって、選択をした、ということだけれども、本当は好きな人と一緒になるのが、一番の幸せだったんじゃないかなぁと思う。
そう考えると残念だ。

でも考えてみると、星野武蔵は、大阪へ行って研究者になる、ということは、人生の目標であった、その夢が叶う、という状況だったということになる。
ご両親もかねてより希望していた、ということだ。
とすると、常子と武蔵の結婚によって、武蔵の人生の目標は、達成できる、ということになる。

常子のほうはどうだろうか。
常子は、お父さんが亡くなってから、一家を守る、という三本柱の目標を立てている。
妹たちを守る、妹たちを嫁に出す、家を建てる、という目標である。
もしも、武蔵と結婚して大阪に行くとなると、これらの三本柱の目標は、どれもこれもかなわないまま、挫折、ということになってしまう。

結婚する、ということが、人生の目標の「挫折の結果」だとすると、こんな変な話はない、ということになる。

もしも常子が、子どものころから、人生の目標など持たず、目標に対する努力もあまりせず、教養を身に着けるくらいの感覚で女学校へ行き、そして、人生に対して「ニュートラルな」状態でいたのなら、好きな男性との結婚で、夫の人生に寄り添うことが、自然にできたのではないか、と思われる。

自分の人生に対して「ニュートラルで」いること、これは、アイデンティティの問題かもしれない。
また、親やきょうだい、お金と生活、住む場所と仕事、といったことは、環境と呼べるかもしれない。
アイデンティティの点で、ニュートラルであること、環境の面でもニュートラルであること、これが、結婚に関して、「結婚しやすい」状況かもしれない。

女性は、結婚に関して、ニュートラルでいたほうが、結婚しやすいということかもしれない。

そう考えてみると、子どものときから将来の目標を持ち、高校で一生懸命勉強して、大学では専攻を持ち、資格試験にも受かって専門職に就いた、という方向性で生きてきた女性にとっては、結婚は、すごく、アイデンティティを「折る」ほどの問題となってしまうのかな、と思えてきた。

常子が、好き、という気持ちだけでは、結婚を素直に選べなかったのは、女性としてだけではなく、人間としての生き方、アイデンティティに、しっかりとした芯があったからだ、と言える。
それがいいことなのか、わるいことなのか、そこまでは私にはわからない。
でも、結婚に関しては、きっと、結婚という選択とは対立してしまうほどの、大きな問題となったのだろう、と思う。


それでも、好きな人と一緒になるのは、本当に素敵なことなのに、もったいない、と思った。

次の週からは、戦争という背景のなかで、森田屋さんのことや、祖母の滝子との別れなど、常子の人生の変動期が描かれていたように思えた。

特に、参議院選挙も近いからか、戦争の描き方には、NHKの思い、脚本家やプロデューサーの思いが、表れていたように思う。
近年の日本では、戦争が昔のこととは言えない状況になっていたので、何かとても身近に感じさせるところだった。

そして、常子は今度は、失業してしまう。
この失業のいきさつというのは、本当にこういうものだったのか、と思うけれども、それも、女性の働き方を考えるうえで、とても参考になるものだった。

お竜との出会いは、いささか不自然なかんじがする。
それから、ビヤホールというのは、あの当時は、職業婦人としては流行っていたのかもしれないけれども、女性の振舞い方として、考えさせられる。
やはり、人前でお酒を飲むとか、お酒をふるまう席に出る、というのは、控えておくのが、女性の慎み、というものではないだろうか。

女性だから、という理由で、自由が束縛されるように感じる人も多いようだけれども、本当は、世の中には、男性が出入りする専門の場所と、女性たちが出入りするべき専門の場所、というのは、分かれているものだ、と思う。

そういう話になるとまたやっかいだけれども、常子のとった行動は、やはりどこかで軌道を外れてしまうような、失業しても当たり前、とも言えるような行動だったのではないか、と私は思う。
私だったら、女性同士で、お酒をふるまう店には出入りはしないんだけど、と思う。


次に、花山伊佐次との出会いがあった。
これは、視聴者みんなが楽しみにしていたものだった。
花山氏とのエピソードは、戦後に続いていくものなので、これからを楽しみにしていよう、と思う。

それにしても、戦争は、つらく悲しいものだ、と思う。
これまでも、朝ドラでは、何度も何度も、戦争を、いろいろな角度や視点で描いてきたけれども、私は、滝子さんが、200年続けてきた青柳商店をあとにするところや、あるいは、にぎわっていた深川の情景が消えていくところは、とてもつらかった。

これから、私たちは、明るい賑やかな未来に向かって、ひとつひとつまた、積み上げていくんだ、と本当に思う。

季節は真夏を迎える。
そして、「とと姉ちゃん」の物語も、熱いクライマックスを迎える、ということになる。
これから、常子がどんなふうに、少女時代を乗り越え、戦争を乗り越えて、それらをすべて、自分の力にして、伸びていくのか、本当に楽しみである。

私も、暑い夏を、常子と一緒に、悩んだり、笑ったりしながら、太陽のほうを向いて、向日葵の花のように、伸びていきたい、と思った。