2014年7月10日木曜日

NHK「花子とアン」第15週「最高のクリスマス」今後を予想する。

その1、英治と香澄。
英治と香澄。
花子が恋する相手・村岡英治と、その亡き妻・香澄との夫婦の絆には、まだ決着がついていない。
妻が病気で亡くなった後、夫である英治はどのように、気持ちの整理をつけていくのだろう。
このあたりは、夫婦の濃やかな絆や愛情、妻亡きあとの、英治の心情を、リアルに切実に描いてほしいものである。
特に、実在の村岡氏には、子どもさんがいらっしゃったそうである。
子どもを持った父親として、亡き妻そして、残された子どもに対して、どのような思いを抱いていたのか、そのあたりの描写がほしいところである。
英治に横恋慕するヒロインの立場としては、子どもがいるのといないのとでは、心情がちがうものなのではないだろうか。
また、社会からの評価としても、子どもさんがいるのといないのとでは、不倫の意味合いがちがってくる。
今回、ドラマ化するにあたって、相当の脚色が行われたようであるが、そのあたり、事実とフィクションの間をどのように色付けするのか、あくまでフィクションで通す予定なのか、とても興味深い。

また、夫婦というのは不思議なもので、はたから見ていてもわからない、結婚してみなければわからない、夫婦ならではの、心情や言葉のやりとり、複雑な思いがあるのではないだろうか。
生活を共にすることや、子どもを持つことや、互いに両親がいること、また今回のドラマでは、英治の弟・郁弥も、大事な役割をしている。
そこに流れ通う、独特の心情を、書き表してほしいものだ。

私の予想では、たとえば、こんなエピソードを思う。
先日、ヤフー知恵袋で話題になっていたエピソードであるが、夫が妻に内緒で、妻へのプレゼントを考えて、購入して、サプライズで贈った、という話だ。
妻がテレビをとても好きなので、夫は、大きくて高くて立派なテレビを、あちこちで見て探して、プレゼントした。
きっととても喜んでもらえるだろうと思っていたのに、妻はとても不機嫌になったというのである。
妻の言葉としては「そんなに予算があるなら、生活費に入れてほしかった」
「テレビを買う予定があるなら、一言私に相談してほしかった」ということなのである。
返品・返金してほしい、とまで言うのだそうだ。
夫としては、何が何やらわからない、というところだろう。
妻のほうの気持ちが、私にはよくわかる。
こういいたいのだろう、「テレビって次の買い替えは、10年後でしょう。10年間このテレビを観るっていうことなの?私はテレビが大好きで、新しいテレビがほしいと思っていて、このあいだもヤマダ電機に行って店員さんにいろいろ聞いてきたの。パンフレットもたくさんもらって、割引の交渉までしていた。今買えばポイントもたくさんつけてくれるし、何より、ブルーレイディスクのついた、それも録画も再生もできて、それからインターネットにもつなげられて、ゲームもできて、福山雅治の特典もついてくる、三菱のテレビをほとんど予約寸前まで話していたのよ。夫よ、あなたの懐に、50万円もの予算があるなら、どうして一言いってくれなかったの?私のへそくりから10万円足して、4Kテレビを買うことだってできたのに、あなたが私に黙ってこんな高い買い物するから、中途半端にブルーレイもついていないようなテレビで今後10年間は買い替えなし、というわけじゃないの。なんでなんで一言いってくれなかったの!!!」

また、こんなエピソードもあった。
婚約指輪の話である。
夫となる男性が、ティファニーの50万円もする指輪を、自分で店に行って、選んで購入してプレゼントしたのだが、妻となる女性は「返してきて頂戴!」と怒るのである。
妻の言い分としてはこうである。
「確かにあなたがプレゼントしてくれるものかもしれない、でも指につけて一生暮らすのは、妻である私なのよ。それなのに、ティファニーといったら、今やカジュアルリングじゃないの。私は一生に一度の大切な婚約指輪のために、中学生の乙女のときからゼクシィを買って、指輪研究をしてきたの。一言買いに行こうとか、予算はこれくらい、といってくれたら、最高に素敵な指輪があったのよ。たとえば、京都の老舗のエンゲージリング専門店では三か月前から予約したら、世界にひとつしかない、エンゲージリングを、オリジナルで作ってくれるの。それは、ふたりのイニシャルと結婚記念日と、ふたりの結婚の誓いの言葉を刻印してくれるものなのよ。たった一言いってくれたらいいじゃないの。パンフレットだってたくさんもらって用意してあるんだから。それに、予算が50万円なら、私の独身時代の貯金からあと70万円出して、うちの母親だってこの日のために貯金があるから80万円は上乗せして、200万円の、ダイヤがついた指輪だって買うことができたのよ。うちの母の、指輪のときは店までついていくって、いっていたの。それなのに、ひとりでどこかそのへんの店に行って、どこの女性店員かわからないけれど、口車にのっておすすめ品を、じゃ、これひとつ包んで、とかいい顔してきたんでしょう。だまってらっしゃい。いつもアディダスのジャージしか着たことないあなたに、どうして指輪を選ぶ眼力があるっていうのよ!返品!交換!頼むから!一生、女友達に、あなたのダンナってダサいわねって言われるのは私なのよ!」
…とこういうわけである。
ダンナさんのプレゼントに対する興味、関心、熱意を奪ってしまうことにはなるだろうが、妻のほうも必死なのである。
また、こうした言い分を言えるのが、妻という立場なのではないだろうか。
夫婦はあくまで対等で、よりよい結婚生活のために、また自分のために、あらゆる言い分を率直に言ってぶつかって、傷つけあう、これが夫婦である。
しかしまた、相手が病に倒れたとか、悩み苦しんでいるとか、誰かにいじめられた、というときには、まるで自分のことのように、身体まで痛みを感じる、これが夫婦の絆というものだろう。

英治と香澄には、そうした夫婦の絆、やりとり、心情というものがあったはずである。
妻が亡くなって半年後には、別の女性と再婚できるものだろうか。
私が妻だったら、カメオの裏側に彫って、義理の弟にきっちりことづけして、こういう。
「あなた、私以外の誰かと再婚したりしたら、化けて出てやるから!」
「一生私のこと、思って生きて頂戴!」
絶対に、香澄は、「あなたは誰か健康な女性と再婚して新しい人生を送ってください。私のことは忘れてください」などと言い残したりしない。
そんなの不倫女から見た都合のいい話である。
妻には妻にしかわからない、村岡英治があるのである。


その2、朝市と武のキャラクター。
きょうの「最高のクリスマス」木曜日では、カフェードミンゴでの、新しい時代とあるいは新しい世代による、クリスマスパーティーが描かれた。
とても楽しくてなごやかなクリスマスパーティーである。
にぎわいのあとに、照明も落とした暗く静かな店内で、ぐっすり眠った花子を置いて、英治と朝市の話し合いが始まる。
いやこれは、話し合いではなく、果し合いなのかもしれない。
ナレーションの三輪明宏さんも、「決闘が始まる」と言っている。
果たして、英治と朝市、どちらが勝つのだろう。
ひとつの予想としては、まずは「村岡」という苗字が示すとおり、原作どおりに、村岡英治が勝つ説である。
こちらはとても有力である。
なにしろ、最初からこうした名前で事実の裏をとってあるわけである。
しかし、「花子とアン」は、生きていたら村岡花子さんも恨むであろうぐらい、あるいは教文館も名誉棄損を訴えるかもしれないくらい、脚色されている。
フィクションなのだから、ここは、花子の苗字が「村岡」ではなく、別の苗字になってもよいのではないか、と思える。
そういうわけで、亡き妻との誓いをまっとうする村岡英治に、軍配は上がらないのではないか、と思えてくる。

次に、心当たりとなるのは、朝市くんである。
こちらも、勝ち目というと相当あるものだ。
というのは、「花子とアン」は、村岡花子の人生と、「赤毛のアン」の物語と、「赤毛のアン」作者のモンゴメリの人生を、かけあわせたストーリーになっているからである。
「赤毛のアン」では、主人公のアンは、幼いころからの幼なじみでありクラスメイトである、ギルバートと結婚している。
このギルバートに対して、幼いアンは、教室で、石板を投げつけるという痛い事件を起こしている。
同じく「花子とアン」でも、主人公の花子は、教室で石板を投げて割るのだが、その相手というのが、朝市くんなのである。
だから、朝市くんは、花子の結婚相手として、かなり高い確率で予測されるところなのだ。
しかしまた、このときに、「アンをからかったクラスメイトの男子生徒」というあたりでは、武、武しかいないのである。

女性にとって、幼なじみという存在は貴重で不思議なものだ。
物心つく前から一緒にいて、一緒に大人への階段を登ってきた。
いいところも悪いところも、成功も失敗も、すべていっしょに体験してきて何もかも知っている。
また、同級生というのは、いわゆる「タメ」という状況で、「タメぐち」などという口のきき方もある。
女性のがわからすると、男性をある意味、尊敬や畏怖の念を持って思うのとは別の感情となってくる。
このタメの幼なじみに、ある日突然、ときめきや恋心を持つようになるか、というと、これは難しい問題である。
しかし、これからもずっと一緒に生きていくには、伴侶として、とてもよいパートナーになりそうである。
「互いに支えあう」ことはとても大事である。
英治と花子の関係では、花子は英治に支えてもらう存在であるが、
朝市と花子の関係では、花子はときどき、朝市を支えてあげなければならない。
ちょっと「お姉さんぶった」態度で、朝市をかばってあげなければならないときもある。
夫婦はあくまで対等で、男性というのは、女性がいつも一方的に頼り切れるものではないのではないか。
むしろ、男性にとっては、厳しい社会と人生のなかで、唯一弱みを見せることができて、頼ることができる女性が、妻という存在だろう。
花子が、英治に頼るところから始まった関係で今でも英治に支えられっぱなし、英治のほうから花子を頼る気配はまるでなし、という状況なので、いい夫婦になれるのは、朝市と花子、というカップル成立となりそうだ。

ダークホースの武も負けていないだろう。
大人になってから恋心が芽生えることも充分に起こりうるのである。

女性はできるだけたくさんの男性と知り合い、いわゆる「男を観る目」を養うべきであると、私は思う。
今さら英治と別れることはつらいだろうが、傷ついても傷ついても、本当によい伴侶を得られるために、長い長い旅を続けてきたのである。
男性は、顔でもなく、職業でもない。
第一、朝市の教師という職業は、子どもたちに未来を拓く、素晴らしい聖業ではないか。
挫折と失敗の果てに、幸せな結婚を、花子にはぜひとも掴んでほしい。
顔がよくて身体が大きいからといって、松岡が世界最高だとは限らないのである。
最高のクリスマスには、最高の伴侶に対して両目を開く、そういう展開が待ち望まれるものである。