NHK連続テレビ小説「花子とアン」も、脚本家・中園ミホにとって、佳境にはいった。
つまり、「道ならぬ恋」に身をやつす場面に入ったのである。
脚本家の中園さんが、自身が「道ならぬ恋」をして、シングルマザーになったのであるから、中園さんにしか描けない、恋の様を、克明に観察して描写してくれるだろうことは必須で、私も非常に楽しみにしていた場面であった。
それで、いつもは一週間見終えてから、書いている「感想」であるが、ドキドキするので、きょう、木曜日の分を観終わってから、考えをまとめる意味で書いている次第である。
まず、第一に、花子がどうして、そんなに村岡英治氏を思うようになったのか、そのあたりが今一つ、ピンとこない。
村岡氏との最初の出会いは、花子がまだ女学校の時代に、アルバイトで出版社で働くようになった時期であるから、十代の終わりごろである。
その後、女学校を卒業してから十年間は山梨で小学校の教員をしていて、それから改めて東京に出てきた。
英治との再会があって、十代のころには目覚めなかった恋心が芽生えた。
そしてその恋がとても情熱的な思いとなるわけである。
このあたりの流れというか、花子の心情がよく見えてこない。
出会ったころは「ナマケモノ」と呼ばれて、プンとふくれていた可愛い花子と、これまたとても無邪気で屈託のない村岡青年であった。
それが、恋に身をやつすことになっていて、これはなんだか、キャラクター的に、これまでの花子の、ちょっとコメディタッチのキャラクターとは、合わない。
それも、突然に合わなくなった、という印象である。
それで、ここでまとめてみようと思う。
その1、出会い 十代のころ。アルバイトで出会って、一緒に仕事をしたが、少年少女のような会話しかしていない。
その2、プレゼント、村岡氏から、当時のアルバイトのときに、英英辞典をプレゼントされている。これは、花子が語学力が優れていて、翻訳が上手だったから、花子も当時なかなか手に入らなかった英英辞典がとてもほしかったから、向学心に応じて、村岡氏がプレゼントしたものである。
その3、「みみずの女王」で文学賞を受賞したときに授賞式で会っている。このとき、「あなたはあなたらしく自信を持って書き続けてほしい」と励まされている。
その4、花子が山梨から上京して東京の出版社で働くことになったとき、歓迎会で花子がワインに酔ったときに、おぶって家まで送ってもらっている。
その5、おぶって送ってもらったときに、「英語の勉強を続けていない」「あなたには翻訳の才能があるのに」と叱られている。実際には、才能をほめられているのとイコールである。
その6、雨の日に雷鳴が轟くときに、情熱的な抱擁がある。
その7、抱擁の次の日に「忘れてください」と言われ、しばらくたってから、英治が妻帯者である(花子が山梨に行っていて会わなかった10年間の間に、英治は結婚していた)
その8、花子は英治のことを「大きい人」「壁みたい」と繰り返し表現している。また英治も初めて会ったときに、「小さくて見えませんでした」と言っている。
これらのエピソードと流れを分析してみると、このようになる。
その1、花子と英治は、仕事を介して出会っている。花子の英語の才能を見つけてほめて育てたのが英治である。
その2、花子が自信を無くしているときや、劣等感の塊になっているときに、ただひとり励まして自信をつけてくれるのが、英治である。
その3、出会いのときと比べると、カフェーや、本格的な仕事など、大人の付き合いを始めている。
その4、花子はもともと名前が「はな」であり、「花子」と呼ばれたい、つまり出自から脱皮したいという念願があったのだが、「はな」を「花子」にしてくれたのが、英治である。
その5、英治の妻よりも先に出会っていた、という事実確認のようなものがある。
その6、お互いに相手を、「大きい」「小さい」と感じていて、これは、とても異性を意識した主観であるようだ。
雷鳴が聞こえると、花子は、英治との「あの夜」のことを、フラッシュバックのように思いだし、とても苦しくなるようである。
そして仕事も手に着かなくなる。
「仕事に身が入らなくなるほど」、これが愛情のバロメーターであろう。
そして、プレゼントやふたりで作った本を見るたびに、どちらを向いても彼を思う、これがやはり強い気持ちの表れでもあるだろう。
これからの「花子とアン」「花子と英治」「英治と香澄」とても楽しみである。