戦争が、とうとう始まる様子です。
これまで、5年ほど前から、「戦争が始まるのではないか」という気配があったのですが、
今回は、中東から始まって、1990年のイランイラク戦争のときのような、世界戦争ではないか、という推測がなされています。
この戦争にあたって、「朝倉聡子が、戦争の指揮を執る」という、うわさがあったようなのですが、わたしはそのうわさを、完全に否定します。
わたしは、戦争は、反対です。
ただ、わたし自身、2012年のオバマ大統領当時の、アジア危機から、世界情勢を見てきて、
これまでの世界情勢、状況から、この戦争は、不可避であるように観測しています。
世界中で、不満をぶつける、極右勢力や、生活レベルの向上を訴える、庶民の活動が、増えてきました。
インターネットを介した、世界の人々の交流も、深く広くなってきました。
アメリカでは、トランプ大統領になってから、保護主義貿易が強くなり、中国との対立は、度を越してきています。
それと同時に、TPP(環太平洋貿易協力協定)や、日欧EPAも発効され、世界はとても大きく変わり始めました。
大きな変化の時期は、世界の国々の、勢力分布図が、変わる時期だといえるでしょう。
第二次世界大戦の勝利と敗北のあと、日本もアメリカも、ヨーロッパの他の国々も、第二次世界大戦の「結果」である、世界の国の順列のなかにありました。
その順列を崩し、新しい順列を、新しいヒエラルキーを、作りたい、作り変えたい、という各国の強い願いが、この戦争の勃発につながったのだと推測します。
新しい時代が、この戦争のあとに、やってくるでしょう。
わたし自身は、戦争がきらいです。
人の命や生活が、多く、奪われます。
人々は、争いあい、憎みあい、不信と疑惑が広がっていきます。
安全な水や食料、衣服や住居がおびやかされるでしょう。
そういった戦争を、人間として、快いと思えるはずがありません。
それは、女性か、子どもか、男性か女性か、ということに関わらず、人間であれば、だれもが、戦争は不快だと感じるはずです。
一方で、新しい秩序を希求する、人の願望も、あることでしょう。
わたしは、そういった理由から、この戦争が、不可避であると感じます。
そして、この戦争を、一個人も、団体も、また、市民デモをもってさえも、止めることはできない、と感じます。
そうした理由で、不可避でありながら、賛成もできない、という気持ちで、この戦争を見守ります。
戦争反対の活動は、いたしません。
戦争が終われば、また新しい文化が芽吹いてくるでしょう。
そのときまで、家で静かに待つことにします。
年配のかたに第二次世界大戦中の、女性の暮らしをお聞きしました。
自宅で静かに、縫物などをして暮らしていたそうです。
わたしはそのように暮らそうと思います。
また、テレビドラマなどで、戦争中の暮らしを学ぶこともありました。
いざというときには、どうすればよいのか、さまざまに考えて、対処を考えています。
主人とも話し合いをしました。
主人は男性ですから、男性なりの考えがあり、女性のわたしにも、戦争に参加して、戦争の仕事をしてほしかったようです。
それで、わたしの考えを聞かず、先に、「朝倉聡子も戦争に参加する」「朝倉も戦略を練る」
「朝倉が一緒に戦争をする」と、みなさんに伝えてしまったようです。
わたしは、それを知りませんでした。
それで、主人の仕事をさえぎってしまったのかもしれません。
夫妻でよく、話し合っておいてから、みなさまにお伝えするべき事柄でした。
そうしたことで、夫妻で話ができましたので、ここに、今後の、朝倉聡子の方針をお伝えする気持ちになりました。
Twitterなどで、みなさまを鼓舞したり、戦略をお伝えしたりすることは、ありません。
これは、主人と、その上司のかたと、約束をいたしました。
そのうえで、戦争反対の活動もいたしません。
さきに申し上げました通り、家で静かに暮らして、戦争が終わるのを待つことにします。
そして、主人の衣食住を支えます。
これが、わたしの今後の方針です。
わがままとおっしゃるかたもおられるかもしれませんが、わたしの気持ちを、どうぞ、あたたかく見守ってくださいませ。
追記となりましたが、音楽の件です。
音楽も文学も、言論の自由、表現の自由というものがあります。
誰にとっても、好きな歌、そうでもない歌があるでしょう。
人生のそのとき、そのときにおいて、気持ちに合う歌、そうではない歌もあるでしょう。
わたしは、いろいろな歌に支えられてきました。
人生のさまざまな季節に、さまざまな、たくさんの歌を聴いてきました。
自分の気に入っている歌が、批判されたりすると、気分のよくないものです。
わたし自身もそうですから、だれもがきっとそうでしょう。
わたし自身は、Spotifyで、あくまで個人的に、好きな歌を聴いてきた、そういうスタンスでいます。
今もこれからも、あくまで個人的に、好きな歌を聴く、その姿勢でいます。
世の中に、人間の生活に、さまざまな人生のシーンがあり、感情があり、人間関係があります。
それらを、否定するつもりはありません。
たくさんの人が、たくさんの感情を共有しあいながら、情緒を深めていくことは、とても大切なことだと思っています。
だから、いろいろな歌があっていい、と思います。
個人的な感想が、歌を歌う人たち、歌を聴く人たちに、不愉快な思いをさせてしまったのなら、本当に申し訳ないと思います。
これからも、文化の発展のためにも、人々の心の成長と支えのためにも、たくさんの歌が生まれ、そして、歌い継がれていってほしい、と心から願っています。
わたしが黙っていたことで、たくさんの人々に、混乱とご迷惑をおかけしたかもしれないです。
わたしの考えと気持ちは、以上のようなことです。
長くなりました。
読んでくださって、ありがとうございます。
これからも、主人と公明党ともども、よろしくお願いいたします。