2015年8月3日月曜日

安保法案と、新しい国造り。

安保法案と、新しい国造り。
安全保障法案が、衆議院を通過した。
先週からは、参議院での審議が始まっている。
国民世論が、大きく揺れている。
政治問題としては、「盛り上がっている」という見方もできるだろう。
安全保障法案に対して、賛成意見も反対意見も、これだけたくさんの考えと意見が出てくることは、民主主義国家として、とても頼もしいことだ、と私は思う。

ところで、安倍総理大臣は、安保法案が可決されたら、すぐにでも戦争を始める気持ちでいるのだろうか?
このあたりで、国民の疑心暗鬼は深まるばかりである。
何しろ、秘密情報保護法案もあるし、政治家というのは、昔から、選挙のときだけの口約束、と相場が決まっている。
本当に、信じて大丈夫なのだろうか?

私は、こういうときに、安倍総理大臣という人の、人柄や性格を、じっくりと考えてみる。
人々は、「政治家」というだけで、腐敗や汚職の色眼鏡で見てしまう傾向があるように思う。
けれども、私は、日本の政治家は、高潔で理想肌であるように思う。

特に、震災後の日本の政治家は、若手も含めて、理想と情熱に燃えているように思う。
そして、安倍総理大臣という政治家は、やはりとても、理想の高い政治家であるように、私は思う。

たとえば、安倍総理大臣は、山口県の出身であるが、山口県には、高名な吉田松陰がいる。
安倍総理大臣の演説には、この吉田松陰の名前が、何回も出ている。
「松陰のように、やろうではないか」という呼びかけもある。

現代の日本は、時代が変化変化のときである。
それはあたかも、明治維新の変化の時代と、重なるものかもしれない。
そして、安倍総理大臣は、現代の吉田松陰となるべく、理想を掲げて政治を行っているのではないか、と思うのである。

吉田松陰は、国内にあっては、改革、革新を進めた。
そして、国外にあっては、「強い日本」を造ろうとしていた。
明治維新の時代は、長い間の鎖国がほどけて、黒船が来航していた時代である。
「外にあっては」「国際的には」という点は、とても大切な視点だったのだろうと思う。

安倍総理大臣は、外務大臣を歴任している。
御父上の安倍晋太郎氏も、外務大臣であった。
若いころから、外務の仕事として、海外へ何か国も渡航して、仕事をしている。
それで、外務大臣的なものの観方が身に付き、時には海外で悔しい思いも情けない思いも体験して、「日本はもっと国際的にならなければならない」「日本は、海外の欧米諸国とも肩を並べられるくらいにならなくてはならない」と強く思っていたのではないか、と私は考える。

それで、今回の安保法案も、世界情勢のなかで、すぐにでも戦争の後方支援に乗り出したい気持ちもあるかもしれないが、どちらかというと、「新しい国造り」という意味合いが、とても強いのではないか、と思うのである。

憲法改正に関しても、国の枠組みを、基礎から変える、ということである。

私自身は、憲法改正には、賛成である。
戦後70年もたって、憲法は、時代にそぐわないほど、古くなってしまった感がある。
しかし、憲法9条を変えるべきかどうか、というと、はてなマークがついてしまう。
それでも、憲法改正の問題に、取り組むことはとても大切で必要なことであると、私は思う。

2011年に中東で、チュニジアやエジプトの市民革命が起こった。
インターネットの普及とともに、たくさんの市民が集まって、腐敗した政治にNOを突きつけ、デモを起こすことが、世界中で行われるようになった。
しかし、ただの怒りをもとにしたデモは、政治と社会秩序を破壊するだけで、建設的な新政府の樹立にはつながらない。
もしも、政治に不満があるのなら、民主的な手続きを踏んで行うべきであると、私は思う。

そうした点から、新しい国造りを、憲法の改正、という民主的で合法的な手段で行うことを、これまでも提案してきた。

憲法の改正は、新しい国造りそのものである。

安倍総理大臣は、来年には憲法改正を行いたいそうである。
それは、安倍総理大臣の思い描く理想であるところの、「外にあっては強い国造り」という目標の達成への道筋である。
これは、合法的で民主的な道筋である、と言えるだろう。

ところで、私たち国民は、この安倍総理大臣の理想とする「強い日本の国造り」に、賛成して協力する気持ちになるだろうか。

考えてみると、総理大臣は政治の長ではあるが、王様でも神様でもない。
天と地を創造したのは、神様であるが、そうした権限を持っているかどうかは、首を傾げてしまうところである。

「もし私が王様だったら?」と考えてみたことはあるだろうか。
もし、あなたが王様だったら、どんな国造りをしたいだろうか。

私だったら、北欧型の、高福祉社会にしたい、と思う。
実は、ずっと以前からこうしたことは考えて来ていて、それで、高負担高福祉、という意味で、消費税の増税に賛成した。
税・社会保障一体改革である。

消費税の増税は決まったが、残念ながらその後、税の使い道は、国土強靭化、武力の強い日本、という方向へと向かってしまった。
本当に残念である。

もし私だったら、高福祉社会にしたい。
お年寄りや小さな子ども、病気の人や障害のある人が、心豊かに暮らせる国を造りたい。

これは、個々人によって、理想がちがうようである。
私の友達に、こうした問いかけをしてみたら、その友達は「貧困対策をしっかりした、安心な国造りをしたい」と答えてくれた。

今年の夏は、猛暑である。
この暑さのなかで、エアコンもつけられない、エアコンのついた場所にいられない人たちがいる。
そうした人たちが、熱中症で運ばれるニュースを聞くたびに、心痛む思いがするそうである。
貧困は、とても重要な社会的な課題である。
日本中の人が、経済的に豊かに暮らせるような国造りをしたい、これが、その友達の願いだそうである。

私たちひとりひとりが、安倍総理大臣、という王様ひとりの理想に、賛成や反対をするだけでなく、国造り、ということを、考えてみてはどうだろうか。
それは、もちろん、国際的な対応法を考えることも含まれる。
グローバル化の世界にあって、どんな日本でありたいだろうか。

新国立競技場の問題も、たくさんの人が、まず興味を持ち、よく知り、自らの考えを述べることで、民主的に建設されようとしている。
これは、本当によいことだ、と私は思う。

本当に、安倍総理大臣の国造りの理想に、賛同できるか。
できないとすると、どんな日本を造っていきたいか。
いま一度、民主的に、みんなで考えていきたいものだ、と私は思う。

未来の子どもたちへ、最大のプレゼントをしていきたいものだ、と私は思う。