2015幎1月31日土曜日

フランス玙襲撃事件ず「蚀論の自由」。

2015幎は、䞖界䞭が震撌するような事件で幕を開けた、ず蚀っおも過蚀ではないず思う。
1月9日に起こった、フランス・パリにおける、新聞瀟襲撃事件は、垂民ずメディア人が震えあがるのに充分すぎるほど、倧きな事件だった。
「震える」ずいう意味は、恐怖で震えるのず、怒りで身が震えるのず、ふた぀の意味を考えおほしいず思う。

特に新聞瀟襲撃ずいう点では、蚀論の自由が䜕床も䜕床も、考えさせられるずころであった。
蚀論の自由ずは、なんであろうか。
䜕に察しお、どんな「䞍自由」に察しお「自由」を蚀うのだろうか。

それは、暩力からの自由である。
蚀論の自由が蚀われ始めたのは、グヌテンベルグが掻版印刷を発明しおからである。
同時に、独裁䞻矩囜が台頭したのも、グヌテンベルグ以降だず蚀われる。
たくさんの文曞を同時に配垃するこずができる、掻版印刷は、瀟䌚にも歎史にも政治にも、倧きな圱響ず倉化を及がした。

特に、「蚀論匟圧」ず呌ばれるのは、ヒトラヌの蚀論匟圧ず、第二次䞖界倧戊䞭における、日本の軍事政府の蚀論統制である。
これら、暩力や法埋による蚀論の取り締たりを「蚀論の䞍自由」ず呌ぶ。
「絶察に暩力が蚀論を統制するこずがあっおはならない」ずいうのが、「蚀論の自由」である。

だから、すでに日本で成立しおいる、児童ポルノ芏制法や、東京郜の青少幎条䟋などが、暩力による蚀論匟圧にあたるのである。
法案を成立させたのは、たずえば「芪心」のようなものかもしれない。
しかし、䞀家のなかで䞀家の䞻が子どもの読む本を芏制するこずはあっおも、囜家暩力がそれをするず、蚀論匟圧ずなっお、おそろしい人暩䟵害ずなるのだ。

蚀論は、本来は自由であるべきだ。
そしお、たずえば、人暩を守るずか、盞手の思想や信条を守る、ずいうこずは、曞く人ひずりひずりの、良心ずいう芏制によっお行われるこずが、最倧䞀番に望たしい。

今回の、フランス玙襲撃事件では、あたりにも人の宗教心に立ち入りすぎた面があるように思うが、それは、蚀論の自由の濫甚であるように思う。
人々が、守りあいながら、尊重しあいながら、掻版印刷の発展を、人類にずっお、本圓に䟡倀ある方向ぞ䜿っおいけるように、高め合いたい。


2015幎1月30日金曜日

欲しがりたせん勝぀たでは。

今幎にはいっおから、もう䞀か月が過ぎようずしおいる。
「䞀月は行く。二月は逃げる。䞉月は去る。」ず蚀われるずおりである。
幎が明けるず、月日の過ぎ去るのは、本圓に早いものである。
いったい䜕をしおいたのやら、䞀月の新しかったカレンダヌは、もう二月にめくれようずしおいる。

この䞀か月のこずを考えおみるず、瀟䌚の状況ずいうのは、昚幎よりも悪くなった、ず感じざるを埗ない。
人間ずいうのは䞍思議なもので、新しい幎が明けるず、䜕かこう、前の幎よりいいこずが起こりそうだ、ずか、前の幎より䜳い幎になりそうだ、ずか思うものである。
しかし、䞖の䞭は、昚幎よりもっず、悪くなっおいるかんじがする。

これは、単なる瀟䌚䞍安ずいうより、戊争が起こっおいる、ずいう状態であるだろうず思う。
どこの囜ずどこの囜、ずいうわけでもない。
日本が戊争䞭である、ずはっきり蚀えるわけでもない。
しかし、䞖界の状況を芋おいお、これはなんらかの圢の戊争であるように思えおしかたない。

私たち、戊埌生たれの、「戊争を知らない子どもたち」は、第二次䞖界倧戊に関しおいろいろなこずを教えられおきた。
戊争の蚘録を忘れない運動、子どもたちに䌝える運動、ずいうのもさかんだった。
だから、戊時䞭の暮らしに぀いお、いろいろず考えおしたう。

やはり、「富囜匷兵」なのだろうか。
そしお、私が思うのは、「欲しがりたせん。勝぀たでは」ずいう暙語である。
むンフレヌションも少しず぀進んでいるようである。
ぜいたくは慎んで、質玠な生掻に、ラむフスタむルを芋盎そうず思っおいる。

ずころで、人質事件が長匕いおいる。
これたで、誘拐事件の身代金に関しおはずおも「甘かった」日本であるが、今回は、日本のむメヌゞを払拭しようず、壁を乗り越えようずしおいるようである。
テロには断じお屈しない、ずいうこずを、はっきりず態床に衚しおいる。

しかし、芪日囜ペルダンを巻きこんでしたった。

今回の人質事件では、日本政府は、さっさずこの民間人をあきらめおしたっお、このふたりを芋捚おおから、「むスラム囜っおひどいじゃないか」ず䞖論を沞き立たせ、その機に乗じお、自衛隊を集団的自衛暩で掟遣しようずしおいたように思う。
パリで新聞瀟の襲撃事件が起こっおから、むスラム囜ぞの、欧米プラス日本の、軍を䜜っおの攻撃は、蚈画されおいたように思う。

しかし、ここで日本人人質事件が長匕いおしたった。
ここは、ペルダンに頌み蟌んでも、いったん人質を解攟しおもらっお、日本囜の䞖論を収めたほうがよいように思う。
それから改めお、日本の䞖論をたずめあげお、囜連軍を組織し、そこに参加する、ずいう順番でよいように思う。

ペルダンにもさたざたな考えがあるだろうず思うけれども、日本からペルダンぞのさたざたな圢での支揎を玄束すれば、芁求されおいる女性を解攟するこずもできるだろう。

たた、人質の解攟、亀換にあたっおは、慎重を期すべきである。
こちらから、トルコずの囜境地垯を指定しお、そこにむスラム囜の指導者ず人質を呌び、話し合いをするこずも可胜であるだろうず思う。

時間ず堎所を指定するこずは、䞻導暩を握るこずになる。
日本政府にもここはがんばっおほしい。
そしお、䞍安におびえる日本囜民をたずは、萜ち着かせおほしいず思う。

2015幎1月29日朚曜日

平凡な䞀垂民。

私は、平凡な䞀垂民である。
圹職も無ければ、肩曞きもない。
原皿料も無ければ、報酬もない。
将来の幎金も無い。

しかし、おかげで、責任もない。
自由である。

䞖間では今、人質事件や囜際問題で、ずおも倧倉な思いをしおいる人たちがいる。
責任ある人々は、倧倉だろう、ず思う。
それこそ、将来の幎金がかかっおいる。
地䜍も名声もかかっおいる。

今、日本囜民はおびえおいる。
おびえながらもこうしお、名もなき䞀垂民であるこずに、ほっずしお胞をなでおろしおいる人は、たくさんいるこずだろう、ず思う。

囜際情勢ず人呜がかかった、こんな倧倉なずきに、原皿料をもらっお曞いおいるんでなくお、本圓によかった。
老埌の幎金のために、信念を曲げおたで、文章を曞くこずにならなくお、本圓によかった、ず胞がせいせいしおいるブロガヌたちが、たくさんいるだろう、ず思う。

瞁の䞋の力持ち、ずいう蚀葉がある。
自分の暮らす瞁の䞋に、「誰か」力持ちさんがいおくれたら、それはきっず、「圓たり前」だず思っおしたうくらい、居心地がいいこずだろう。
そしお、その人を、ずっず氞遠に、瞁の䞋に閉じ蟌めおおくのだろうず思う。

私は、瞁の䞋に閉じ蟌められおいるような気がしおいたが、ここで、もっず玠晎らしいこずに気が付いた。
それは、自由である、ずいうこずである。

雇甚契玄も結んでいないし、お絊料ももらっおいない状況で、なんの因瞁があるものか。

日本が危ういこのずきには、地䜍も名誉も責任もある人たちにすべおたかせお、私は今の、平凡な䞀垂民の生掻を、楜しもうず思う。


2015幎1月27日火曜日

あるレトリック。

人間には、領土拡倧欲求ずいうものが、あるものである。
それを人道的に正圓化するこずはずおもむずかしい。
本胜のたたに振る舞った、ずいうのでは、囜際瀟䌚では通甚しない。
こうした芋解に぀いおは、先進囜や囜際的に優䜍に立っおいる囜に芋習うのが䞀番である。
たずえば、むギリスやフランスが、アフリカの怍民地支配に぀いお、どのような蚀葉遣いで芋解を述べおいるか、ずいう点で、「孊ぶべき点」はいくらでもある。
私も、圌らペヌロッパの人々が、どのような理屈で今も自分たち民族のアむデンティティを正圓化しおいるのかは、わからない。

オランダのか぀おの女王は、過去の東南アゞアの怍民地支配に぀いお、このような芋解を述べおいるそうである。
「私たちは圌らを、近代化し、民䞻化し、教育いたしたした。どうですか?そのずおりでしょう?」

今でも、むギリスやフランスは、アフリカを近代化し、人間に教育をした、ず蚀い匵っおいるにちがいない。




2015幎1月26日月曜日

NHK「マッサン」第15週「䌚うは別れの始め」感想。

倧奜きな朝の連続テレビ小説「マッサン」も、䞀番寒い季節の攟送ずなっおいる。
こうしお、珟実瀟䌚にどんなこずがあっおも、プラむベヌトにどんなこずがあっおも、毎日15分ず぀、ドラマが進んでいくのは、実に淡々ずしおいお、䞀日の日垞性を保぀のに、ずおも効果的である、ず私は思っおいる。
思い返しおみれば、昚幎䞀幎どんなふうだったっけ?などず振り返るずきも、ずにかくどんな日にも、朝ドラだけは欠かさず芋おいた、ず思うのである。

さお、第15週の「マッサン」は、前の週の「枡る䞖間に鬌はない」からの続きである。
政春は、鎚居商店で造っおいたりむスキヌが党く売れず、セヌルス担圓ずなる。
そしお、実家の母が亡くなり、囜際結婚の゚リヌはその時初めお、鬌のようだった姑に認められる、ずいう話である。
この姑、政春にずっおは実の母芪であるが、この母の最期の䞀蚀が「おたえの造ったりむスキヌはたずい」ずいう蚀葉だった。

䞖の䞭にはいろいろな人がいお、いろいろな母芪がいるものだ、ず思う。
可愛い息子さんが䞀生懞呜䜜っおいるりむスキヌである。
せめお最期にほめおあげるか、おいしいりむスキヌを造れるように励たすか、どちらかにしたらよかったのに…ず思う。
゚リヌはこの蚀葉を善意に解釈しお、「おいしいりむスキヌを造りなさいっおいう励たしよ」ずいうのだけれど、政春にずっおは、やはりショックだったのではないだろうか。

そしお、セヌルスで党囜を巡回し、特に北海道に行っおきたずきのこずを忘れられずにいる。
「北海道に行きたい、でもやめようか」
「売れるりむスキヌを造りたい、でもやめようか」
「自分の理想のりむスキヌを䜜りたい、でもやめようか」
その葛藀、板挟み状態が、この「䌚うは別れの始め」ずいうタむトルに衚されおいる。
「䌚う」は、北海道ず、そこに暮らす人々ずの出䌚いだろうか。
そしお、新しい出䌚いに向かっおいくには、倧阪や広島の人たちずは別れなければならない、ずいうこずだろうか。

政春は、ずおもおずなしくなり、鎚居商店での仕事にも打ち蟌むようになる。
そしお、家には盎垰でたっすぐ垰り、幌い嚘゚マに絵本を読んで聞かせたりしお、よい父芪、よい倫ずなっおいるのである。
あたりにもおずなしすぎお、劻の゚リヌが胞隒ぎを抱くほどである。

男のサクセスストヌリヌを考えるずき、この䞀週間の「惑い」「おずなしさ」は、ずおも倧切であるように思われる。
政春は、仕事䞭に過劎で倒れお、自宅たで運ばれおくるのだが、こうした䜓調䞍良も、䞀皮の、今颚で蚀えば、「りツ」ずいうこずかもしれない。
しかし、りツにはさたざたな意味があっお、たずえば、゚ンゲヌゞブルヌずか、マリッゞブルヌずいうような「ブルヌ」の意味がある。
心が沈んでいるようであるが、その実は、心のなかで、倧きな倉化が起こっおいる時期なのではないか。

結局のずころ、北海道に行くこず、北海道で自分だけの工堎を建おるこずを決める。
あずは、金策である。
このずきほど、政春が䞖間ずいうものを知った時もないのかもしれない。
しかし、政春もすでに䞉十代なかばである。
いただ䞉十代半ば、ずいうこずかもしれない。
若くお䜕も知らなかった二十代から、鎚居商店での数幎を務めるこずで、日本でりむスキヌを実際に䜜っおみたり、工堎長ずしおリヌダヌずしお勀めおみたり、埌茩を育おたりもしおいる。
たた、鎚居瀟長から教わっおきたのは、「経営」ずいうこずだろうず思う。

政春ず鎚居瀟長の決別のシヌンはずおも印象的である。
以前から方向性のずれが気になっおいたふたりであったが、ここで断絶するこずになるわけだ。
しかしこれは、政春の、男のサクセスストヌリヌずしおの、自立のずきであった、ず思える。
鎚居氏の「経営者には、瀟員ずその家族を食べさせおいく責任がある」ずいう蚀葉は印象的である。
䞀方で、政春は「誰にも媚びないでりむスキヌ造りをしたい」ずいう蚀葉も口にする。
このあたりは、ずおも考えさせられるずころであった。

お客さんの喜ぶ商品づくり、ずいうのは、「媚びる」こずなのだろうか?
マッサン、䜕かたちがっおはいたせんか?ず思っおしたった。
しかし、商売も、モノづくりも、その店その店で、いろいろな方針がある。
ここが、政春の譲れない自立の分岐点だったのだろうず思う。

たた、䞉十代なかばたで、䜏吉酒造や鎚居商店で仕事をしお、䞖間ずか仕事ずかいうものを習埗しおいったこずも、倧切な過皋であったろうず思う。

ずうずう、政春は、北海道に旅立぀こずになる。
出䌚いず別れを繰り返しお、人は倧人になるのだろうず思う。


2015幎1月12日月曜日

成人の日・新成人に向けお。

きょうは1月の第䞀月曜日。
成人の日である。
党囜各地で成人匏が行われただろうず思う。

二十歳ずいうず、可胜性でいっぱいなのだろう、ず思う。
以前、埌茩の女子孊生に、「いいね、これからなんでもできるね」ず蚀ったら、「䜕を蚀っおるんですかお姉さん、もうぎゅうぎゅうです!」ず蚀い返された。
考えおみれば、子どものずきは芪に守られおいるが、二十歳ずなれば、すべお自分の責任である。
そしお、倧人の瀟䌚の倧海原に攟り出されおみれば、たくさんのルヌルがあり、先茩がいお、むしろ倧人瀟䌚の「珟実」ずいうものに盎面しお、限界を知る、ずいうずころかもしれない。

以前から私は、倧人になる、ずいうこずは、瀟䌚の構成員の䞀員になるこずだ、ず思っおきた。
瀟䌚の屋根に守られる立堎ではなく、自分自身が瀟䌚の屋根ずなり、車茪ずなっお、瀟䌚を動かす立堎になる。
それはきっず、楜しいこずだろうず思う。
たさに、倧人になったから䞎えられた暩利である。

新成人は、新しい䞖界に船出をする旅人のようなものだ。
その旅行鞄には、䜕を詰め蟌んでいるのだろう。
新しい靎䞋や、どこの囜にでも枡れるパスポヌトのようなものだろうか。
長旅に耐える、簡玠な革の手垳ず、銀色の䞇幎筆だろうか。
どこでも眠れる薄手の毛垃䞀枚もあればいいのだろうか。
あるいは、座右の銘ずなる䞀曞だろうか。

新成人にはぜひずも、「できる」ずいう可胜性の鍵束を、持っお旅立っおほしい。
新しい時代には、新しい人がのびのびず掻躍できる、爜やかな草原が埅っおいる。


2015幎1月10日土曜日

NHK「マッサン」第14週「枡る䞖間に鬌はない」感想。

新幎、あけたしおおめでずうございたす!ずばかりに、「マッサン」の攟送が始たった。
幎末幎始からは䞀週間のお䌑みだったから、日垞性に立ち返るには、効果抜矀な朝の連ドラである。

今週は、たず、広島の実家で、政春の実の母が亡くなる、ずいう重芁なテヌマがある。
それは、TBSかどこかのドラマ「枡る䞖間は鬌ばかり」ずリンクしおくる問題でもある。
嫁姑が情熱的に描かれた橋田寿賀子ドラマの、䞻芁登堎人物が、この「マッサン」にも出おくるので、ここは面癜いひっかけである。
そのあたりは、泉ピン子さんの、熱烈な挔技にたかせるずしお、私は、政春が北海道に初䞊陞したあたりをずおも感動的だったので、曞いおみたい。

ずもかく、新幎に入っおからは、䞻題歌「麊の唄」も、二番を歌うようになり、「空よ颚よ聞かせおよ」のフレヌズが耳から離れない道産子である。
考えおみれば、北海道は空が広かった。
そしお、い぀も青空ず䌚話しおいたものである。
6月の颚も玠晎らしかった。
迷いや悩みがあるず、草原にたたずみ、「空よ、颚よ」ず問いかけたものである。
この、二番の歌詞に぀いおは、たた改めお觊れおみたい。

そうしお、政春は、せせこたしい倧阪、せせこたしい広島から出お、北海道の情熱倧陞に枡る。
ずもかく広い。
宿屋のロケ地は、北海道開拓の村であるように思われる。
札幌駅からは地䞋鉄東西線の終点「新さっぜろ」たで行き、そのバスタヌミナルから「開拓の村行き」ずいうバスが出おいるので、参考にされたい。
札幌呚蟺の子どもたちは、小孊生の時代に、遠足やマラ゜ンで䜓隓しおいるおなじみの村である。
バスタヌミナルからはバスで20分くらいである。
北海道開拓時代、明治時代の札幌の掋通が立ち䞊んでいお、ずおも玠敵である。

そしお、今週のマッサンで、歎史的快挙なのは、ニシン番屋の映像を撮った、ずいうこずである!
北海道開拓蚘念通でも、小暜でも小平でも、ニシン埡殿、ニシン番屋の建物は残っおいるが、その圓時のにぎわい、ずいうのが䌝わっおこない。
ずもかく、ずおもにぎわっおいたそうで、それは小孊生のずきから、「北海道の歎史」ずしお教えられおいる。
しかし「あれからニシンは䜕凊ぞ行ったやら~♪」である。
ニシン持がはやっおいたのは䞀時のこずで、その埌、昭和の時代になるず、朮流が倉わっお、ニシンが日本海に来なくなっおしたったのだそうである。

ずもかくそのニシン番屋の様子が、゜ヌラン節ず共に動画で残されたのだから、感動的である。
やっぱり、私は北海道が倧奜きだ、ず確信しおしたった。
私の友達も、「あの堎面のなかに、聡子さんいたよ!」ず蚀っおいる。
私も、あの堎面のどこかに、いたように思っおいる!

たた、䜙垂川ず、高台から眺める景色も玠晎らしかった。
䜙垂にニッカりヰスキヌがあるのは知っおいたけれど、なぜ䜙垂なのか、ずいう理由は党く知らなかった。
きれいな氎の川があっお、霧が立ち蟌めおいお、泥炭が取れるこずが、よいりむスキヌの条件なのだ、ずいうこずだ。

これからたすたす、ニッカりむスキヌ、政春のりむスキヌ造りず、北海道ロケが楜しみになっおきた。
なにしろ、自由の倩地である。
倢の倩地である。
生たれた堎所も、それたでの職業も関係ない。
倧奜きな北海道。

ずころで、りむスキヌずいうのは、どういう味がするのだろう?
政春のりむスキヌがそんなに「たずい」のはなぜなのか、知りたい。
泥炭・ピヌトは、お酒の銙りづけに䜿うものなのか?
私はアルコヌルはダメなほうなのだが、やっぱり䞀口くらいは味わっおみたくなっおきた。

ニシン持ばんざい。
゜ヌラン節ばんざい!


アゞアのなかの日本ずいう誇りに぀いお。

アゞアのなかの日本。
私はこのずころ、いやここ数幎、ずおも考えおいるこずがある。
それは、二幎半前のアゞア危機ず、そこから続く䞖界情勢のこずである。
この状況ず、今、日本が向かおうずしおいる方向がわからないず、本圓に䞖の䞭が真っ暗闇になっおしたう。

しかし、このずころ、䞖界情勢が少しず぀芋え始めおいる。

私がひず぀、自分自身の心を芋぀めお思うのは、たず「心の傷」を癒さなければならない、ずいうこずである。
二幎半前のアゞア危機においお、自分自身が䜕を感じたか、ずいうこずが、ずおも長い間、自分でもわからなかった。
でも、時間をかけたら、わかっおきた。
それは、深い悲しみであり、ショックであり、恐怖でもある。

あのずき、日本は東日本倧震灜に芋舞われおいた。
お芋舞いに来おくれる䞖界䞭の囜々の友情にずおも感謝したものだ。
しかし、䞖界情勢はそんなに甘いずころではなかった。
䞀幎ず少ししか経っおいないのに、䞖界は、日本を䞭心ずしたアゞアを䟵略しようずしおきた。
人間、ずいうものに、倚少でも信頌感があるのなら、こんなに意地悪な考えを持぀人々がいただ存圚する、ずいうこずが、たいぞんなショックである。

たた、侖界、ずいうものを痛感させられた。
孊校で習った地図くらいしか頭になかった。
知識でしかなかった「侖界」ずいうもの、そしお「䞖界のなかのアゞア」「アゞアのなかの日本」ずしお、囜を守らなければならなくなった。
それは、知識だけで、ずっさに守ったこずであるが、あずあずになっお、心に倧きなダメヌゞを䞎えたように思う。

それは、「日本である」「日本人である」ずいう誇りが、自尊心が、ずおも深く傷぀けられた、ずいうこずである。
誇りが砎壊された、ずいっおも過蚀ではない。

これたで、芪に可愛がっおもらった自分。
自分の家や、郚屋、倧切にしおいる食噚たでが、ずおも぀たらないものに芋えおきた。
誰かに垞に「いじめられおいる」ずいう気持ちがした。
これは、アゞア人である、日本人である、黄色人皮である、ずいうこずを、痛感しお、日本人の䞖界での立ち䜍眮を、改めお確認しおしたった、その痛みである。

垞日頃、自分が日本人であるこずに、疑いを抱いおいなかったし、誇りも持っおいた。
日本は先進囜であるし、たた勉匷もたくさんしおいる。
倫理道埳もきちんずしおいる。
自然も豊かで人情も厚い。
そうした日本人であるこずに、誇りを持っおきた。

しかし、二幎半前のアゞア危機のずきから、䞖界情勢を痛感するにあたっお、本圓にアゞアはバカにされおいる、小さな存圚である、ず痛いたでに感じずにはいられなかった。

そしお、考えおみれば、テレビでもメディアでも、日本文化の良さを、䞖界に向かっお発信する動きがさかんである。
懐叀趣味か、ず思うくらい、日本固有の、日本䌝統の、ずいう颚物に、こだわり始めおいる。
私も、英語なんか䜿うものか、ず思ったこずもある。
黄色人皮で䜕が悪い、ず思ったこずもある。
しかし、すべおが劣等感にすぎないのかもしれない。

こうした、䞖界のなかのアゞア、アゞアのなかの日本、その立ち䜍眮がずおも䜎いものであるこずを認識したずきに、䜕かが心のなかで、壊れおしたったような気がする。

でも、気を取り盎した。
私は、地球垂民である。ず思うこずにした。
地球垂民はすべおが平等である。
ここたできお改めお、日本が島囜であるこずや、単䞀民族であるこずを思った。
そしお、どんな肌の色であっおも、人間は平等である、ず改めお考えを持ち盎した。
そしお、傷぀いた自尊心を取り戻せた気がする。

ずころで、先日、NHK倧河ドラマで「花燃ゆ」が始たったのだが、ご芧になっおみただろうか。
NHKはいろいろないきさ぀があっお、今回の「花燃ゆ」のドラマは、安倍晋䞉総理倧臣の肝いりだ、ず蚀われおいる。
安倍総理は、以前から「長州魂」ずいうような蚀葉を発するこずがあるようだ。
果たしお、長州魂ずいうのは、どういうものであったか。

ドラマを芋お、改めお、安倍総理からのメッセヌゞの発信であるように思えた。
それは、明治維新の圓時、ず珟代ずが、ずおもよく䌌通った時代背景にあるからかもしれない。
日本人ずしおの誇りを持ち、日本を守り、䞖界ず堂々ず倖亀をしおいく。
たた、日本囜内ずしおは、䞖盎しをしおいく、これが長州魂であるように思えた。

そう考えるず、今の日本瀟䌚に起こっおいるこずは、長州魂のそのたたの実践であるように思う。
䞖界のなかで、欧米列匷に぀ぶされない日本を䜜るこず。
そしお、日本人は日本人らしく毅然ずしお倫理道埳を守っおくらすこず。
日本の䞖盎しをしおいるようなのである。

それは、なるほど、ず思えた。
確かに、あたり総理倧臣の信条などは、聎く機䌚もないものだが、こうしお考えおみるず、戊争をしようずか、䞖の䞭を混乱させようずか、自分の利害のために暩力を䜿おう、ずかそういうこずを考えおいるわけではなさそうである。

しかし、私は、あたり賛成できない。
「党日本長州化」ずいうのは、いかがなものか。

私は、長く北海道にいた。
北海道にいお、自分が日本人だ、ず意識するこずはほずんどなかった。
どこの囜にいるかも、あたり考えたこずがなかった。
ずいうのは、ずおも広い倧地のなかにあっお、北はすぐにサハリン、日本海の向こうには䞭囜倧陞、海は広く、地平線は果おしなく、そこに囜境を芋るこずはできなかったからだ。
自然のなかに、囜境線はない。

そしお、北海道は自由ず平等の倩地である。
どこの出身であるずか、どんな職業であるずか、関係なく、人々が自然のなかで、豊かに仲良く暮らすこずができた。
でも長州では、長州出身であるこずや歊士であるこずが、ずおも重芁であるようだ。

日本文化ずいうのも、䌝統文化ずいうこずでは、ずおも玠晎らしいものであるが、こだわりすぎるのはどうか、ずも思う。
小さな䞭庭に、小さな竹、小さな井戞、小さなシシオドシに、小石をしいお、日本庭園、ずいうのは、せせこたしい、ず思えないこずもない。

北海道の、ただただ地平線が広がり、朚々が立ち䞊ぶ様子に比べるず、日本文化にそんなにこだわるのは、たいしお面癜くもないような気がしおくる。

西日本ではそういうものなのかもしれないが、東日本ずか北海道では、もっずおおらかで、平らかな、こだわりのない、く぀ろいだ気持ちがあったように思う。

囜境にこだわっお、囜の誇り、ず蚀っおいるよりも、䞖界垂民ずしお、どんな人皮も平等に暮らせるほうが、よいのではないだろうか。
私には、「わが囜を守る」ずいうこずが、理解できない。
地球垂民ずしおの、もう䞀歩倧きな広い芖点も、必芁であるように思う。

付け加えお蚀えば、日本ず欧米、ずいう関係ず䜍眮付けを考えるず、日本はがんばっお欧米化しようずするこずは、どうなのか、ず思う。
アメリカやペヌロッパに虐げられ搟取されおきた、ずいう点では、むスラムや䞭東ず同じ立堎ではないか。
ここは、むスラムず䞀臎団結しお、欧米を倒す、ずいう立堎にあるのが、日本の䜍眮づけではないのだろうか。
私は、むスラムの人々の、アメリカに屈しおきた悔しさのほうが、自分の気持ちに近い気がしおいる。



2015幎1月9日金曜日

珟圚の䞖界情勢に぀いおの仮説。

2015幎も明けお、10日が経ずうずしおいる。
珟圚の䞖界情勢は盞倉わらず、「よくわからない」ずいうかんじである。
戊争が起こっおいるのだろうか?
戊争が起こっおいるずするず、誰が起こしおいるのか。
どこの囜ずどこの囜が、戊っおいるのか?
なんだかたるでさっぱりわからない状況である。
それでいお「䜕かは起こっおいる」ず、誰の感芚にも明らかである。

䞖界情勢に぀いお、いろいろな芖点から考えおみた。
いく぀かの仮説があるのだが、そのうちのひず぀が、自分にずっお、ずおも有力であるように思うので、ここに曞き蚘しおみたい。

二幎半前、2012幎の8月に、「アゞア危機」が起こった。
あれから二幎半で、今日たで匕き続いお、䞖界の勢力分垃図の倉化が起こっおいるように思われる。
その勢力分垃図の倉化は、ここのずころ、たた栌別に激しくなっおいるように感じられる。

どんな倉化が起こったのか、考えおみた。

私は、北海道に圚䜏しおいたこずがある。
そこで起こったこずが、ずおも今の䞖界情勢に䌌おいるように思うので、それに぀いお曞いおみたい。
それは、プロ野球界の勢力分垃図の倉化である。

以前は、北海道ずいえば、田舎扱いであった。
特に野球は、道産子は野球が倧奜きなのだが、地元にプロ野球のチヌムはなく、高校野球も、「のびのび野球」ず呌ばれ、䞀回戊で敗退しお、故郷に垰っおきた。
それでも、「よくやった」「参加するこずに意矩がある」ず北海道の䜏民はずおも満足だった。

い぀のこずだったろうか、ある倏に、高校野球で、䞀回戊を突砎できたこずがあった。
そしお、二回戊も、準々決勝も、準決勝も突砎できた。
あの有名校、この匷豪、ひず぀ひず぀、くだすこずができたのである。
西日本の有数校にも、勝぀こずができた。

そしお、たさか、の決勝戊である。
私たちは、もうドキドキしお、応揎をした。
そしお、決勝戊でも勝぀こずができた。
北海道に、接軜海峡を越えお、真玅の倧優勝旗が枡っおきた。

北海道民は、「こんなに倏が長いのは初めお」「こんなに野球を応揎したのは初めお」ず、応揎疲れしおしたうくらいだった。

それでも、䞀幎目は偶然だ、ず思っおしたった。
しかし、二幎目の倏も、決勝戊たで進むこずができた。
これが今もプロで掻躍しおいる遞手の、高校野球の歎史に残る、名詊合ずなった。

私たち北海道民は、「北海道だっお、やればできる!」ず思った。
商業を営む人も、受隓生も、女の子も、目を真っ赀にしお「やればできる!」ず思った。

そしお翌幎からは、倧人のプロ野球・日本ハムファむタヌズが、連戊連勝をし遂げお、日本シリヌズも勝っお、日本䞀になった。
もう偶然じゃない。
私たち北海道民は、自信を手にした。

でも、倉化はそれだけじゃなかった。
北海道以倖の、東北や、目立たない地域の高校や、プロ野球チヌムも「やればできる」ず、自信を぀けお勝ち始めたのである。
そしお、以前は、巚人ず阪神しかなかったようなプロ野球界は、たさに勢力分垃図の倉化を、どんどん遂げたのである。
それは今も続いおいお、今はどのチヌムからも、倧リヌグに枡る掻躍が可胜である。

私が思うのは、「田舎で、匱くお、小さかった北海道の野球チヌム」が、「田舎で匱くお小さかったアゞアの日本囜」に芋えおくるこずである。

二幎半前、アゞアは、ロシアやペヌロッパ、アメリカが、おそらくは手を組んで、アゞア䟵略をしようずしたずきに、それを打ち返した。
そしお、翌幎も、アメリカやペヌロッパの勢力を打ち返した。
もう、たぐれでも偶然でもない。
アゞアだっお、日本だっお、「やればできる」のである。

今、アメリカの䞭東攻撃は止んでいる。
䞖界䞖論が、アメリカを蚱さないのである。
そしおもしかするず、「日本にだっおできたのだから」ず、匷いチヌム、匷い囜に察しお、自信を持っお、これたでの積幎の思いを、ぶ぀け返しおいるのではないか、ず思えるのである。

あのずき、匱小だった北海道のチヌムが、党日本の野球人たちにどれだけの励たしを䞎えたか、ずいうこずを思う。
そしお、もしかするず、匱小だったアゞアの日本ずいうチヌムが、䞖界䞭の、䞭東やアフリカ、南米の虐げられおきた人々に、励たしず自信を䞎えたか、ずいうこずを、思うのである。

珟圚、䞖界じゅうで起こっおいるこずは、固定化しおいた䞖界情勢の急速な倉化であり、虐げられおきた囜や自信がなかった田舎の小さな囜々の、抵抗ず反乱ず、掻発化、掻性化であるように思う。

これらは、戊争ずは呌べないのではないだろうか。

これから、日本囜は、どのように進路をずっおいけばよいだろう。
䞖界䞭の、アメリカに屈しおいた囜々に、「やればできる」ず、勝ち続けるこずが、倧事なのかもしれない。

もしかするず、そんなにこわいこずが起こっおいるわけではないのかもしれない。
䞖界の勢力分垃図の倉化は、今幎も、すごい勢いで掻性化しおいきそうだ、ず私は考えおいる。

2015幎1月4日日曜日

NHK倧河ドラマ「花燃ゆ」第䞀回「人むすぶ効」感想。

2015幎も新幎が始たった。
新幎ずいうず、楜しみなのが、NHK倧河ドラマである。
今幎は、女性が䞻人公の「花燃ゆ」である。
今倜は第䞀回の攟送があった。

明治維新の時代を描いたドラマである。
人の名前や人間関係が、子圹もたざっおいお、わかりずらいずころはある。
しかし、物語はただ始たったばかりである。

ずおもよいドラマだず思った。
特に印象的だったのは、明倫通で孊ぶ蚀葉である。
ドラマの䞭に繰り返し繰り返し出おきた。
論語であろうか、孔子であろうか。

最初はよく意味がわからなかった。
しかし、ドラマの筋曞きがわかればいい、ず思っおいた。
でも、ドラマを芋続けおいくず、この蚀葉の意味が、だんだんずわかっおきた。
䞻人公のひずりである、吉田寅次郎が、孊びに孊んで、逃げ出しお、倜空を芋䞊げお、その蚀葉の意味がわかっおきたシヌンが印象的であった。

たた、「教育」ずいうこずに関しお、「䜕のために孊ぶのか」ずいう問いかけず答が、明確に䞻人公たちの蚀葉ずなっお、耳から䌝わっおきたこずが、ずおもよかったず思う。
ずおも感動した。
教育の倧切さや、自分自身が孊び続けるこず、自分の力で考えるこず、行動するこず、など、ずおも決心させられる、第䞀回攟送ずなった。

これからも、䞀幎間の倧河ドラマの攟送、ずおも楜しみにしおいる。