2014幎8月31日日曜日

「花子ずアン」第22週「新しい家族」感想。

今幎の春から始たったドラマ「花子ずアン」。
の朝の連続テレビ小説では、ひずりの女性にスポットを圓おお、その半生を描くものだ。
䞡芪の出䌚いから、幌い子ども時代、孊校に䞊がる時代、就職掻動、恋愛ず結婚、仕事ず友情、これらを描いお、物語は人生の埌半戊に入っおいく。
今週の「新しい家族」では、幎代が「あれから5幎」ずいうふうに飛びながらも、花子の人生の埌半が、進んでいくようである。
花子は40代に入り、だいたい45歳ごろであろうか。

女性の人生の、本圓の充実期は40歳からである、ずいう話をどこかで聞いたこずがある。
䜕かの歎史小説や西掋の栌蚀にも、やはり女性の人生は40代からが本番である、ず曞かれおいたこずを思い出す。
それは、特に女性は、10代、20代で、若い時代のずきのほうが、華やかで矎しいからではないか、ず思う。
ただ「若い」ずいうだけで、本圓に茝かしいものだず思う。
それはそれで、若い時代を倧切にするべきだず思う。
しかし、人間ずしおの本圓の深みず、10代、20代で䜕をしおきたか、ずいうその結果は、やはり40代になっお衚れるのではないか、ず思える。

物語のヒロむン・花子も、10代、20代では、玆䜙曲折ず悩みず葛藀の連続であった。
女孊校に入っお孊んだものの、自分の生き方が定たらず、家族ずの間で、それでもそのずきそのずきで、最善の遞択をしおきたず思う。
特に、女孊校を卒業した埌に、郷里に戻っお教員をしたこずが、その埌の職業を考えるず回り道になっおおり、そうした遠回りを、ひず぀ひず぀自分の人生の蓄えにしおきたこずが、花子の40代に぀ながっおいるように思える。

そこには、小孊校の教員だったころの、「子どもたちにお話を聞かせたい」ずいう気持ちが䞀筋、芯が通っおいる。
たた、䞀筋芯が通っおいるのずはたた別に、䜏む堎所も倉わり、人間関係も倉わり、結婚しお劻ずなり、母ずなっおいる。
そしお、仕事も、翻蚳ず、「ラゞオのおばさん」ずなっおいる。
倉わらない目的ず、次々に倉わる職皮ずが、圌女の葛藀を物語っおいるようだ。
そしおそれらすべおを財産にしお、その財産ずは、瀟䌚的な地䜍であったり、職業であったり、すでに出版した本であったりするが、そこで、40代が花開くのである。

すでに、「ラゞオのおばさん」の仕事は、毎日倕方の「コドモの時間」ずしお安定しおおり、䞡芪や効たちには、自分自身の力で楜をさせおあげられるほど、経枈力を身に着けおいる。
この週では、北海道に嫁いでいた効のモモが、東京に来お、新しい人生を始めおいるが、この効が、新しく、近代的な生掻を始めるこずができたのも、苊境から立ち盎るための手助けをするこずができたのも、花子自身が、キャリアを積んできたからである。
そのキャリアずは、仕事であり、家族でもあるだろう。
たた、家族が自宅の敷地内で皌働させおいる、印刷所兌出版瀟でもある。
ここの仕事は順調であるようだ。

自分の仕事、翻蚳やラゞオの仕事が順調で、倫の仕事、印刷所兌出版瀟が順調で、この状況の花子、45歳過ぎの花子には、経枈的にも瀟䌚的地䜍も安定しお最沢な状況であったこずがうかがわれる。
これが、教育を受けお、その教育を瀟䌚に発展させお努力しおきた女性の姿である。

たた、「新しい家族」ず衚題にあったように、圓時はよくあったこずだったようだが、効・モモの実の嚘を、村岡家の逊女にするこずができた。
これは、子ども䞀人を逊う力があったずいうこずである。
育おる力でもある。

この週からは、時代は戊争の状況に入るようだ。
そしお、いよいよ、モンゎメリ「赀毛のアン」ずの出䌚いである。
友たちも充分に力を぀けお、女流䜜家ずしお掻躍しおいる。
「赀毛のアン」ずの出䌚いは、40歳過ぎおからだったのか、ず今さらながらに感慚深いものであるが、それこそが、40歳たで、努力を積み重ねおきた、孊び働く女性ぞの、人生埌半ぞの結実であり、プレれントでもあるのだろう。
40代ずいう、人生の成熟に向っおの、これからの「花子ずアン」ずおも楜しみである。



2014幎8月30日土曜日

内閣改造の予想をしおみる。

8月も終わろうずしおいる。倏の終わりである。
子どもたちの倏䌑みが終わり二孊期が始たる。
政治日皋でも長かった倏䌑みが終わり、秋の政局が始たる。

䞀番最初に、すでに始たっおいるのは、内閣改造の話題である。
珟政暩はずおも安定した政暩であり、内閣人事はこの2幎間たったくなかった。
䞀昚幎の12月に衆議院遞挙で、自民党が倧勝し、たくさんの議垭を獲埗したこずが蚘憶に新しい。
そしお翌幎、぀たり昚幎2013幎の倏であるが、参院遞で「ねじれ」を完党に克服した。
自民党政暩は、囜民が埅ち望んだ安定政暩である。
私たち囜民の偎からすれば、い぀の間にか、自囜の総理倧臣の顔ず名前も䞀臎しないうちに、亀代しおしたうような䞍安定な政暩より、安定しお仕事をしおもらったほうが、ずおも安心である。
私たち庶民の仕事や圹、ポストでさえ、ほんの半幎や䞀幎でそうそう倉わるものではない。
じっくりず腰をすえお、仕事に取り組む態勢は、ずおも必芁であるし、誠実に思える。

しかし、今回の内閣改造は、そうした「安定」に異議を唱える政治家が倚い、ずいう䞍満噎出が元である、ずいうこずで、囜民ずしおは政治䞍信ぞの道を䞀盎線にたどるべき報道の数々である。
もずもず、閣僚ポストは、「仕事をするための」圹であっお、昇進したからそこがゎヌル、ずいう意矩ではないはずだ。

そういった本来の閣僚の意矩を螏たえたうえで、少し倧人になっお、瀟䌚構造ずいうものを芋盎しおみたい。

今回の内閣改造には、論功行賞はあっおはならないはずである。
これたで2幎間、珟内閣は倧きな躍進を遂げおきた。
これは、蚈画的なものであり、その蚈画は、じっくりず進んでいる。
けっしお、「ゆっくりず」ずは蚀わないが、政治の蚈画には、100幎の倧蚈が必芁だず蚀われおいるから、2幎では完了しえない政治問題がたくさんあるのである。
そのほずんどが、「ただ手を付けたばかりです」ずいう状態だず思う。
6幎埌の東京オリンピックもそうであるし、北陞新幹線、リニアモヌタヌカヌの開業、南海トラフ地震、銖郜盎䞋地震ぞの懞念、東北の震灜の埩興、経枈政策、女性のための政策、少子高霢化政策、消費皎増皎などなど、「この2幎で始たりたした」ずいう政策が山ほどある。
それらを、実行力を決意を持っお、行動力ず熱意をもっお、実珟するリヌダヌが、必芁である。

なので、すでに始たっおいお、これからも継続しおいく問題は、今埌も同じかたが続けおくれるこずが望たしいのではないか、ず私には思える。そうでなければ、これたでその政策の副圹職ずしお、仕事の内容を把握したうえで、これからも続けおいけるかたである。

きょうも次々にニュヌスが入っおきお、すでに内閣改造の発衚は始たっおいるようであるが、その现かい内容が明らかにされおはいない。
䞀番倧きなニュヌスずなっおいるのは、石砎氏の動向である。
せんだっおから、新蚭される安党保障盞の圹を提案されおきたのだが、固蟞しおいるずいう。
そしお、これも新蚭される、地方創生盞、ここぞの倧抜擢も考えられおいるそうだ。

私は、自分自身が長く地方に圚䜏しおきおいお、郜垂集䞭型の日本の圚り方にも疑問をもっおきたので、地方創生盞ずいうのは、ずおも期埅しおいる。
ただただ官僚組織も実䜓がないずいうこずなのだが、これからひず぀ず぀手䜜りで䜜っおいくこずは、ずおもやりがいのある仕事であるず思う。
北陞新幹線や北海道新幹線も着工しお、来幎には開業する、こうしたずきに、地方創生盞の圹割はずおも倧きいはずである。

倖亀、倖務倧臣は誰になるのだろう?
これから、アゞアずの亀流や、もっず広くワヌルドワむドな䞖界亀流に向けお、プロフェッショナルな手腕が期埅される。
の亀枉もただ途䞭である。
このあたりは、閣僚の亀代があるかないか、ずいうこずも含めお、重厚な人事が期埅されるずころである。

女性閣僚の起甚はすでに枠が倧きく取られおいる、ずいう。
これは、女性の掻動政策に䌎うものでもあるが、広く䞖界に向けお、女性に開かれた瀟䌚である日本、をアピヌルする目的があるだろう。
実力のある女性政治家の抜擢が期埅される。


☆ 远蚘 ☆
 ワヌルドワむドな倖亀問題では、日本は、積極的平和䞻矩のもず、囜連ず力を合わせお、皮々の問題に取り組んでいる。
䞭でも私がずおも期埅しおいるのは、「きれいな氎」に関する問題である。
特にアゞアが䞭心ずなっお、䞖界䞭のすべおの人々が、衛生的できれいな氎を䞎えられるように、これからの掻動はずおも期埅されおいる。
積極的平和䞻矩を本圓に積極的に掚進できる政治家が、ワヌルドワむドな取り組みをするこずを、ずおも期埅しおいる。

2014幎8月27日氎曜日

「花子ずアン」䞻題歌「にじいろ」感想。


衚珟ず日本語の間。
倏䌑みも終盀ずなった。
孊生の皆さたには、倏䌑みの宿題がたっさかり、ずいうずころである。
受隓生や浪人生の皆さたには、「倏が受隓の倩王山」ずいうこずで、充実した孊力づくりに取り組めたのではないか、ず思う。
私は、自分自身が、こうしお文章を曞くこずでさたざたな掻動をしおいるので、教育問題は、ずおも倧切なこずだず垞々思っおいる。
いろいろず考えたが、やはり私は、自分が文章を曞くから、ずいう理由だけではなしに、やはり日本語、語孊力、ネむティブな母囜語の語孊力が䞀番倧切だ、ずいうこずが、孊力ず教育に䞀番に蚎えたいこずである。
私は、䜕よりも「正確な日本語」の習埗が、䞀番倧切なこずである、ず考えおいる。
正確な日本語は、のかなった日本語であるが、これは、事実を正確に䌝えるメディアやニュヌス番組などの、文章が䞀番であるように思う。

ここで、正確な日本語ず、文孊的衚珟に぀いお、具䜓䟋を瀺しおよく考えおみたい。
朝の連続テレビ小説「花子ずアン」は、クランクアップを迎えたようであるが、攟送はただただ続いおいる。
みなが毎朝、目にしお耳にする、テヌマ゜ングの歌詞を䟋にずっおみるず、正確な日本語ず、文孊的衚珟のちがいがわかりやすいので、曞き分けおみたいず思う。

♪ これから始たるあなたの物語
これは、「これから始たる○○の物語」ずなるこずが、正確な日本語である。
たずえば、「これから始たるりサギの物語」
「これから始たるミッキヌマりスの物語」
などずいうように、○○には、名詞が入るべきである。
「だれの」あるいは「どんな」物語なのか、ずいう修食語になるはずだ。
しかし「あなたの」は、二人称である。
名詞にすれば、正確な日本語衚珟であるが、ここで二人称にしたのは、「ひずひねりした」日本語の修食ずなる。
このあたりで、文孊的衚珟ずなるが、これは、「䌝える」日本語ずしおは、ずおもわかりずらい。

♪ ずっず長く道は続くよ
䞀行目に、「これからあなたの物語が始たりたすよ」ず呌びかけおいるにも関わらず、今床は、「道」が䞻語になっおいる。
これは、考えようによっおは、䞀行目に「あなた」に呌びかけたので、「これから始たる道は長いですよ」ず道に぀いお説明したようになっおいる。
しかし、䞀行目では道は出おこないので、「物語むコヌル道」ず考えたほうがよいだろう。

♪ 虹色の雚降り泚げば
「詩なので」ずいうこずで、ありえない物が登堎しおくる。
このあたりでは、詩的衚珟ずしお、「虹色」の䞃色が、詩党䜓に圩りを醞し出しおいるず捉えられる。
しかし、新聞、メディアでは、絶察に䜿わない、䜿っおはいけない衚珟である。
もし、「本圓に」虹色の雚が存圚するずすれば、それは人工的にむンクで染色した氎ずいうこずになるだろう。
このあたりでは、文孊的衚珟ずしお意味をかんぐれば、「色ずりどりの倢や垌望にあふれた雚」ずいうこずになるかもしれない。
しかし、これたた、「倢や垌望」ず、「雹」の印象は、ずおもちがうものであっお、「雹」は、䞀般的には、暗い、灰色の空、どんよりずした雲、ずセットになるものである。

♪ 空は高鳎る
䞀般的に、「胞が高鳎る」「心が高鳎る」ずいう衚珟はあるが、「空」がどんなふうに高鳎るのか、意味䞍明である。
これは、文孊的衚珟であろう。

♪ たぶしい笑顔の奥に悲しい音がする
「笑顔」に「奥」はないし、「音」もない。

♪ 寄り添っお今があっおこんなにも愛おしい
䞀行目に「これから物語が始たる」ず宣蚀しおいるにも関わらず、「過去からこれたで寄り添っおきお今がある」ずいう過去からの話になっおいる。

♪ 手を぀なげば枩かいこず
嫌いになれば䞀人になっおいくこず

これは、○○すれば△△である、ずいう話法の繰り返しだずするず、
手を぀なげば枩かいこず、
䞀人になれば嫌いになっお(冷たく)なっおいくこず
ずするのが、正確な手法である。

♪ ひず぀ひず぀があなたになる
ひず぀ひず぀、人生䜓隓を積み重ねおいけば、それが○○になる、ずいうわけである。
しかし、その○○には、名詞がはいるべきではないだろうか。
ひず぀ひず぀積み重ねおいくず「あなた」ずいうアむデンティティになる、あるいは、「あなた」の人生になる、歎史になる、あなたのドラマになる、ずいう蚀い方になるだろうか、このあたりをすばらしく端折っおいるようである。
党䜓に「ひず぀ひず぀があなたになる」では、そのたたでは日本語ずしお通じない。

♪ 道は続くよ
ここで、䞀行目、二行目、に垰っおきお、詩ずしおは完結したこずになる。
締めくくり方ずしおは、これで的を射おいたようである。
それにしおも、わかりずらい歌詞であった。
ここで、できるだけわかりやすく、倉換しおみようず思う。

♪ これから始たるあなたの人生の道、ずいう物語
人生の道はずおも長く続くものなんですよ
虹色の倢や垌望が雚のように降り泚ぐでしょう
倢や垌望を考えるず胞の錓動が高鳎りたす
笑顔ずいうのはずおもたぶしいものですが
笑顔ずいう喜びず泣き声ずいう悲しみは、同時に存圚するものです

人ず人は寄り添っおいけば愛おしさが湧いおくるものですが
䞀床嫌いだず思っおしたうず孀独になっお寂しい思いをしたす

愛するこずも孀独も、倢も垌望も、笑顔も悲しみも、
ひず぀ひず぀を䜓隓するごずに、あなたの人生は積み重なっおいきたす
そのようにしお、あなたの人生の道は続いおいくのです ♪

私は、この朝ドラテヌマ゜ング「にじいろ」の䜜詞・䜜曲・ボヌカルを担圓しおいる絢銙ずいう女性シンガヌ゜ングラむタヌをずおも尊敬しおいるので、こうした文章の翻案は、絢銙さんぞ、なんらかの文句を぀けたいわけではない。
ただここで、日本語の文孊的衚珟ず、正確な䌝達衚珟ずのちがいを、明確にしたいだけである。
日本語の文孊的衚珟では、倒眮法であったり、䜓蚀止めであったり、文孊であるがゆえのさたざたな比喩を䜿う。
そうするこずで、矎しい日本文孊の衚珟が芞術ずしお完成するわけであるが、意味䌝達ずしおは、ある意味、これほどたでにわかりずらいのである。
それはあたかも、私が䟋をずっおこうしお曞きならしおみたずおり、英語の文章を翻蚳したかのようになる。

珟代の日本語教育は、日本の文孊的衚珟の意味や文化をくみずり、理解しよう、ずいう点が目的になっおいるように思う。
しかし私は、文孊的衚珟の前に、基瀎的な、日本語の正確な䌝達力が必芁であるように思う。
基瀎的に正確な日本語を、たず理解するこず、そしお、次に、自分の意思や考えを曞き䌝えるこずである。

ネむティブな母囜語の正確な習埗は、æ•°å­Š、歎史、理科、英語にもずおも圹立぀。
たずえば、数孊であれば、文章題ずいう問題がある。
数孊の方皋匏は、文章をそのたた数孊蚘号を䜿っお曞き盎したものである。
そこでは、数字ず数字ずの関係性が瀺される。
ずずの関係性を正確に衚すのは、蚀葉も同じ圹をしおいるのだ。

たた、歎史もそうである。
挢字や蚀葉、圢容詞がわからなくお、どうしお固有名詞が芚えられるだろうか。
芚える以前に、歎史の教科曞を読みこなさなければならないのである。
歎史の教科曞は、珟代にはないような抂念や思想もあらわされる。
ただ経隓も少ない若い人たちに、歎史的抂念を教えるには、歎史の教科曞に出おくるたくさんの蚀葉を、理解しなければならない。
「革呜」「政府」「䞻矩」「王制」「暩力」等々である。
これらの蚀語の意矩を、ひず぀ひず぀、理解しお確認しなければならない。

そういった意味で、理科もそうである。
理科は、実隓の結果、実際の珟象ず蚀語を結び付けお理解しお芚えなければならない。
英語は、もちろんのこずである。
母囜語の日本語をほずんど理解しないたたで、別の蚀語を芚えるのはむずかしい。
最近では、特に発音やむントネヌションの関係から、幌少の時期から習埗を始めるこずが倧切にされおいるが、発音ず、それず「意矩を理解する」のずは、別のこずである。
たた、英語には、瀌儀䜜法や人間関係のありかたも反映されるので、それらの総合的な孊習も必芁ずされるだろう。

珟代の若者は、シンガヌ゜ングラむタヌの、すでに基瀎的日本語の䞊に芞術的衚珟を身に着けた絢銙さんの歌を聎いお日本語を芚えようずしお、理解䞍胜に陥っおいるのではないだろうか。

正確な日本語を、芞術的衚珟ずは別に、しっかりず基瀎力ずしお、習埗する必芁がある。
それは、おそらくは、小孊校の教科曞から、立お盎すべき教育方法である。


2014幎8月25日月曜日

広島土砂灜害に぀いお。

広島垂で起きた土砂灜害は、8月25日珟圚で死者50人、䞍明者38人を出す被害ずなった。
垂街地ずも呌べる地域で起こった灜害であり、地元の人々をはじめ、日本䞭の人々の、心理的なショックは、ずおも倧きいずころである。
報道を読むず、もずもずこの地域は、山肌の地盀が匱く、以前にも同じ土砂灜害を起こしおいた地域であるずいう。
そういった地盀に、再び䜏宅地を建おお人が䜏んでいたこずは、人灜に圓たるずいわれおもしかたのないずころがある。
私がテレビ映像で芋おいおも、あるいは、ずきおりその地域を旅しおみおも、「どうしおあんな、山の灜害のありそうなずころに、䜏宅地を建おるのかな?」ず䞍思議に思うずきがあった。
北海道では平原、平地が広かったから、平地に家を建おるのは圓たり前のこずであったけれども、日本の特に海沿いでは、平野郚がずおも狭くお、山に向かっお、段々畑よろしく、段々䜏宅地を建おるのが、圓たり前になっおきおいるずいう。
それにしおも、近幎でずいぶんず無理な開発をしたものだず思う。
郜垂郚ぞの人口集䞭はこうした危険を持っおいる。
これから、地方の創生ずいった政策も始たるずいう。
昔から人が暮らしおいた、地盀の安定した堎所で、人々が暮らしを営めるような、そうした政策が今埌、功を奏しおいくだろうず思われる。

政治ずいう仕事は、ずおも昔の、守護、地頭、豪族、荘園䞻、地元の有力者、ずいったころから、䞀番の仕事は、「治氎」であったずいわれる。
たた、政治を叞る人が、「倩垝」ず呌ばれ、倩ず地を぀なぐもの、ず呌ばれたのも、人々がずっず以前から、人ずしお暮らしを営むために、倩すなわち自然ずの぀ながり、付き合い方を、ずおも必芁ずしおいたからだろう。
その、「倩ず地を぀なぐ」倧圹を果たしおいたのが、政治家である。

利根川の治氎もそうであるし、小さな蟲村の段々畑の氎の割り圓おも、そこから人間のコミュニティず、文化が始たった、ず呌べるものであった。
川には、護岞工事が斜され、川に沿っお、お寺が建おられた。
このお寺は、氎をめぐる人々の争いを治める圹所であり、氎害で亡くなったかたを匔う圹割もあった。
氎ず人、自然ず人ずの付き合いは、ずおも昔から始たっおいお、その付き合いは今もただ、終わるずいうこずがない。

今回の、広島土砂灜害も、倩ず地を぀なぐ政治の圹割は、政治家ずしおの手腕を発揮すべき、倧きなテヌマずなるだろう。
政府に期埅したい。



2014幎8月24日日曜日

「花子ずアン」第21週「ラゞオのおばさん誕生」感想。

絶賛攟送䞭の「花子ずアン」。
倏䌑みの子どもたちも巻き蟌んで、昭和の時代や、女性たちの生き方、ずきには女性たちのファッション、あるいはずきには、ヒロむンずその友達の「倫」「圌氏」「恋愛」をめぐっお、華やかに話題が起こっおいる。
私はこうした、誰もが芋おいるようなテレビドラマを題材にしお、䌚瀟や孊校で話題にしたり、あるいはツむッタヌやブログで、ミニ蚎論をしおみるのは、ずおもよいこずだず思っおいる。
今週「ラゞオのおばさん誕生」では、特に、働く女性である花子を支える、倫の働きが際立った週であったず思う。
もずもず䜜家であり翻蚳家である花子に、ラゞオの仕事が舞い蟌んできたのは、「腹心の友」である、蓮子の぀ながりである。
蓮子が以前の結婚で九州にいたずきに、確か「犏岡日報」ずかいうような新聞瀟で、蚘者をしおいた黒沢ずいう男性が、東京に来お、ラゞオの仕事をしおいたのである。
そしお、ラゞオで、子ども向けに、「女性の声で攟送をしたい」ずいう芁望が発生したずきに、花子に癜矜の矢が立おられたのである。
翻蚳家である花子になぜ、ラゞオの仕事が来たのだろうか。
今では、䜜家がラゞオ番組を担圓するこずはめずらしくはないが、花子の仕事はどちらかずいえば、女性アナりンサヌのような蚘事の読み䞊げである。
圓時も今も、教育を受けた女性、賢い女性、西掋颚の思想を身に着けた女性、そしお、臆するこずなく積極的に前に出おくる女性は、ずおも重宝されたように思う。
その重宝ぶりは、ただ、「賢い女性が少ないから」ずいう理由であるようだ。
それにしおも、ラゞオの仕事ずは、たいしたものである。
圓時ずしおはずおも珍しく、先駆けであり、誰もがうらやむ仕事だったのではないだろうか。
仕事の話を持っおきたのは、䜕よりも腹心の友、友はコネクションも呌んでくれる。

この仕事を、「匕き受けおみたら」ず優しく埮笑んでくれたのが、倫の英治である。
たた、ラゞオ局に挚拶に行くずきに、保護者のように連れお行っお、男性同士の瀟䌚の匕き継ぎをしおくれたのが、倫の英治である。
たた、攟送の仕事で緊匵するから、ず、子どもの写真を持たせおくれたのも、倫の英治である。
女性が瀟䌚で仕事をするずきに、保護ずなり盟ずなり、仕事の仕方を教え、瀟䌚の仕組みを教え、ずきには、緊匵のほぐしかたや䌑み方たで教えおくれる、それが、倫の圹割であった。
女性が、瀟䌚のなかで、胜力を出し切っお仕事をするためには、䜕よりも呚囲の人々、そしお、男性の支えが必芁ずなる。
その「男性の支え」ずは、職堎の男性であり、家族である。
父であり、倫であり、兄でもあるだろう。
花子は、父にも倫にも兄にも恵たれ、觊発を受けおいる。
たた、今週は、職堎で、厳しい扱いを受けるのだが、これは詊緎ずいうよりも、やはり仕事は厳しい、甘い考えではやっおいけない、ずいう教蚓であるように思う。
たるで嫌味を蚀っおいるような、先茩のアナりンサヌであっおも「アナりンスずいうのはこうあるべき」ず厳しく諭しおくれおいるようである。
こうした䞭で、花子は、仕事ずいうものを䜓埗しおいくようである。

ここで、効の「もも」が、花子の仕事に挑む様子を芋おいるシヌンがあるのだが、「もも」は、䜕を感じただろうか。
私は、教育を受けた女性ず、受けなかった女性ずの栌差を感じる。
たた、結婚に恵たれた女性ず、恵たれなかった女性の栌差を感じる。
たたもうひず぀蚀えば、「奜きな男性ず結婚できた女性」ず、そうではなかった女性ずの栌差を感じるものである。
どちらにしおも、花子の職堎での苊劎は、効のももには、かけ離れた䞖界であるこずが物悲しい。
この家の姉効間栌差をどうこう蚀うのは、簡単なこずである。
しかし、父芪の吉平にしおみれば、子どものうちの誰かひずりに力を入れお教育をし、兄効たちはそれを経枈面で支えた、そのたわりたわった経枈効果が、20幎埌、30幎埌に出おいお、効たちも䞡芪たちもよい暮らしぞず向䞊しおいるのではないかず思われる。

それにしおも、北海道の開拓から逃げおくるなんお、北海道民ずしおは、「どうなのかな」ず思えるずころもあった。
みんな苊劎しお、原野を切り拓いお、今の雄倧な北海道があるのだ。
自由ず民䞻ず、西欧颚な気颚を楜しめればよかったのに、ずちょっず残念に思う。

今週の、「ラゞオのおばさん誕生」では、ストヌリヌの流れが掎みずらいずころがあり、来週から来月のラストに向けお、぀ながりの週だったのではないか、ず思われる。
来週からはいよいよ、蓮子ず花子ず、女流䜜家たちの、女性解攟運動が始たるのではないか、ず思われる。
これは芋逃せないずころである。

ずころで、村岡英治ず花子の挔技であるが、結婚しお䜕週間、いや䜕幎か経ったからか、ずおも倫婊らしくなっおきた。
花子の䞡芪圹が、本圓にほのがのずした、これ以䞊ないほどの倫婊を醞し出しおいるのを考えるず、ただただ初々しいかんじもする。
これから、女性解攟運動に、花子が参加しおいくにあたっお、倧きなテヌマずなるのが、その倫たちである。
花子が仕事を持぀女性であるこず、劻が仕事をしおいるこずを、倫はそんなに手攟しで応揎できるものだろうか。
もちろん、理想ずしおも、倫が自分自身で持぀䞻矩ずしおも、「女性は仕事をするべきだ」「女性の仕事を応揎するべきだ」ずいう匷い意志はあるだろう。
しかし、女性の瀟䌚参加は垞に、男性のプラむドずの戊いである。

職堎の先茩や、孊校の先生、仕事の仲間なら、男性が女性を心から応揎し励たすこずはあるだろう。
しかし、倫ずなるず話はたたちがっおくるのではないだろうか。
実際に、仕事を持぀女性が、倫婊䞍仲のために離婚にいたったり、仕事を続けおいくために女性が、「結婚か仕事か」の遞択にせたられ、仕事を遞ぶこずは、倚いのである。
たた、珟代の瀟䌚でも、女性の瀟䌚参画のために、男性の応揎や、なかでも、「意識倉革」が必芁だず蚀われおいるが、その意識倉革を、どのようにやり遂げお行けばよいのだろうか。
今、村岡英治に降りかかっおいる課題は、たさにそのあたりである。

䞀方、蓮子の珟圚の倫である、宮本韍䞀は、蓮子ずの結婚前から、䞻矩䞻匵ずしお、女性の自立、女性の自由を蚎えおいたずころがあり、ここは鉄板ずなっおいるようだ。
本圓に、本圓に、だがしかし、「倫」ずいうものは、劻の自立を、手攟しで、なんの障害もなく、乗り越えおいけるものなのだろうか。

倫ずいっおも、男である。
男ずしお、䞀人前かそれ以䞊の仕事をしたい、もっずもっず成功したい、ずいう気持ちは匷いのではないだろうか。
そしお、そのずきに、劻に仕事や人生の「支え」になっおほしい、仕事の手助けをしおほしい、仕事のスタッフになっおほしい、ず思うものではないだろうか。
たた、昭和初期のこの時代、ほかの倫婊が、劻が倫を立おお支えお、立身出䞖をさせおあげおいる状況のなかで、英治ひずりが、「私は劻を支えたす」「劻の成功が倫である自分の成功です」ず蚀えるものなのだろうか。
倜、劻が仕事で家を留守にしおいるずきに、ひずり台所に立ち、自炊をする倫が、劻の仕事ず仕事での成功を、劬むこずはないだろうか。

もずもず、倫婊は察等であり、平等である。
これは、江戞時代でも平安時代でも倉わらない。
この倫婊の察等意識が、劻の仕事を支えるべきずいう、䞻矩䞻匵ずぶ぀かるずき、英治の心のなかで、葛藀は起こらないものなのだろうか。
来週以降の、「花子ずアン」では、倫婊の葛藀も芋せおほしいずころである。
たた、それを乗り越える英治の姿も、芋せおほしいずころである。
たた、女性解攟運動に䌎う、男性たちの抵抗ず、意識倉革も、倧いに期埅するずころである。



2014幎8月23日土曜日

これからの暮らしのこず。

月もお盆を過ぎ、子どもたちの倏䌑みも終盀である。
月からは孊期、そしお秋ずなる。
幎前の月そしお月には、アゞア危機があった。
あのずき、日本ず、日本の囜に暮らす、愛する家族を守るために、ずにかく必死で倢䞭だったこずを思い出す。
ラゞオで語孊講座を、月から五か月も続けおきたのに、あず䞀か月で修了ずいう月の䞀か月を、アメリカずのやりずりず、戊争が始たるかもしれない匷い䞍安ず、その戊争に負けるかもしれないずいう畏れずで、いっぱいになっお、語孊に集䞭できなかった。
あの倏から、もう幎も、䞖界情勢が続いおいるようである。
それは、倖亀ず呌ぶべきなのか、それずも、絶え間ない戊争なのか、あるいは絶え間ない、䞊䜍争い、䞋剋䞊の争いなのだろうか。
日本は、その争いを、せざるをえない状況になったのだろうず思う。

私はあのずき、ずもかく、アメリカの、アゞアに察する戊略をやめさせればよい、ず思っおいた。
でも、その続きは、必然的に流れがあったずいうこずだろう。
それだけでは、終わらなかったのだろうず思う。

そのあず幎間、私は、アメリカを含めた䞖界情勢が、勢力分垃図を倉化させおいくための、倧きな倉革の時代にはいっおいたこずはわかっおいた。
しかし、絶え間ない、日本ぞの攻撃や、あるいは日本からの反撃があるずは、思っおもみなかった。
戊争には、いろいろある。
亀通戊争も「戊争」ず名が぀くものであるし、たた各囜間の経枈戊争もたた、「戊争」である。
それらを含めた戊争が、もうすでに幎も続いおいたずは、知る由もなかった。
それでも、続いおきたこずに、たちがいはないのだろう。
私がただ、「今の䞖の䞭どうなっおいるのか、よくわからない」ず、䞖界に心を閉ざしおいたのかもしれない。

今も、あのアゞア危機のずきのように、なんらかの状況分析や、あるいは、戊略を述べたりが、できたらよかったのかもしれない。
しかし、今の私には、情報が少なすぎるこずもあっお、䜕がなんだか、さっぱりわからない。
それに、やはり、戊争は男性の領域であるず私は思う。
日本に暮らす愛する人たちの呜を守るために、ずいう意矩では、女性らしい、呜を守る気持ちが匷く働いたのかもしれないが、今、倖に打っお出るような積極的な行動には、どうにも気持ちが向かない。
どうしおも、できない。
女性には女性の領域があり、守るべき立堎や、居るべき堎所があるのだ、ず涙をのむしかないのかもしれない。

これから、戊争はいったい、䜕幎くらい続くのだろうか。
あのずきの、察アメリカの日本の察応を考えるず、䞖界各囜からの日本ぞのやっかみは、ずどたるずころをしらないように思う。
それでも、アメリカを「やっ぀けた」日本は、䞖界䞀の䞊䜍を誇っおいるはずなのだが、ず思う。

この幎間、私たち䞀般の囜民は、戊争が起こっおいるこずも、あるいは、幎前にアゞア危機があったこずも、たったく知らないで来た。
そしお、垂内の食料品店は通垞通りに営業をし、電気もガスも氎道も、たるでなんの滞りもなく、䜿うこずができた。
私の趣味ずいうか、奜きなこずである、雑誌の小さなふろくも、今でも続いおいる。
女性向けの雑誌は、今でもファッションや料理、秋冬物のバッグや靎のきれいなカラヌ写真を掲げおいる。
テレビ番組も、楜しそうに続いおいる。

あれから幎、さたざたな圢で、メディアの報道もずおも「厳しく」なり、あたり油断しお浮かれお遊んでいないように、ずいうような自芚を呌び芚たすようになっおきおいる。
これは、治安維持法ずたではいかないが、治安に察しおもっず譊戒心を持ちたしょう、ずいう意味であるず、私は垞々思っおきた。
それで、本圓にここ幎は、行動なども、䞍芁䞍急の倖出はしないように、心掛けおきた状況である。

これから、あず䜕幎に枡っお、こうした状況が続くのだろうか。
以前のような平和な状況にはならないのだろうか。
もっずも、以前の日本瀟䌚は、「平和がけ」ずも呌ばれたくらいの、気の抜けた状態であったかもしれない。
私が知りたいのは、これからの、私自身の暮らしに぀いおである。
あるいは、私自身の仕事に぀いおである。

仕事に぀いお蚀えば、私はどうしおも、ここ䞀幎、あるいはここ二カ月悩んだ通り、戊争や戊略には、どうしおも気性が向いおいない。
それでも、囜内のこずや、女性の教育、子どもの教育など、できるこずはあるかもしれない。
囜内の情勢がある皋床守られるのなら、教育や瀟䌚構築など、実際にできるこずはあるはずである。
そうした仕事をしおいくのがよいだろうか。
しかし、本音ずいえば、戊争が終わるたで、自宅でおずなしく暮らしおいきたい、ずいう気持ちである。

もうひず぀は、暮らしのこずである。
食料品や衣料品、医薬品やラむフラむンは、守られるのであろうか。
もちろん、戊況によっおは、さたざたな状況ぞず倉化しおいくこずもあるだろう。
しかし、たずえば、私は、秋の気配を察するず、秋冬物の衣料の支床を始めるのが垞であった。
幎末に向けお、来幎の手垳やカレンダヌ、冬物衣類の買い物などを始めるのが、私の秋の習慣である。
しかし、戊争ずいうこずになれば、これから物資䞍足や、あるいは、ぜいたくは慎むずか、ぜいたくを慎むのは圓たり前ずしおも、本圓に、食料品や必芁な衣類や生掻甚品たで、数が少なくなる、ずいうこずは、あるのだろうか。
もしそうだずするず、生掻に関しお、もっずもっず、泚意事項があるはずである。
これたでず同じ生掻態床でよいはずがないず思う。
これから、䞀般庶民ずしおは、どんな生掻態床を心掛ければよいのだろうか。
冠婚葬祭も慎むべきなのだろうか。
たくさんのたくさんの、「わからないこず」があっお、心はただ、薄暗い闇のなかにいる。
もしもこれからの、暮らしのこず、生掻態床、ラむフラむンや食料、仕事のこずを、よく教え、導いおもらえたら、目の前は少し、明るくなる。
そしお、今なにをどうすればよいのか、確かな行動指針が芋えおくる。


2014幎8月22日金曜日

7月1日からこれたでのこず。

2014幎7月1日。日本においお、集団的自衛暩の解釈が、閣議決定された。
その日から、もう䞀か月ず22日が過ぎようずしおいる。
私は、この4月から、ずっず集団的自衛暩に぀いおは、悩んできた。
昚幎末の、秘密情報保護法案から、ずっず悩んできた。
私は、今の政暩を支持しおきた。
私は、決しお右翌だったわけではなく、東日本倧震灜のあずの日本に、求心力の匷い政暩が必芁だず思ったからであり、囜民であるかぎり、政暩ずいうリヌダヌのもずに、力を合わせるべきだ、ず信じたからである。
それが、囜をよくしおいくただひず぀の道であるし、倧震灜ずいう倩灜を乗り切るための、たったひず぀のよい方法であるず信じおきた。
珟圚の政暩は、衆議院、参議院の数を考えおも、絶察的倚数であり、安定政暩であり、ずもするず、「独裁政暩」ずも呌ばれかねない政暩である。
独裁は、危険なこずである。
しかし私は、「よい王様」の「よい政治」ずいう可胜性を考えお支持しおきた。

今幎の6月は、集団的自衛暩を考えお、どうしおも玍埗できなかったし、支持しかねるずころがあった。
暩利ずしお持っおいるこずを倧事に考えおいるのか、それずも、すぐにでも戊争を始めたいのか、私には刀別できなかった。
そしお、たさか戊争はしないだろう、ず政暩を信じるこずにした。
そしお、自分の頭の䞭で論理をひっくりかえしおは぀じ぀た合わせをするかのように、集団的自衛暩ず正圓防衛に぀いお考えお、曞いおきた。
それでも、戊争を始めるだろうずは思わなかった。
露ひず぀、疑わなかった。

しかし、7月1日に集団的自衛暩の閣議決定がなされるず、すぐに、戊争は始たった。
りクラむナ䞊空でマレヌシア航空機が爆撃されたずきに、私にはすぐにわかった。
たくさんの日本囜民にも、すぐわかった。
そしお、次々に䞖界䞭で、飛行機が撃墜され、倧芏暡な事故が起こっおいった。
これらが、集団的自衛暩の解釈倉曎を埗たばかりの日本囜が、日本政府が行った戊争であるこずは、誰の目から芋おも、明らかだった。

戊争は、サッカヌゲヌムずはちがう。
そこには、人の呜がかかっおいる。
マレヌシア機でも、たくさんの子どもたちの呜が倱われた。
悲しみず心の痛みで、私は、寝蟌んでしたった。
それ以来、䞀か月ず22日、私は自宀から、起き䞊がれない毎日を送っおいる。
昌もカヌテンをひいお、゚アコンをかけお、ただただ、亡くなった子どもたちのために、祈る日々を続けおいる。

これたで、どんないやがらせをされおも、政暩を支持しおきた私は、いったい、なんだったのだろう?
なんのために、3幎間もブログを曞き続けおきたのだろう?
すべお、「平和のため」だった。
日本が平和であっおも、䞖界のどこかで、戊争の惚犍が起こっおいる。
そういったこずをなくしお、䞖界䞭が平和になるように、䞖界䞭の人々が幞せになるように、みんなが笑顔で暮らせるように、それが私のずっず前からの、たったひず぀の、生きる目暙であり、生きがいであった。

しかし、私のしおきたこずが、戊争に盎結しおしたった。
私が支持しおいた日本囜が、日本政府が、率先しお戊争を始めおしたった。

自分の生きおいる間に、䞖界の平和は実珟できないかもしれないが、それでも、平和に向かっお䞀歩䞀歩、進むこずができるだろう、ず確信しおいた。
しかし、結果は無残だった。
ふたたび戊争が始たった。この戊争は䜕幎続くのかわからないが、䞖界の各地では、以前にも増しお、砎壊が始たっおいる。
私の生きおいる間に、平和になるこずは、もう絶望的になっおしたった。
あずはただ、戊争、戊争、人為的な事故、そしお、神がお怒りになったように自然灜害が起こるのである。

なんずかしお、自分で自分の筋を぀けようずしおみた。
぀じ぀た合わせをしおみようず思った。
こうしお、䞀時期はたいぞんに犠牲者が出たずしおも、いずれ䞖界政府のようなものができお、囜連は平等になり、平和な䞖界が構築される、そのための䞀時的な通過点である、ず考えようずした。
しかし、事態はよりいっそう、悪くなるばかりである。

そしお、日本が戊争をしおいるこずはこんなに明癜なのに、反察運動を恐れおなのか、政府はそれを宣蚀しようずしない。
囜内は守り、囜倖で戊争をする、ずいう぀もりだったのかもしれないが、圓然ながら、囜内も荒れおきおいる。
人の心が荒れお荒んできおいる。
䜕よりも、垌望がない。
こんな戊争の䞖の䞭を生きお行っお、䜕が楜しいものか。

私は、7月1日以来、䞀か月ず22日で、すべおを倱っおしたった。
たずは、健康状態を倱っおしたった。
ほずんど食べおいないし、眠っおもいない状態で、お医者様のお䞖話になっおいるが、゚ンディングノヌトを日々、曞いおは消しおいる状況である。
その゚ンディングノヌトを曞くためのペンを持぀手もおが぀かない。
私のしおきたこずが、たくさんの人の呜を奪うこずになったなんお、私は「人殺し」ではないか。
私に、生きおいく資栌などないのだ、ずいう匷い慙愧の念が、心ず身䜓を、むしばんでいくのがわかる。
もう今幎いっぱい、呜はないのかもしれない。
生きおいたずしたっお、なんの垌望があるものだろうか。
これたで、3幎間曞いおきたこず、生きおきたこず、そのすべおが、䞖界䞭のたくさんの人たち、未来ある人たち、子どもたちの呜を奪うペンだったずいうわけだ。
あたりにも眪深く、生きおいる資栌のない私は、家族ずも孀立し、たったひずりの倜を、闇の䞭をさたよっおいる。

あんなに楜しかった、家庭菜園では、ミニトマトの赀い実が、たくさん実っおは萜ちる。
ピヌマンも茄子も、たくさん実を぀けた。
春にはあんなに楜しく、倏の実りずお料理を楜しみにしおいたのに、人呜を奪った私には、これらの矎しい実を手にする資栌がないのだ。

友達に蚀われお、男性たちは、あるいは政府の人たちは、日本囜の女性たちを守るために、ひいおはあなたを守るために、戊争を始めたのだ、ずいうこずも考えおみた。
二幎前のアゞア危機を考えるず、アメリカを撀退させただけでは、日本も䞖界情勢も終わらなかった、ずいうこずだろう。
私にずっおは、アメリカの野心を終わらせただけで終了であったが、その続きがあった、ずいうこずなのだずいう。

あるいは、男性は、基本的に、戊争が奜きなのだずいう。
戊争が奜きだずいう、男性の心理を、理解しようず、この䞀幎間、ずおも苊しみ悩み、苊闘しおみたが、最埌の最埌たでわからなかった。

私は思う、戊争はやめおほしい。
たずえどんな理由があったずしおも、戊争はやめおほしいのだ。
これ以䞊、私に咎を䞎えないでほしい。
これたで政暩を支持しおきた私には、䜕よりも぀らい眰ずなっおしたった。

男性たちが、競争心や闘争心があるのは、玠晎らしいこずだず思う。
しかし、戊争は、行き過ぎではないだろうか。
どうか、やめおほしい。
そしお、私に、以前のような豊かで明るい日々を、返しおほしい。
以前のように明るく、朝の光を济びお、朚々の梢に吹く颚に笑顔し、小鳥たちず歌い、花を育お、ピアノを匟いお、おいしいお料理を䜜っお、詩歌に芪しんでいた生掻に、かえしおほしい、ず思うのだ。
今の私はそれらのすべおを、暗黒の絶望のなかに、倱っおしたった。
闇をさたよう私に、誰か、道しるべを教えおくれないか、ず思う日々なのです。


2014幎8月19日火曜日

「花子ずアン」職業婊人・醍醐亜矢子女史。

4月から、毎週の「花子ずアン」の感想を綎っおいる。
週ごずにストヌリヌを远いかけおいる曞き方であるが、ここで、登堎人物のひずり、醍醐亜矢子女史に、スポットを圓おお曞いおみたいず思う。
醍醐さんは修和女孊校時代からの、花子の孊友である。
花子が女孊校に入孊したのはただ、「小さい人たち」ず呌ばれる10歳ごろであるが、その圓時、先に入孊しおいお「はなさん。お友達になりたしょう」ず蚀っおくれた友達が、醍醐亜矢子さんである。
「はなさん。髪におリボンは぀けないの? 髪におリボンを぀けないのは、お着物に垯を締めないのず同じなんですっお。よろしかったら、私のおリボンをさしあげるわ」ず蚀っお、自分のリボン箱のなかから、花子に、倧きな花のようなリボンをプレれントしおくれた友達である。
この醍醐さんは、成長しお、職業婊人になるのだが、倧正時代、昭和の時代、ず日本の最先端の時代を東京・銀座で生きるのであるから、さすがに玠晎らしいファッションセンスである。
たさに、「歩く文明開化」ず呌びたいほどである。

醍醐さんは華族出身であるようだが、たさに明治から倧正、昭和ず、このドラマを文明で圩っおくれおいる。
花子の「腹心の友」は、蓮子さんであるようだが、醍醐さんもたた芪友のひずりず蚀えるだろう。
この醍醐さんは、女孊校の卒業圓時は、婚掻にうちこんでいた。
氞久就職を求めるタむプだったのである。
どちらかずいうず、枅玔でおずなしめ、芯の匷い醍醐さんには、いい家に嫁ぐのが䞀番向いおいるようにも芋える。
しかし、決たりかけおいたお医者様ずの瞁談をやめお、職業婊人になるこずにした。

出版瀟で、花子の同僚を務め、花子のサポヌトもしおくれる。
そしお、癜蓮事件のあずでは、癜蓮のこずを、フリヌゞャヌナリストずしお取材しお、連茉、そしお、䞀冊の本にたずめるのである。
これは本圓に、圓時の最先端の職業であっただろうず思う。
蓮子ず醍醐さんも女孊校で同玚生であったわけだから、ここで、花子、蓮子、醍醐亜矢子が、女流文筆家ずしお仲良くそろうわけだ。
女孊校時代の卒業生がこうしお、瀟䌚で掻躍する職業婊人になるこずは、本圓にすがすがしい女性の生き方である。

しかし、醍醐亜矢子にも、「結婚」「恋愛」は、なぜかずおもむずかしいハヌドルであるようだ。
平成の珟代でも、仕事を持぀女性は、い぀の間にか幎霢が䞊がっおしたっおいお、よい出䌚いがない、ずいう状況で30代を迎えおいる。
本日の攟送で、女孊校時代の思い出を「20幎も前のこず」ずいうセリフがあったので、䞉人ずも、醍醐さんももちろん、35歳にはなっおいるはずである。

醍醐さんは、花子の実兄である吉倪郎ず出䌚い、お互いに奜意を持ったようである。もちろん、花子を介しお出䌚った状況であり、このあたりの人間関係は、兄匟、姉効、家族や幌なじみ、ずいった出䌚い方になっおいお、昭和初期の人間関係を、詳しく芋る気がする。
珟代では兄匟同士で顔を合わせるこずも少ないかもしれない。

それにしおも、醍醐亜矢子の恋愛は、唐突である。
吉倪郎は憲兵であり、以前は瀟䌚䞻矩者である宮本韍䞀を秘密任務で远いかけおいた。
その宮本韍䞀ず駆け萜ちした蓮子さん、その友達の花子さんず醍醐さん、ずなっおいお、村岡家で、䞀同に䌚しお、お昌匁圓にお皲荷さんなどを䞀緒にいただいおいる状況である。
癜蓮事件をゞャヌナリズムした醍醐さんず、宮本韍䞀を远っおいた吉倪郎が、どうしお䞀緒になれるはずがあろうか?ずいうずころである。

このあたりはただおいおおくずしおも、のドラマはい぀も、なぜか、女性のほうから「奜きです」の告癜である。
これは、の朝ドラでは、もしかするず必須の条件であるようなこずを聞いたこずがある。
朝ドラの芖聎者は、幎配のかたが倚く、お芋合い結婚や家同士の結婚であったために、「(今の結婚にも満足しおいるけれど、できるならば)奜きな人ず結婚しおみたかった」ずいう女性の声が高いのだそうだ。

それにしおも、女性のほうからの、「奜きです」は、いかがなものであろうか。
私は、絶察的に、「奜きです」の告癜は、男性からであるべきだ、ず考えおいる。
ずいうのは、男性にも、告癜する暩利、ずいうのがあるのではないか、ず思うからである。
たた、男性の偎にも、事情ずいうのがあるのではないだろうか。
たずえば、心のなかに忘れられない初恋の女性がいる、ずか、郷里に残しおきた婚玄者がいる、ずか、今は仕事が充実しおいるので、恋愛や結婚は考えられない、ずか、正盎いっおあなたのこず奜きじゃない、ずかいう事情である。

そういえば、吉倪郎の初恋の人は、蓮子さんだったし、醍醐さんも以前は村岡英治を奜きだず蚀っおいたし、これはいったい、どういう人間関係なんだろう?

そういうわけで、愛の告癜は、結婚を含めお、男性の偎で、心の準備、環境の準備、芚悟ず忍耐力が定たっおから、男性から蚈画的に決心しお行うのが、䞀番良いず思う。
これは、女性が、自分の心や立堎を守るための、倧切な心埗でもあるず思う。
ドラマのなかでも、職業をしおいるだけに、掻発で積極的で発蚀力もある女性が、その積極性のたたに愛の告癜をしお、あずから男性を困らせお、結局は傷぀いおいる。
「あなたには、自分よりももっずふさわしい男性がいたす」
こんなひどい蚀い方をされるなら、壁の花になっお、静かに申し蟌みを埅っおいたほうがよいのではないか、ず思う。

醍醐さんの仕事ぶりに぀いおは、たたこれからも、働く女性ずしお楜しみなずころなので、泚目しお、みならっおいきたい。
「花子ずアン」の登堎人物は、どのメンバヌもずおも魅力的で、䞀蚀では語れない。これからもずおも楜しみである。

2014幎8月18日月曜日

「花子ずアン」第20週「海にかかる虹」感想。

朝ドラ「花子ずアン」は、癜蓮事件も䞀難去っお、蓮子さんは䜕事もなかったかのように、䞀般庶民に萜ち着いおいる。
䌝助ずの別れず蚱しは、ずおも印象的な堎面だった。
そしお、花子は、本来の職業だった、あるいは芖聎者も埅ちに埅っおたちくたびれお、もうすっかり忘れおしたっおいたのだったが、翻蚳業に本腰を入れ始める。
小孊校の教員をしおいたずきには、文筆の道に進むための、なんらかのきっかけが必芁だった。
そしお、文筆業が翻蚳業ぞ、そしお児童文孊ぞ、ず方向性を持぀ためには、やはり倧きなきっかけが必芁だったずいうこずだろう。
考えおみれば、「文筆」あるいは童話䜜家ずいうはずだった花子に、「英語の翻蚳」ずいう道を瀺したのが、倫である村岡英治である。
花子の人生ず職業遞択は、そのずきそのずきの出䌚いや、環境にずおも巊右されおいるようだ。
しかしこれも、明治、倧正、昭和、ずいう、女性の職業の先駆けであった時代であるから、いたしかたない、ずもいえる。

倫ずなる男性、あるいは職堎の男性から、職業や瀟䌚人ずしおの「䜜法」を教わるこずは、女性にずっおはよくあるこずで、どんな瀟䌚人たる男性ず知り合えるかは、女性の職業に察する姿勢や取り組み方、具䜓的な仕事の仕方にずおも圱響しおくるようである。
そうした意味で、村岡英治は、ドラマのなかでこそ圱薄いむクメンであるが、陰に日なたに、瀟䌚人ずしお、職業を、劻の花子に叩き蟌んだ匵本人でもあるかもしれない。
たた、花子が倫・英治に察する思いずいうのも、「仕事をさせおくれた」「仕事を応揎しおくれた」あるいは、「自身の才胜ずいうものを、開花させおくれた」ずいう意味で、ずおも倧きいのかもしれない。
自宅に印刷所たで䜜っおくれるのだから、すばらしいこずである。
圓初は、家内制手工業、ずも思い、印刷の仕事がたくさんほしいから劻に働かせたのか、ずもかんぐったものだが、花子の、圓時ずしおは貎重な、英語ず翻蚳ずいう才胜を、だれよりも評䟡しおいたのは、倫の英治だったかもしれない。

このあたりで、「倫連」が描かれるのだが、蓮子の倫、シュギシャたる宮本韍䞀はすでに、姑にやっ぀けられ、子煩悩なふ぀うのオゞサンになっおきおいる。
なんずも情けない話で、蓮子が駆け萜ちしたその理由、男性的な魅力ずいうのが芋えおこない。
もしかしたら、宮本韍䞀ずいうのは、駆け萜ち前から、マむホヌムパパな䞀面をのぞかせおいお、アットホヌムな雰囲気が、蓮子は奜きだったのかもしれない。

どちらにしおも、花子も蓮子も、文才を埌抌ししおくれる倫に出䌚っお、本圓に幞せである。
実際には、こんな男性がいるわけない、ずいうのは、誰もがご存知の事実である。

さお、この週「海にかかる虹」の本題は、ひずり息子・歩の件である。
小さな子どもを倱う悲しみを、日本䞭の子どもたちのために、児童文孊を翻蚳したい、ずいう倧きな目暙に倉換しおいったのである。
ドラマを芋おいおも、「こっちがパパのダヌリング」ず歌たで芚えおしたった芖聎者ずしおは、本圓に心が痛む思いがした。
そしお、花子が、その痛みを、忘れるこずではなく、垞にい぀もそばに、歩くんがいる、歩くんに話聞かせおいる、ずいう気持ちになったこず、これは、ずおも倧切であるず、私は思う。

䞖の䞭には子どもが倧奜きでも、子に恵たれない女性もいる。
たた、我が子さえよければ、ほかの家の子どもはどうでも関心がない、ずいう母芪もいる。
そうしたなかで、ご近所の子どもにも、日本䞭の子どもにも、自分の文筆力ず英語力で、䞀生懞呜仕事をしおいきたい、ず思えた花子は、ずおも幞せであるず思う。
䜕か遅咲きなずころはあったが、ここからが花子の本領発揮ずなるのだろう。

海のシヌンはずおも印象的だった。
もっずもっず、ダンナに甘えお、悲しみ苊しみ涙ももっず芋せおもよかったのではないか、ず思う。
ダンナ自身の苊しみ悲しみ、そしお、父芪だっお぀らいのに、母芪だけ぀らいふりする劻、こうした劻をもっお、それでも支えおいく英治の孀独も、もっず描いおよかったのではないか、ずも思う。
父芪ずしおの、英治の心意気も、蚀葉や態床にしお、芋せおほしかった週であった。

「花子ずアン」第19週「春の莈りもの」感想。

連続テレビ小説「花子ずアン」。花子の人生も、関東倧震灜を迎えた。
季節は春、ずなっおいる。
この春は、どういう春なのか。
関東倧震灜が9月1日に起こり、翌幎の春、ずいうこずである。
春は埩掻の季節、再生の季節であり、衚題の「春の莈りもの」は、関東倧震灜からの再生をさすものだろう。
䜕事であっおも、半幎あればすぐに埩掻の、村岡倫劻である。
村岡倫劻は、消倱しおしたった村岡印刷ず、やはり銀座にあっお焌倱した、花子の出版瀟であった聡文堂、に関しお、さたざたな思いがあったようである。
もちろん、再建である。
しかし、この再建の道のりは、たいぞんになにか䞍愉快ずいうか、たたも䞍自然さを感じさせるものであった。
ここのご倫婊は、䜕に぀けおも、「倫唱婊随」ならぬ、「婊唱倫随」なのである。
「印刷所兌出版瀟を䜜りたしょうよ!」ず高らかに宣蚀したのは、劻である花子である。
そこに、「そうしよう」ず賛同したのが、倫の英治である。
この倫、これが本圓に「敷かれた亭䞻」ずいうのだろうか、劻のいうこずを次々に実珟するために、䞀生懞呜がんばる倫君で、自ら䜕かを提案しお、始める、ずいうずころがたったくない。
実際には、男性は、劻が提唱したこずに、賛成するこずはないし、がんばっお仕事をするこずは、絶察にない。
…ず私は思う。
そういう意味で、ここの村岡英治氏は、いるはずのない男性であり、ある意味、女性䜜家が䜜り出した、空想䞊の男性像である。

こうしお、空想䞊の男性ず、あたりにも意気盛んな劻ずで、あっず蚀う間に新しい䌚瀟が蚭立される。
䌚瀟の蚭立資金も、劻が、女孊校時代の孊友、(正確に蚀えば、孊友の倫君の財産)から、集めた資金なのである。
奥さんがいたれり぀くせり、の村岡倫婊であるが、村岡英治氏の自立性はどこにあるのだろうか。
なにかふわふわした、埗䜓のしれない優しい倫ずしお描かれおいるようで、心もずない。

ずもかく、こうしお、亡き矩匟のための(このあたりもどこずなく䞍自然な)最初の䞀冊を、印刷・出版するこずになる。
花子が、初めお翻蚳しお連茉した「王子ず乞食」である。
珟代では、「乞食」は、䜿っおはいけない語句ずなっおいるのだが、これがこんなに頻発されるドラマもなかなかである。
こうしお、関東倧震灜ずいうずおも぀らい状況を、花子がひずりで本を印刷しお、ひずりで春を䜜っお、みんなにばらたいた、ずいうわけである。


「花子ずアン」第18週「涙はい぀か笑顔になる」感想。

日本䞭をにぎわせた「癜蓮事件」の゚ピ゜ヌドも幕を閉じお、物語は次々に進んでいく。
ここたで来るず、攟送もあず2か月ずなり、ラストスパヌトに向けお、花子の人生を、着々ず進めおいかなければならない状況のようだ。
これたでも、の朝ドラを芋おいお、こうした、䜕か「人生早送り」の堎面も慣れおきお、あら、ず思ったらナレヌションず字幕が出おきお「倧正12幎」ず、数幎も飛んでいたりする。
これも朝ドラの芋どころである。
朝ドラは、ひずりの女性の䞀生たたは半生を描くものであるが、やはり人の人生ずいうのは、「飛ばせる時期」ず、「刻銘に描きこむべき時期」ずが、あるのではないかず思う。
結婚をしお、子どもが生たれお、癜蓮事件があっお、その次ずしおは、関東倧震灜は欠かせない。
これたでも、明治から倧正、昭和を描いたドラマや小説があるが、必ずその時期に、関東倧震灜は入っおくる。
時代背景ずしお欠かせないものである。

これから先、平成ずいう時代を舞台にしおドラマや小説を描くずき、あるいはひずりの人の人生を描くずき、東日本倧震灜は、やはり欠かせない時代背景になるのだろう。
「そのずき、ヒロむンはどうしおいたしたか?」ずいう問であり、「私はどうしおいたした」の答でもある。
たた、䜜家の腕が問われる堎面でもあるだろう。
今回の朝ドラでは、関東倧震灜を䞀週間で扱うこずにしおしたった。
これは、ドラマの筋曞きを進める䞊での、必芁悪か、やりたくない宿題のように扱われるような状況でもある。
ただ、時間の関係で、簡玠に描くしかなかったのかもしれない。

関東倧震灜では、花子の倫・英治、その匟である郁匥が、震灜の犠牲になる。
花子の効かよの、恋人でもあった、郁匥であった。
ここでは、花子が震灜で受けたショックが描き切れず、ただ、「どんな぀らい境遇でも、涙のあずには笑顔になる」ずいう、テヌマが匷調されたように思う。
たた、子育おでは、倧正時代ずしおは、「これ本圓?」ずいうくらい、育児に熱心な父芪が描かれた。
平成の時代では、お母さんだけが子育おをしおいるようなシヌンは、芖聎者からお叱りを受けおしたうのだろうか。
花子・かよの姉効の察比が、あたりにも単玔で、そこに、姉効らしい女性らしい、感情の葛藀が芋えおこないずころもある。
ただ、ここで花子は、ずおも぀らいずきに、子どもたちにお話をする、ずいう経隓をする。
花子の、児童文孊ぞの道は、このあたりをきっかけに始たったようである。
花子が、癜蓮のように恋愛短歌に進たず、宇田川満代のように珟代小説に進たず、翻蚳ず児童文孊に進んだ、なんらかの芜生えが、芋え始める週であった。




「花子ずアン」第17週「腹心の友ふたたび」感想。

の朝の連続テレビ小説「花子ずアン」も、真倏の攟送ずなった。
半幎間の物語は、この季節にクラむマックスを迎える。
すなわち、子どもたちの䞀孊期が終わり、倏䌑みにはいるころ、梅雚が終わり、真倏の日差しが照り぀けるころである。
先の週で、話題の「癜蓮事件」を粟䞀杯描き切ったスタッフは、ようやく続きを぀なげおいるかのように、ほどけたピヌスをひず぀ひず぀合わせおいくように、「腹心の友ふたたび」の週を乗り切った。
癜蓮事件は、蓮子さんの出奔だけで、ずおも倧きな話題ずなるものであるが、「花子ずアン」のテヌマは、女性の友情だそうである。
だから、癜蓮を心の底から、心身共に助けた仲間、友達の圚り方が、ずおも重芁になっおくる。
このあたりで、「花子ずアン」は、ダブルヒロむンの物語だったのか、ずも話題になった。
もしかするず、本圓のヒロむンの花子がかすんでしたうくらいの、倧胆な蓮子の恋情であった。

蓮子はすぐにおなかに子どもができる。
でも、远われる身でもある。
そうしたずきに、助けたのが、「腹心の友」である、花子である。
花子はたず自宅にかくたった。
この自宅は、すでに結婚しお子どもも生たれおいた、村岡英治ずの新居である。
その埌、花子の実家である、甲府の家にも、蓮子を連れお行っおかくたっおいる。
蓮子の新しい倫ずなった宮本韍䞀は、瀟䌚䞻矩者ずしおも、癜蓮事件ずしおも远われる身であるから、ここで、「身柄」ずいう点で、応揎するのは、本圓に「困った時の友こそ真の友」ずいえる状況だろう。

しかし、ここで、いた䞀床よくよく考えおみなければならないのは、本物の友情ずはなにか、ずいう意矩である。
友達のためなら、䞀切合財すべおを肯定しお、味方になっおあげるのが、友情なのだろうか。
「あなた、それは本圓はたちがっおいるんじゃないの?」ず、筋を教えおあげるのも、友情の倧切な栞心ではないだろうか。
「かわいそう」これは同情であっお、友情ではない。
このずきの花子の行動が、はたしお本圓に「友情」ず呌べるものだったのかどうかは、賛吊䞡論ではないだろうか。

蓮子の結婚は、駆け萜ち、ずいう瀟䌚的には短絡的なものであった。
恋愛ず結婚、男性ず女性の仲は、ただただ、䞀緒になればいい、ずいうものなのだろうか。
たた、このいきさ぀の物語の䜜り方がいかにも䞍自然になり、実家のご䞡芪も、実家のご近隣も、誰も蓮子さんを客芳的に芋る人がいなくなり、誰もが応揎隊になっおいる。

䞍自然さのきわたった、「腹心の友たち」であった。


「䞍思議」な時代。


よく眠っおいた倜䞭に、ふず䜕か重苊しい気配がしお、目が芚める。
暗闇のなかで電灯をひず぀灯すず、たるで、誰かにじっず芋぀められおいるような、䞍思議な気配がする。
物音はひず぀もなく、シヌンずしおいお、普段なら遠くのバむパスを車が通る音くらいはするのだが、なんの音もない。
映画の無音堎面のように、ずおも静かだ。
お茶でもいれようかず思うが、あたりの重苊しさに、そんな気持ちになれない。
冷蔵庫に䜕か冷たい飲み物でもあったかな、ず思うが、食欲もない。
こんな倜に、ほかのみんなはどうしおいるのだろう?ず思う。
ツむッタヌのタむムラむンをのぞいお、みなが、テレビを芳おいたり、ゲヌムをしおいたり、高校野球の結果を぀ぶやいおいるのを芋お、少しほっずする。
それでも、なにかこの時間に、どこかで誰かが、䜕かずおも思い悩んでいるのではないか、ず心配になる。

「æ­»」ずいう文字がこのずころ、たくさんのずころで目に぀くようになったような気がする。
「æ­»」の時代、「殺」の時代なのだろうか、ず䞍思議に思う。
これたで、それ盞応に長く生きおきお、こんな䞖盞はなかった。
぀い先月には、䞖界各地で飛行機の墜萜事故が次々に起きた。
倧きな事故、小さな事故、瀟䌚事件、せっかくの倏祭りも台颚や事故で、楜しめる状況からは皋遠くなっおいる。
いったい、䜕が起こっおいるのだろう?いったい䜕がどうなっおいるのだろう?
いろいろな仮説を考えおみる。
実はどこかでひそかに、戊争が起こっおいるのだろうか。
りクラむナでの飛行機墜萜事故は、本圓は第䞉次䞖界倧戊の始たりで、どこかの囜が戊略的に墜萜させたのではないだろうか?
次々ず起きる飛行機事故も、本圓は、どこかの囜の䜜戊なのではないだろうか?

䞖の䞭を瀟䌚䞍安に陥れるような、誰かの策謀があるのだろうか?
もしそうだずしたら、誰が䜕のために、そういったこずを行うのだろう?

あるいはもしかしたら、キリスト教で蚀われおいたように、最埌の審刀のずきが来たのだろうか。
ハルマゲドン、ずいうこずなのだろうか。
キリスト教では、ハルマゲドン、最埌の審刀のあずに、埩掻があり、地䞊の王囜が築かれるのだずいう。
だけど、そこで生き残らないずならない。
宗教的な話であり、これたでは意に介さない説話であったが、その予蚀が、圓たっおきたのかもしれない、ずさえ思っおしたう。

いったい、この時代の、この「æ­»」「殺」ずいう重苊しい空気は、どこから生じたのだろう?
時代の節目なのだろうか。
転換点なのだろうか。

私は、思う。
やはり、新しい次の戊争が始たったのだ、ず思う。
今床は、ペヌロッパ察アゞアの戊いなのではないかず思う。
アメリカを打倒した日本を、ペヌロッパが虎芖眈々ず狙っおいるように思う。


あるいはもしかしたら、西掋文明ず東掋文明の、「文明の衝突」なのかもしれない。
「挑戊ず応戊」は、そんなにたやすい戊いではない。